まんが日本史ブギウギ

まんが日本史ブギウギ11話 知られざる律令格式の功労者・粟田真人、唐へ渡る

2017/03/16

歴史の授業で誰もが最初に習う日本の外交政策は、やっぱり「遣隋使」でありましょう。
600年から614年に渡って計6回。
日本側の記録ですと607年の小野妹子から計5回となりますが、随の倭国伝にその記述があり、「えっ、妹子が最初じゃないんかーい!」と軽くサプライズですね。
んで、その後はどうなったのか?
618年に随が滅びて、次に「遣唐使」となるのは皆さんご存知だと思われますが、意外にも随が滅びた割とスグの630年に送られております。
犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)という、日本史受験ではそこそこメジャーな方。
興味深いのは8世紀に入ってから。そのトップバッターは、701年の粟田真人さんでありました。
第11話、スタート!!!

いったん海に出れば到着まで気の休まるところがない「遣唐使」。
630年から数えて8度目となる一団を率いていたのが粟田真人さんでした。618年に随が滅びて、中国は唐王朝に突入していたんすね。
なお「執節使」という役割は「大使」よりも格上であり。あまり知られてないかもしれません。この機会にゼヒ!

 

粟田真人さんの渡航(701年)は、いったん延期となりましたが、翌702年に高橋さんはその任から外されます。

 

中国王朝ってほんっとややこしい!
受験で世界史を選択する人はホント大変かと思われますが、唐王朝の合間に史上初の女性皇帝となった武則天さんは「周」王朝を樹立し、後にまた唐に戻ります。

 

唐(周)の都を見た粟田真人はビックリ仰天!
藤原京は都の中心に宮殿が置かれておりましたが、長安では北端に――と、こうした都市計画の仕組みだけでなく、律令とそれを補佐するための格式など、色々と学んで帰国するのでした。
それはもちろん日本でも活かされます。
かなり後のことになりますが「延喜式」なんかはその一つですね。
歴史はまさに連綿と繋がっているのでありました。

 

著者:アニィたかはし

武将ジャパンで新感覚の戦国武将を描いた『戦国ブギウギ』を連載。
従来の歴史マンガでは見られない角度やキャラ設定で、日本史の中に斬新すぎる空気を送り続けている。間もなく爆発予感の描き手である(編集部評)

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アニィたかはし

漫画家。現在は武将ジャパンにて、まんが『大河ブギウギ べらぼう編』シリーズを連載中。 2014年より歴史漫画家として活動を開始し、2015年には連載作品をまとめた商業コミック『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社)を全国発売。 以降、独自のポップ表現と歴史知識を融合させた「ブギウギシリーズ」を継続し、戦国・江戸・幕末など幅広い時代を題材とした作品を制作している。 2024年からは大河ドラマの各回を題材にした“ドラマ考証型マンガ”へと表現領域を拡大し、作品の幅をさらに広げている。 ◆主な著書 『織田信長の戦国ブギウギ』(鉄人社、2015年、ISBN:978-4865370324) ◆国立国会図書館データ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/001200494

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