豊臣兄弟の肖像画

豊臣秀吉(左)と豊臣秀長/wikipediaより引用

豊臣兄弟感想あらすじ

秀長の妻は“慶”ではなく“直”なのか 史実はどうなっとる? 豊臣兄弟レビュー第2回

清須の道普請で日雇い労働や、盗人捜しに励んでいた小一郎(豊臣秀長)が中中村へ戻ってきました。

了雲和尚に銭の隠し場所を発見され、実家へ帰ると、姉のともに「稼ぎはこんだけ???」と詰められる秀長。

第一回放送のレビューでも申し上げましたが、本作の登場人物って、お金に関して貪欲な姿勢を隠しませんよね。

永楽通宝/wikipediaより引用

名古屋人はケチで見栄っ張り――なんてことも言われ、以下の記事では「他人を信じられない」とまで書かれてます。

◆知らなきゃ損する「名古屋ルール」(PresidentOnline

たしかに壺の中の銭を見た了雲和尚は、冗談を言ってるようで、実際は目を爛々とさせているようにも見える……ということで第2回放送のレビューへと参りましょう。

今週のテーマは岩倉城の戦いと豊臣秀長の妻です。

小一郎の幼馴染・“直”って一体どういう存在なの?

 

脳筋武士の槍指導

村へ戻ってきた小一郎は、さっそく直と川辺でデート。

幼馴染の関係らしく、互いに意地を張って簡単に結ばれたりはしないけど、両者が思い合っているのは誰にでもわかる描かれ方ですね。

しかし直は嫁入りが決まったようで、驚く小一郎は「どんな相手なのか!」と詰め寄ります。

「少禄の……お侍の三男坊……」

少禄=禄が少ないとは、つまり貧しいということであり、やはり真っ先にお金の話が来るんすな。

直の父親・坂井喜左衛門は、地元の有力土豪と紹介されていましたので、他にもっと条件のよい話はなかったの? あるいは、劇中で彼女の兄や弟が出ていないので、直は婿養子を迎えるのかもしれませんね。

そのころ清須城では、兄の藤吉郎(豊臣秀吉)が、槍の訓練中でした。

指導にあたるのは城戸小左衛門という脳筋武士。

絵・小久ヒロ

脳筋が、次々に若い兵士らを槍でねじ伏せるのは訓練の範疇かもしれませんが、その後、倒れたところにボコボコと蹴りを浴びせるのはやり過ぎじゃろ。

最近、SNSでイジメ動画が拡散炎上しているじゃないですか。間の悪いことに、あの動画と重なってしまうんだよなぁ。

 


岩倉城からの使者を斬り捨て

織田信長の前に、佐久間信盛や林秀貞、柴田勝家に丹羽長秀らの重臣が並んでいます。

敵対していた岩倉城の織田伊勢守から「降伏したい」という書状が届いたのです。

当時の岩倉城は織田信賢が城主。

信長たちのいる清須城から直線距離で4kmほどの近さです。

・黄色 清須城
・赤色 岩倉城

実はこの織田信賢、跡目相続のトラブルから父親の織田信安を追放しており、無理やり岩倉城主になると、信長との「浮野の戦い(1558年)」に挑んで大敗していました。

ゆえに信賢から降伏を願い出るのはあり得る話かもしれません。

※浮野の戦いは一騎打ちの話が面白いので、よろしければ後ほど『信長公記』の記事をご覧ください(記事末にリンクあり)

浮野の戦いで一騎打ち|信長公記30話

続きを見る

しかし、ダーク信長は、信賢の申し出を一蹴!

書状を破ると、あろうことか「使者を斬り捨てよ!」と丹羽長秀に命じ、「お待ち下さい」と讒言する林秀貞に対しては「たわけ!」と叱責しながら破った書状を投げつけます。

そして岩倉城と城下の焼き討ち、虐殺を命じるのです。

「わしが目指すのは見せかけではない! 真の尾張一統じゃ!」

急にスイッチが入ってしまったかのようで、もう手がつけられません。

いったい信長に何があったのでしょう。小四郎からダーク義時になった後、呪術で別の身体に乗り移り、今は信長の脳を支配しているんか、羂索か……。

 

岩倉城攻め

鎧をまとう信長の横に、妹の市がいます。

正妻の帰蝶(濃姫)よりもお市を重視するスタンスは2023年大河を彷彿とさせて、いささか緊張しますね。

お市は、どこでそんな情報を入手したのか、信長に語ります。

お市の方の肖像画

お市の方/wikipediaより引用

「織田信賢の降伏は偽り。今川の息がかかった野武士を領内に手引している。いずれ尾張を手に入れようとしているのです」

野武士が領内で狼藉を繰り返しているようです。ならば、さっさと兵を出して鎮圧してくれー!

「考えすぎじゃ」

「えぇ、考えすぎです。兄上と同じで」

ンー? ドウイウ意味ナンダイ? 兄上は何を考えすぎなのか。

野武士を手引しているとかお市の指摘が具体的すぎて、何一つ考えすぎとは思えないですぞ、信長様。それよりお市が知っていて、信長が知らないというのは非常にマズイでしょう。

信長は「勝った後、どう治めるかが大事だ」と語ります。

そして清須城から出陣し、岩倉城へと向かうのでした。

織田信長イラスト

信長甲冑イメージ/絵・富永商太

その頃、槍の手入れをしていた藤吉郎は、寧々のもとへ行ったかと思えば、次にお市から呼び出されて面白い話を所望されます。

「鳴らすと銭が出てくる鐘」の話で、スベらんなぁ~の藤吉郎。

またもや銭の話かい……というツッコミはさておき、お市がよくわからないことを話してきます。

「苦しい。いま私が苦しいのは、兄上が苦しいからじゃ」

なんだかスピリチュアルな思想も持っていそうなお市。

苦しいというのは、兄が岩倉城の戦いに負けてしまうってことですかね?

と思いきや、画面に映し出されるのは、煌々と燃える岩倉城と、その城下でした。

焼き討ちだけでなく、民衆も数多く殺され、子供たちの泣き声が響いています。

いや、だから、やり過ぎじゃろうて……。

確かに『信長公記』では、岩倉城を二重三重に包囲すると、2~3ヶ月かけ、火矢や鉄砲を撃ち込んだことが記されています。町も放火しました。

しかし、民を虐殺したとまでは記されておらず、そもそも今回はその必要性が感じられません。

なぜ、これから自領になる民を殺すのか、ダーク信長よ!

前述の通り岩倉城は清須城からも近く、織田伊勢守を追い出してしまえば、完全に信長のものとなる。つまり、そこにいる民は、今後、年貢(税金)を収めてくれる非常に大事な存在です。

なぜ虐殺するのか……。

もしも、この所業が他に知れたら、国境周辺の村からどんどん敵方に寝返ってしまうか、国内の村民たちも逃散(村を捨て他の村へ移動したり山へ逃げ込む)してしまうかもしれません。

そもそも岩倉城を陥落させれば、尾張の大半を手中に収めることとなり、ハッピー信長でしょ! 頼むよ!

ということで、尾張統一については以下の記事に詳細がございます。

織田信長の肖像画
なぜ信長は尾張統一に14年もかかったのか? 実は最も手強かった「身内争い」

続きを見る

よろしければ本記事の後にお読みください(記事末にリンクがございます)。

 

直の祝言で野盗!野武士!駆け落ち!

直が祝言を挙げることとなりました。

しかし、です。当日、トンデモナイことが起きます。

野盗が襲来したのです。

さすがに、この展開は許せません。何が? って、なんで村民たちは村の防備を固めていないのよ!

第一回放送で野盗に襲われ直が連れ去られそうになったばかりなのに、また同じ過ちを犯す気か!

堀を掘る。

柵を設置する。

監視体制を作る。

中世・戦国時代の村ではこうした自衛策を取るのが当たり前でしたので、たとえ村が野盗に襲われることがあっても、そのまま逃げ惑うということなどなく、きちんと対抗していました。

そのためにドラマでも直の父親・坂井のような豪族が住んでいるのであり、普段から訓練に励んでいるシーンもあったのでしょう。

だから、ちゃんと戦いなさいよ!

と、思ったら、今回は秀長らも少しは考えていたようで、敵の野盗に「隠し蔵の場所を教えるから命は助けて!」と誘い出すと、大勢の村人たちで野盗に逆襲していました。

でも、ちょっと、手ぬるい。木の棒で叩くのではなく、そこは刀や槍でブスリ!とやっちまいましょう。

絵・小久ヒロ

後に「刀狩り」や「喧嘩停止令」を出したことでも知られる秀吉ですので、事前に物騒な村民たちの姿も描いておくのは大事だと思うのです。

今はもう「戦国大名や戦国武将に搾取されるだけの、か弱き村人像」では物足りない。

「時には、複数の村に共闘を申し込み、領主層も動かすほどガチの戦をやっていた村人たち」で描いて欲しい。

しかし、です。いざ秀長たちが逆襲を始めようとしたら、村の様相が一変します。

今度は野武士が襲いかかってきたのです。

 


強すぎる野武士の正体は?

野盗にせよ、野武士にせよ。

農民・足軽・傭兵・地侍など様々なメンバーが集まってできた犯罪集団であり、野盗が盗人、野武士が武士というイメージが強いでしょうか。

しかし、強盗や殺人など、活動内容も似ていて、実際には厳密な区別もできないと指摘されます。

今回、後から現れた野武士グループは、服装や面頬に統一感が見られるだけでなく、最初の野盗よりも武術に優れている印象がありました。

金目の物や奴隷を奪ったら、さっさとその場から去るというより、まるで村の殲滅が目的のような……。

彼らが、お市の指摘していた野武士ってことですかね。

織田伊勢守が手引してやってきた今川軍だとしたら、強いのも当たり前。

あるいは当時は、強盗や放火、殺人など、戦場で敵を撹乱するために雇われていた専門集団も存在していましたので、そういう連中が雇われたのかもしれません。

雇い主の織田伊勢守が居なくなって、制御不能になっている可能性もありますかね。

ともかく現時点では不明ですが、この惨劇により仲間の信吉が首を討たれてしまい、しかも田んぼに捨てられていました。

「何なんじゃ、これは~!!」

信吉の首を抱きながら、声を張り上げる秀長。(松田優作……)と思ったのは私だけでしょうか。

そこへ一人の男が近づいてきます。

「これが! この世じゃ!」

秀吉でした。

お市のスピリチュアルに影響されたのか、第六感でも働いたかのように秀吉が村を訪れていました。

若き頃の秀吉を描いた月岡芳年『月百姿 稲葉山の月』/wikipediaより引用

すべてを悟りきったように「これがこの世じゃ」と語る秀吉に対し、秀長は「おまえらは何もしない、何もしないくせに年貢だけ取るんじゃねぇ、信長は何をしてる!」と苦言を呈します。

その通りですね。不必要に岩倉城の民衆を殺している場合ではありません。

秀吉は答えます。

「わしと一緒にいこう! 侍になれ、小一郎!」

秀長の訴えをすべて無視して、とにかく家臣が欲しいお兄ちゃん。

そんな平然としていられるのも、秀吉の実家だけ全員無事だったのを知っていたから??? もしも村に着いたばかりなら、秀長の生存を確認したら、一目散に母や姉妹のもとへ駆け出しているでしょう。

結局、秀長は兄の説得に応じ、清須へ向かう、つまり武士になることを決意するのでした。

しかも、直を誘って。

秀長は、墓から掘り出した貯金をすべて、直の父・坂井喜左衛門もとへ置いていきました。喜左衛門は、すぐにでも馬を出して追いかけるべき。

ちなみに、本作の公式サイトで“直”は秀長の初恋相手と記されていて、妻は“慶”(吉岡里帆さん)となっています。

直と秀長は結ばれないんですかね?

というか、残された秀吉の実家は村八分にされてないかなぁ。

 

秀長の正妻・慈雲院(智雲院)

豊臣秀長の正妻は慈雲院(智雲院)です。

戦国武将の正妻は、主君や同僚、親戚縁者の娘というケースが多いですが、慈雲院の場合はとにかく謎。

出没年など、出自はまったくわかっていません。

では推測ではどうか?

仮に慈雲院が二十歳で長男を産んだとすれば、天文十八年(1549年)生まれで秀長より8つか9つ歳下となり、秀吉の妻・寧々とほぼ同年齢になります。

浜辺美波さんが演じる寧々も、白石聖さんの直も、非常に美しく、同年代に見えますね。

ならばドラマでも小一郎は直と結ばれるのかな?

と思いきや、秀長の長男である与一郎は永禄十一年(1568年)頃の生まれで、劇中で二人が村を出たのが永禄二年(1559年)の設定です。

このまま直と小一郎がすぐに結婚すると、今後9年ぐらいは子供ができず、いささか不自然な流れになりますね。

豊臣秀長の肖像画

豊臣秀長/wikipediaより引用

やはりここは、公式サイトの通り、吉岡里帆さん演じる慶(慈雲院・智雲院)が妻でよいのでしょう。

出自の不明な彼女ですが、秀長のポジションからして信長直臣の娘あたりと予想されますので、今後どうなるか楽しみなポイントでもあります。

なお、史実における慈雲院は、豊臣兄弟の母である大政所(なか・坂井真紀さん)と度々親交を持った記録が残されていて、仲の良い嫁と姑だった可能性が示唆されています。

坂井真紀さんと吉岡里帆さんのやりとりも見どころになるかもしれませんね。

 


尾張中村に山はあったのか?問題

大河ドラマには常に「どこまで史実に寄り添うか?」という宿命があります。

『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』『必殺仕事人』に目くじらを立てる方はいませんが、時代考証者をつけた大河となれば、無茶な描写をしないのが作品の良識というもの。

しかし本作では早くもSNSで、ある問題が話題になっています。

尾張中村に山はあるのか――。

以下の地図から一目瞭然なように、

尾張(愛知県)は岐阜山中から流れてくる数多の河川の下流域にあり、豊臣兄弟の生まれ育った中中村に山はなく、戦国時代も同様だったと指摘されています。

しかし、劇中ではしょっちゅう“山”らしき描写が出てくる。

今回、第2回放送の最後も、三人で清須へ向かう姿が『麒麟がくる』での旅のシーンを彷彿とさせました。

あちらは美濃(岐阜)の山中であり、『豊臣兄弟』ならば平野や田畑が広がっているほうが自然でしょう。

実際、清須城の門を出入りするときは、平地が広がっています。

しかし、今回は……問題視する程でもないのでは?と思ってしまいます。

下流域だって平地だって、林はできるし丘もできる。急峻な岩山でもない限り、イメージの範疇になるのではありませんか?

それよりも、個人的には「弱すぎる村と村人」が気になって仕方ありません。

物語を劇的に描くため、村人はいつも“か弱き存在”でなければならないのでしょうか?

・中世の村は、自分たちで武器を持ち戦っていた

・非常時には逃げ込む城(拠点)もあった

・近隣の村とトラブルが生じたとき、武力行使も辞さない

・規模が大きくなれば複数の村と複数の村で合戦状態になり、領主層も引き込んで戦うこともあった

これが中世の実情です。

もちろん権力者層による裁判などもありましたが、基本は自衛(自力救済)であり、村人だって武士に負けない気概はあったのです。

彼らは武士のように戦うことを専門としていないだけで、自分や家族を守るためであれば立ち上がるのは当然のことでしょう。

しかも、です。

今回の大河ドラマは、一定の年齢まで村で暮らしていた豊臣秀長が主役。

それだけに、村人目線と天下人目線の交わりが見えたら面白いな……と、ちょっぴり期待しながら今後の展開を待っておきましょう。

👨‍👦 『豊臣兄弟』総合ガイド|秀吉と秀長の生涯・家臣団・政権運営等の解説


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