『黒田官兵衛目薬伝説』/amazonより引用

歴史書籍

黒田家ルーツに迫る意欲作『黒田官兵衛目薬伝説』目薬とクロガネの関係

2021/06/08

【編集部より】

桃山堂株式会社さんより『黒田官兵衛目薬伝説』なる書籍をご献本いただきました。

NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でも、若かりし頃の岡田准一君が祖父の竜雷太さんから「黒田の家は目薬から財を成していったのじゃよ」と説明されておりましたが、このエピソード、史実では疑問符を付けられております。

果たして真実はいかなるものなのか。

本書の担当編集者(桃山堂)さんで、九人の執筆陣のひとりでもある蒲池明弘さんから、書籍のあらすじをご紹介していただきましたので、早速、ご報告いたしましょう。

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【以下、本文へ】

調べてみたら興味深い話が芋づる式に

NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』で、黒田家の目薬商いはすっかり有名になりました。

これが歴史上の事実かどうかについて、学術的な研究者のあいだでは否定的な見解が多いようです。

岡田准一さん演じる官兵衛は、歩行不自由の足なえの武将ですが、こちらについても史料の裏付けはなく、史実ではないのでは?という指摘が出ています。

毎週楽しみに『軍師官兵衛』を見ているのに、今さら、目薬も足弱も絵空事だといわれてもハシゴをはずされたようで困ってしまいます。

それにしても、もし、目薬や足なえの話が史実でないとしたら、ではなぜ、こうした所伝が生じて大河ドラマにまでなってしまったのでしょうか?

そんな素朴な疑問からスタートして、目薬伝承の背景を調べてみたら、面白い話が芋づる式に出てきましたので、『黒田官兵衛目薬伝説 目の神、鉄の神、足なえの神』と題して緊急出版させていただきました。

 


目薬伝説から黒田一族の謎に迫る!

この本で問題としているのは歴史上の人物としての黒田官兵衛というよりも、官兵衛の先祖をめぐる物語で、目薬伝説を手掛かりとして、黒田一族の謎を探るという趣向となっています。

数多い官兵衛本のなかでも風変わりな本だと思いますが、その分、ほかにはない目新しい話題が山盛りなので、いくつか紹介させていただきます。

◆目にかかわる医療、信仰の歴史は、鍛冶、製鉄、鉱山の文化と深く結びついていること。鍛冶や製鉄の現場で、目を傷める人が多かったかららしい。

◆日本における眼科医学は、戦国時代に急発展したこと。

◆黒田の地名/名字は、クロガネ(鉄)に由来するという説があること。

◆黒田一族の先祖が居住していたとされる土地には、鉄、金属の文化が濃厚であること。(備前、北近江、姫路)

◆鍛冶が信仰する金属の神・天目一箇神(あめのまひとつのかみ)は、一つ目で片足が不自由(あるいは片足しかない)という姿であること。

五番目にあげた「一つ目で足なえ」の金属神については、武田信玄の軍師・山本勘助の身体的特徴との類似が笹本正治信州大教授らによって指摘されています。

山本勘助も大河ドラマの主人公に抜擢され、ドラマのうえでも片目で足が不自由という姿でしたが、これは足なえの金属神・天目一箇神の投影ではないかというのです。

信玄の軍師、秀吉の軍師がそろって、足なえであるというのは奇妙な一致。

さらにいえば、ヤマトタケルも足なえの英雄として『古事記』などに記録されています。

 

目の医学や信仰は金属文化と結びついていた!?

大河ドラマ『軍師官兵衛』では、目薬屋から有力大名に飛躍する一族の歴史が詳細に描かれ、初回か第二話あたりでは黒田家の「目薬工場」まで再現されていました。

若き日の官兵衛が同僚の武将から「目薬屋」とさげすまれる場面もありました。

黒田家の目薬商いは、司馬遼太郎の小説『播磨灘物語』でも重要なエピソードとして詳述されています。

しかし、大正時代からのことですが、史料を重視する研究者たちは「目薬の話は史実とは考えられない」と批判。

桃山堂編集者は、兵庫県姫路市にある広峯神社に参じ、宮司さんに黒田家の目薬商いのことをうかがいましたところ、神社の古文書はもとより、言い伝えによっても黒田家の目薬の話はまったく存在しないというのです。

確かに史料の上からいえば、目薬伝説は妖しげな話に思えてきます。

その一方、「目」の医学や信仰は、鉄をはじめとする金属や鉱山の文化と結びついており、黒田家の目薬伝説はそのあたりに関係あるようにも見えます。

というわけで『黒田官兵衛目薬伝説』では正面突破の正攻法ではなく、搦め手からこの問題に迫っています。

眼科医学史、民俗学、地名学、系図学などの研究者へのインタビューを重ね、関連する土地を調査し、資料を集めました。

インタビューが中心なので、起承転結のある本ではありませんが、それぞれの専門分野を踏まえて、目薬伝説の背景を検討しています。

いくつかポイントを紹介してみます。

 

眼科学の普及前は寺社でそれらしき薬を用立てていた

第一章で登場していただいた奥沢康正氏は現役の眼科医で、眼科医学史の第一人者。

生家は天保年間から続く眼科専門の医家です。

奥沢氏に語っていただきました。

黒田官兵衛目薬伝説1

奥沢さんが収集した江戸時代に使われた目薬製造の器具や容器

◆私が知るかぎり、黒田家の秘伝によって作られた「玲珠膏」という目薬は、医学史料によっては確認できません。

目を専門とする医師、目薬販売の業者をふくめて、黒田の苗字をもつ人も記憶にありません。

また、姫路の広峯神社の御師がお札を頒布する際に、官兵衛の祖父・重隆の秘伝の目薬をあわせて販売したという史料も見ませんが、眼科学の知識が普及する以前、寺や神社でそれらしい薬を用立てていたという事例は少なくありません。

島根県の一畑薬師、宮崎県の生目神社が、目にかかわる信仰で有名です。

◆現代では多くの人が専門的な医療を受けることができるようになって、想像するのも難しいことですが、長い間、医療は、宗教や呪術が肩代わりしていました。

したがって、宗教と医療は、人類の歴史とともに深いつながりを持っています。

馬嶋流をはじめとして江戸時代に隆盛した眼科流派の多くが寺院から発祥しており、完全には医療と宗教が分離していない状態が続きました。

明治以降、寺院における医療行為が禁止され、西洋流の医学を教える学校ができたため、馬嶋流の眼科は急速に衰えました。

◆私の生家は江戸時代の天保年間から続く眼科医で、もともとは御殿医でしたが、のちに市中で開業しています。

あわせて目薬の販売も手がけていました。

眼科医は実入りのよい職業ではなかったようですが、目薬商いは割合と収益があがっていたと伝え聞いています。

◆中世、近世では点眼用の目薬の容器は、ハマグリなどの貝殻でした。これはNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』でも、正しく再現されていました。

流派によっては陶器の容器もありますが、ハマグリが一番多く使われています。大きさも手頃で大中小に別けられて、密閉性にすぐれているからです。

貝殻のなかにペースト状の膏薬を入れて販売するのですが、使うときは、夜、井戸水を貝殻の片側に入れて膏薬を一晩寝かせるのです。

薬の固まりから薬効成分が染み出るので、それを点眼します。

膏薬の原料は鉱物や薬草を混ぜたものです。その成分や比率が秘伝とされることもあります。

黒田官兵衛目薬伝説2

膏薬の目薬。ハマグリの貝殻に水を注ぎ、一晩寝かせて点眼する

◆史実かどうかはさておき、黒田家の目薬は「玲珠膏」という名が伝わっています。

「珠」の字には真珠の意味もあります。

江戸時代の記録には「真珠散」という目薬もあって誤解されがちですが、原料は真珠ではなく、牡蛎の貝殻です。

玲珠膏についても同様のことがいえるかもしれません。

牡蛎の貝殻をいかにしてパウダー状にするか、異物感が無く鼻腔から吹き込めるか、どうすれば粉末を軟膏として使えるかなどにおいて、ちょっとした秘伝があったようです。

牡蛎であれば何でもいいというわけではなく、大阪府南部の海で採れる牡蛎が上質の原料であったといわれています。

黒田家の目薬をめぐって、カエデ科のメグスリノキのことが話題にのぼることがありますが、これはお茶と同じく煎じて用いるものです。珍しい木ではないので、一般的な民間療法といえます

【奥沢康正】

 


目を守りたいという思いから刀鍛冶たちは天目一箇神を信仰

第二章「鉄の地名としての黒田」の浦上宏氏(岡山県瀬戸内市長船町在住)は、備前国(岡山県南東部)の地域史の研究者であり、地名の研究者でもあります。

地名のなかでも、鉄や鍛冶に由来する地名を調べ、著書や個人のホームページで発表。

岡山県は古代において日本列島を代表する鉄の産地であり、備前長船、福岡一文字派によって知られる日本刀の産地でもあります。

福岡藩黒田家の公認家伝『黒田家譜』によると、黒田氏の先祖はもともと北近江(滋賀県長浜市木之本町黒田)にいて、官兵衛の曾祖父の代に備前福岡に移住し、その後、姫路に移ったとされています。

なぜ、日本刀の聖地、備前福岡に移住したのか?

黒田一族をめぐる大きな謎のひとつです。以下、浦上氏より。

◆私はこの二十年ほど、岡山県を中心として、鉄にかかわる地名を採取していますが、「黒」のつく地名は、鉄あるいは鍛冶にかかわる事例がきわめて多いのです。

岡山市の黒尾、総社市の黒尾、倉敷市の大黒山、真庭市の黒取山。いずれも鉄にかかわる地名です。鉄の古称をクロガネといいますが、地名においてはクロ(黒)だけで鉄という意味を表すこともあります。

◆黒田官兵衛の本当のルーツは、近江国の黒田なのか、それとも播磨国の黒田なのか、それとも別の所なのか、論争はあるものの、結論を出すのは難しいようです。

しかし、ほかの多くの武将と同じく、黒田という土地に居住したことによって、黒田を称したはずです。

どこの地方の黒田かはわからないまでも、黒田官兵衛の先祖は、黒田という土地に住んでいたのです。それがどこの国の黒田であれ、鉄にかかわりの深い土地であった可能性があります。

◆瀬戸内市立の備前長船刀剣博物館のすぐ近くにある靭負神社は天王社ともいい、刀鍛冶の崇敬をうけていた神社です。

それほど長くない参道とこぢんまりとした拝殿があり、住宅地にある平凡な神社のたたずまいですが、古来、このあたりは刀工の居住地であり、天目一箇神が祭神のひとつとなっています。

天目一箇神は『日本書紀』『播磨国風土記』『古語拾遺』に登場し、剣や鑑などの制作に携わっていることから、鍛冶、製鉄にかかわる人たちに信仰されています。

漢字表記のとおり、片目の神であり、片足あるいは足を痛めて歩行が不自由であるとも信じられてきました。

製鉄や鍛冶にかかわる人たちは、強い火に目をさらすことが多いので、目を傷めやすく、中には片目あるいは両目を失明することもあったようです。

刀鍛冶たちが天目一箇神を信仰していたのは、健全な目を守ってほしいという祈願をかけたものです。

岐阜県の関が今日も刃物産業の盛んな土地であるのとは違い、備前の長船町では産業としての鍛冶は途絶えてしまいました。

しかし、靭負神社には「目」にかかわる信仰が残っており、平仮名の「め」の字を書いた半紙が拝殿の壁面などに張られています。

太々とした「め」の字もあれば、小さな「め」の字を繰り返し書いて、半紙いっぱいの「め」の字ができているものもあります。

もちろん「め」は「目」のことであり、眼病平癒を祈願するためのものです。

【浦上宏】

黒田官兵衛目薬伝説3

備前刀工の守護神であった一つ目の神を、今、眼病快癒を願う人々たちが信仰する(岡山県瀬戸内市長船町の靱負神社)

実は浦上宏さんの奥様は旧姓黒田。

その家には「黒田官兵衛の兄」から続く系図が伝わっています。

官兵衛の兄は、福岡藩黒田家の系図にはもちろん出ていませんが、小和田哲男氏監修『黒田官兵衛』(宮帯出版社)でも取り上げられ、一部で話題になっています。

「きわめて個人的な研究」として、浦上さんはこの官兵衛の兄について長年、調査しており、今回その研究の概要を話していただきました。

 

山中鹿介が官兵衛と縁者だったかもしれない

第六章では、系図研究の第一人者である宝賀寿男氏(日本家系図学会会長)が、江戸時代の豪商で、明治時代には財閥のひとつであった鴻池家の公認系図から、黒田一族にかかわる記述を紹介しています。

これまた史実かどうか判然としない話ですが、鴻池というのは屋号、苗字は山中、その始祖は、大河ドラマ『軍師官兵衛』にも登場した山中鹿介(俳優は別所哲也)の実子だというのです。

鴻池の系図が正しければという話ではありますが、山中氏は播磨国の黒田氏の分流であり、もしかすると、官兵衛と山中鹿介は縁者かもしれない──ということになるのです。

鴻池家の系図は一般に公開されているものですが、黒田氏に関する記述はあまり注目されていないようなので、そこにフォーカスしてみました。

※以下の引用にある鈴木真年は、幕末生まれの国学者で、系譜研究によって知られています

◆『百家系図稿』は、鈴木真年の集めた系図史料ですが、未整理なところもあるので草稿的なものだとみられます。

こちらは三菱系の静嘉堂文庫に所蔵されています。

鈴木真年は、鴻池家の系譜の整理に携わったことがあるので、同家に伝わる諸史料をくまなく探索できる立場にありました。

昭和期においては、宮本又次氏(大阪大教授など歴任)が同家の協力を得て、一族の歴史を記す『鴻池善右衛門』(吉川弘文館人物叢書)をまとめています。

◆『百家系図稿』巻十九にある鴻池家の系図は、山中鹿介幸盛の子・幸元を鴻池家の始祖としており、『諸系譜』巻八の「山中氏世系」もほぼ同じ内容ですが、山中鹿介の祖先は播磨国多可郡の黒田氏から出たとされています。

鎌倉幕府滅亡の前後の混乱期、近江国にいた佐々木一族の黒田宗信が、播磨国の有力者赤松円心に属して多可郡のうちに三千五百貫を領し、黒田城に居したというのです。

私は近江からの移住には疑問を感じます。

【宝賀寿男】

黒田官兵衛目薬伝説4

鹿の角の兜をかぶった山中鹿介は今も地元の英雄(島根県安来市提供)

 


黒田家の目薬商いのことが書かれた『夢幻物語』

福岡県在住の歴史家・石瀧豊美さんには、黒田家の目薬商いのことが書かれた『夢幻物語』について解説していただきました。

江戸時代に書かれた作者不詳の本ですが、虚偽の内容が多いとして、学術的な研究者にはあまり評判がよくないようです。

◆実録体小説という江戸文学のジャンルがあります。

現実に起きた事件などを題材に虚実おりまぜて描いた読み物ですが、『夢幻物語』は実録体小説の一種ではないかと私は見ています。

実録体小説は将軍家、大名家の内情や秘密に触れることもあるので、発行者、著者がわからないよう、印刷された刊本ではなく、手書きの写本で流布しています。

◆『夢幻物語』もこの形態で世に出ており、作者は夢幻老人と称し、本名は不詳です。

もしこの見通しが正しければ、『夢幻物語』は虚実混交の中の核心部分に、真実がふくまれている可能性があります。

多くの〈虚〉の中にわずかな〈実〉をもぐりこませることこそ、実録体小説の作者の腕の見せ所です。作者は序で、もうひとつの実録体小説『古郷物語』を意識してもいます。

黒田官兵衛目薬伝説5

『夢幻物語』によると、滋賀県近江八幡市安土町に鎮座する沙沙貴神社のお告げで、官兵衛の先祖は近江から備前へ赴く。沙沙貴神社から、織田信長の安土城まで車なら十分足らず

◆ともすれば真実は一〇〇かゼロか、白か黒か、と判定されがちですが、私は灰色も含めていいと考えているのです。

仮に三〇パーセント程度の真実があるとしましょう。

それを一〇〇パーセントと強弁しなければ史料価値はあるとみていいのではないでしょうか。

家伝の目薬で財をなしたというのは、ほんの少しでも核になる話がなければ成り立つものではありません。

【石瀧豊美】

実は石瀧さんの母方は四百年ほどまえから続く眼科医の家系です。

江戸時代、福岡県須恵町は眼科と目薬づくりによって著名で、東北、北陸など遠方から来る患者のための宿が建ち並んでいたそうです。

黒田家の目薬商いとは直接かかわりませんが、「目薬の村の記憶」と題して、ふだん耳にしない面白い話を語ってくれました。

石瀧さんの父方は、黒田家の家臣団で比較的知られた馬杉氏の分家筋です。

江戸時代以降の武士とは違い、戦国武将については正確な史料が少なく、学者泣かせですが、その分、歴史好きの人たちにとっては突っ込み所が多いという楽しみがあります。

主君として仕えた豊臣秀吉と同じくらい、官兵衛は謎の多い人物なので、一般の人が、ああでもない、こうでもないと考えるネタには事欠きません。

『黒田官兵衛目薬伝説』は、官兵衛にまつわるさまざまな「謎」を提示しています。残念ながらその答えはほとんど用意できませんでした。

読んでいただく方には智恵をしぼって、謎解きに挑戦していただきたいと思います。

文/蒲池明弘(桃山堂株式会社編集者)

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蒲池明弘

歴史関連の著書を多数執筆。1962年福岡市生まれ。幼少期から高校時代まで長崎市で過ごす。 早稲田大学卒業後、読売新聞社に入社し、東京本社経済部・さいたま支局などで記者として勤務。 退社後は、神話・伝説・考古・地質といった領域が歴史と交差する地点に着目し、独自の取材・調査に基づく執筆活動を続けている。 ◆主な著書 『火山と断層から見えた神社のはじまり』(双葉社、2024年) 『「馬」が動かした日本史』(文春新書、2020年) 『邪馬台国は「朱の王国」だった』(文春新書、2018年) 『火山で読み解く古事記の謎』(文春新書、2017年) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001175602

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