戦国時代の僧侶といえば、裏方の相談役というイメージがあります。
大名の知恵袋や外交の使者として、表舞台から一歩引いた場所で動く――実際、大河ドラマで見かける僧侶といえば大体そうした働きをしています。
しかし中には、自ら軍勢を率いて戦場に立ち、敵の城を落とした僧侶もいました。
弘治元年閏10月10日(1555年11月23日)に亡くなった太原雪斎(たいげん せっさい)です。
今川義元の懐刀として知られる臨済宗の僧侶であり、武田・北条・今川の甲相駿三国同盟の立役者ともされる雪斎は、実は戦場でも活躍していました。
ではどれほどの戦績が残されているのか?

太原雪斎イメージイラスト
太原雪斎の戦歴を振り返ってみましょう。
候補は3人
戦国時代の僧侶で最も戦に強かったのは誰だ?
そんな問いかけがあるとすれば、真っ先に思い浮かべるのが次の3人あたりでしょうか。
①安国寺恵瓊
毛利家の外交僧であり、関ヶ原の戦いで西軍について敗戦後に処刑となった。
②下間頼廉
本願寺の坊官で織田信長と10年にわたり戦った。
③太原雪斎
今川義元を支え、三河に出陣し、織田方の城を次々に攻略している。
まぁ、安国寺恵瓊については戦ではなく基本は交渉役というイメージですよね。
登場場面は合戦の前後であり、自ら軍勢を率いて勝利を挙げた話は聞きません。

月岡芳年が描いた安国寺恵瓊/wikipediaより引用
下間頼廉は信長を相手に長く戦い、自ら軍勢を率いたことも確認できますが、個々の勝利をどこまで頼廉の指揮に帰せるかは判然としません。
武田信玄や上杉謙信も出家して法名を名乗りましたが、もちろんこれは選考外。
本人が軍勢を統括し、敵城の攻略に関わった実績で比べるなら、最有力候補は雪斎でしょう。
京都で修行した禅僧が戦場へ
太原雪斎は明応五年(1496年)の生まれ。
そもそもは駿河の武士・庵原(いはら)氏が出自で、若くして出家しました。
京都の建仁寺や妙心寺で修行を積み、やがて今川家の五男・栴岳承芳(せんがく しょうほう)の教育係となります。

今川義元(高徳院蔵)/wikimedia commons
天文五年(1536年)、今川家で家督をめぐる争い「花倉(花蔵)の乱」が起きると、雪斎は承芳を支持しました。
承芳は将軍足利義晴から「義」の字と家督相続を認められ、争いを制した後、同年8月までに今川義元と名乗りました。
以後、雪斎は義元の右腕として政治・外交・軍事のすべてに関わっていきました。
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三河で重ねた勝ち星
太原雪斎の戦歴が輝くのは、今川家が西の三河へ勢力を広げていった天文十五年(1546年)以降のことでした。
雪斎は軍事指揮官として三河に出向くだけでなく、義元の指示のもとで検地まで行っており、戦と国づくりの両方を任されていたのです。
それでは三河での雪斎の戦歴を見てみましょう。
天文十五年(1546年)
今橋城攻めを統括/同年末から翌天文十六年(1547年)にかけて今川方が攻略した
天文十七年(1548年)
雪斎が三河にいる中、小豆坂の戦いで今川勢が織田信秀を破る
天文十八年(1549年)
安城城を落とし、信秀の子・織田信広を生け捕りにする
研究者の糟谷幸裕氏は著書『今川氏年表 氏親 氏輝 義元 氏真』の中で、雪斎が今橋城攻めを統括していたと記しています。
安城城を落としたときも、雪斎は遠江の天野景泰に、織田方の援軍に備えて安城に残るよう指示を出したことが、当時の文書から確かめられます。
雪斎は、ただ陣中にいただけの僧侶ではなく、実際に武将たちを動かす立場にあったのです。
しかも安城城で捕らえた織田信広は、織田家に人質として取られていた松平竹千代と交換されたといいます。
この竹千代こそ、のちの徳川家康です。

徳川家康/wikimedia commons
雪斎の勝ち星が、家康を駿府へ迎えるきっかけにもなったのですから、歴史の巡り合わせとは不思議なものでしょう。
雪斎を失った今川家
太原雪斎は、戦わずに勝つ外交や、京都とのつながりでも力を発揮しました。
天文十四年(1545年)には武田・北条との交渉役を務め、天文十九年(1550年)には上洛して内裏で歌会を主催、高僧の証である紫衣の着用を許されました。
雪斎が亡くなる前年には、今川・武田・北条の甲相駿三国同盟も結ばれています。

同盟を結んだ北条氏康・今川義元・武田信玄/wikipediaより引用
その雪斎が亡くなったのは、弘治元年(1555年)閏10月10日のことでした。
すると翌年、今川家が押さえていた三河では、国衆の離反が相次ぎます。
『今川氏年表』は、雪斎という柱石を失った今川領国下の三河が、この年に「激震」を迎えたと記しています。
さらに雪斎の死から5年後の永禄三年(1560年)、義元は桶狭間で織田信長に討たれましたので、その不在は今川家に大きく影を落としたと言っても過言ではないでしょう。
なお、雪斎の生涯や小豆坂の戦いについては、以下の関連記事で詳しく紹介していますので、併せてご覧ください。
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参考文献
- 大石泰史編『今川氏年表 氏親 氏輝 義元 氏真』(2017年7月 高志書院)
- 日本史史料研究会監修・大石泰史編『今川氏研究の最前線』(2017年6月 洋泉社)



