武士や軍人というと強靭な精神力の人しかいないように思いがちなもの。
しかし、繊細な心の持ち主も意外なほど多くいました。
今回はその中でも最も有名かもしれない人のお話です。
大正元年(明治四十五年・1912年)9月13日、元軍人で学習院院長だった乃木希典とその妻が明治天皇に殉死しました。
東京の地下鉄駅「乃木坂」の由来でもあります。
この日は明治天皇の大喪の礼(お葬式)が執り行われた日でもあります。
江戸時代(1849年)生まれとはいえ、既に世の中が変わって久しいこの時期に、なぜ乃木は殉死を選んだのか。
司馬遼太郎『坂の上の雲』では愚将の筆頭格として描かれましたが、それはもちろん関係ありません。
大きな原因は、日露戦争での様々な出来事にあるといわれています。
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戦争で息子二人を失った乃木希典
日露戦争で乃木は、二人の息子を亡くしました。
本心がどうだったかはわかりませんが、少なくともこのときは当時の軍人らしく「これで世間に申し訳が立つ」と言っていたようです。
戦争は多くの人の息子や旦那さん、父親が死ぬもの。
それは軍を率いている将軍だって例外ではありません。
しかし、このとき亡くなったのは当然ながら、乃木の息子達だけではありませんでした。
特に次男が戦死した旅順要塞(現在の中国大連市)の戦いの犠牲は凄まじく、総兵力13万に対し死傷者は6万といわれています。
戦いで死んだなら(よくはないけど)まだしも、さらに、脚気が原因とされる病死者も多く出てしまいました。
脚気はビタミンB1の欠乏で起こる病気で、特に乃木が率いていた陸軍ではその被害が大きかったのです。
逆に海軍では陸軍ほど脚気で死者を出すことはありませんでした。
同じ国の軍隊でなぜ差が出たのかというと、当時の医学の受け取り方に違いがあります。
よくわからんけど麦飯がいいんでは?
当時の医学は大きく分けて二つの系統がありました。
「事実があってナンボ」のイギリス式医学
「理論が第一」のドイツ式医学
海軍は前者、陸軍は後者の医学を取り入れていました。
そのため海軍ではさまざまな食事や階級を比較し、どんな層に脚気が多いのかを調べた結果、
「原因よくわからないけど、麦飯がいいんじゃね?」
という結論に至ります。
そして実践したところ、数十名程度の患者で済んだのです。
これに対し「脚気の原因は細菌に決まってる!!」と信じ込んでいた森鴎外の進言を受け入れていた陸軍ではそうした対応をしませんでした。
結果、脚気により亡くなった兵士の数はなんと約2万7000人にものぼりました。
乃木ほどの立場の人間でしたら、陸軍と海軍における脚気死者数や食事の違いについて、全く知らなかったという可能性は低いでしょう。
もともと激戦が予想されていた旅順ですから、戦死はある意味でやむなしと受け取ることもできます。
しかし、脚気による病死は防ごうと思えば防げたともいえるのです。
完全に乃木の責任とはいいきれませんが、自分の判断が間違っていたばかりに2万以上の兵を死なせたとしたら……一般人の感覚ではその恐ろしさを推し量ることすら困難というものでしょう。
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