シンガーミシン/photo by Vincent de Groot wikipediaより引用

幕末・維新

マシンが訛ってミシン〜最初はペリーやジョン万次郎が日本に持ち込んだ

1851年(日本は幕末・嘉永四年)8月12日は、アメリカ人のアイザック・メリット・シンガーが【ミシンの特許】を取得した日です。

重要なのは、シンガーはミシンの発明者ではなく、改良の後、最終的に特許を取った人だということです。

ということで本日は、シンガーの人生ではなく、ミシンの発明と普及の経緯をお話していきますね。

アイザック・メリット・シンガー/wikipediaより引用

なお、TOPの画像がシンガーミシン(photo by Vincent de Groot wikipediaより引用)となります。

 


原型は16世紀のイギリス その名の通り「編み機」と呼ばれた

ミシンの原型となったのは16世紀のイギリスで作られた編み機という機械です。

編み機というのはその名の通り、編み物ができる機械のこと。
今では簡略化されたものがありますが、昔はもっとメカメカしいものでしたので、ミシンの原型といえば何となくわかる気もします。

つまり「機械で手芸用品を作る」という概念自体は16世紀にあったということですね。

そして時代が下がって18世紀から19世紀にかけ、縫い物をするための機械改良が進みました。

中でも有名なのは、フランスのバーシレミー・シモニアという人が軍服を縫うために作ったミシン……ではなく、それに関する事件でした。
この人、町の仕立て屋さんたちに襲われてミシンを壊されてしまったのです。

「こんな機械があったら俺たちの仕事がなくなるだろ!」

そんなもっともな理由でしたが、自分たちが使えるようになれば効率上がって報酬も増えるのではないか、と……。

確かに機械化されれば、トータルでの必要人数は減りますけどね。

この頃はナポレオン直後の時代でしたので、ヨーロッパのあっちこっちで戦争が起きていた頃ですから、ともかく、あっちこっちで軍服の需要があったし、上流階級の女性向けドレスやらなんやらで仕事は山のようにあったと思います。
フランスにこだわらなければ、他の国へ稼ぎに行っても良い話です。

「自分で工夫するのはイヤだ!! 俺に都合を合わせろ!!」というのでは、いつの時代のどこの国でも通用しませんね。

 


日本へ最初に持ち込んだは、あのペリーだった!?

シモニアと同じ時期に、アメリカでもミシンが作られています。
が、最初に発明したウォルター・ハントが特許を取らず、別の人が特許を取ったためにいろいろとめんどくさいことになったようです。

現在でも特許は早い者勝ちなところがありますが、当時は特許という概念がある人も多くはなかったでしょうから、仕方ないのかもしれません。
ハントが作ったものも現在のミシンとほぼ同じ構造だったと言われ、最終的に特許を取ったのは上記の通りシンガーでした。

最初に日本にミシンを持ち込んだのは、ペリーだったといわれています。

マシュー・ペリー/wikipediaより引用

たぶん珍しい機械として手土産にくれたんでしょう。

その後、ジョン万次郎がアメリカ土産として持ってきたこともあったとか。

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日本人で初めてミシンを扱ったのは天璋院こと篤姫だったという説が有力ですが、どっちから彼女の元に渡ったのかははっきりしないようです。
立場的にどちらもありえそうですしね。

また、ソーイング・マシンという名前で入ってきたようなのですが、「マシン」がなまって日本語では「ミシン」になったんだそうです。

こういうの他にもありますよね。
「アメリカ」が「メリケン」とか。

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大正時代に量産がスタート 麦わら帽子専用まで!?

現在のミシンはかなり小型化されています。
この時期はまだ人力ミシン(足踏み式ミシン)という大型の機械でした。

本格的に入ってきたのが明治時代だったからいいものの、もし江戸時代だったら皆和服なので、使いにくかったでしょう。
いいタイミングで伝わったものです。

今でも熟練者の場合は、足踏み式のほうが電動ミシンより使いやすいらしいそうですが……そこまでいくともう職人の域ですね。

かくして国産ミシンは、明治時代のうちに作られ始めたようです。
最初に携わったのが大砲職人だったらしいのですが、なぜその人選にしたし。金物といえば金物ですけれども。

お偉いさんがやらせたのか、自主的にやったのかはっきりしないところがまた謎に拍車をかけます。
提灯職人に蒸気船作らせた伊達宗城といい、どっちにしろ日本人の発想柔軟すぎやろ。

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ともかく、大正時代には日本でもミシンの量産が始まりました。

当然のことながらまだまだ輸入品には性能が追いついていません。

しかし、現代の家電同様、日本製のほうが壊れにくく品質が安定していたため、少しずつシェアが逆転。麦わら帽子用のミシンというのも大正時代に生まれたのだそうで、日本は、この頃からガラパゴスだったんですねえ。ちょっと違うか。

 

少子化対策で一家に一台いかがでしょう……

戦時中は皆さんご存知の通り、そもそも産業に余裕がなかったので、家庭用ミシンの製造は禁じられ、作られたのは軍事用(軍服用?)ミシンだけ。

戦後は、いくつかの理由で工業用・家庭用共にミシンの製造が飛躍的に増えていきます。

日本の主要輸出品として既製服が入ったこと。当時は「女性は結婚したら家にいるのが当たりまえ」だったので、家にミシンがあれば内職をして収入を得ることができる。それが主な理由だったようです。外で働くにしても、女性を受け入れる職場が今よりずっと少なかったですし。

これはワタクシ個人の想像ですが、この辺からお母さんが子供に手提げバッグなどを作るのが当たり前になったのかもしれませんね。

今では一時期ほどの需要はなくなっているように思いますけれども、使いこなせるとカッコイイものの一つといったところでしょうか。

うまい人はルームウェアなどもご自分で作りますしね。好みの柄や素材の布で服を作れるというのはなかなかスゴイ技能だと思います。

世の男性陣には「ミシンなんて役に立たないじゃん」という意見の方も一定数いますが、奥様が欲しいといったときには買ってもいいんじゃないですかね。そもそも使えないと欲しがりませんし、そういうところから夫婦円満って生まれる気がしますし。

当コーナーは夫婦円満による少子化解決を推奨しております。

長月 七紀・記

【参考】
アイザック・メリット・シンガー/wikipedia
ミシン/wikipedia
KNITLABO


 

 



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