織田家 信長公記

毛利軍が上月城を包囲! 織田も大軍を送り出す、が~信長公記164・165話

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
毛利軍が上月城を包囲!
をクリックお願いします。

 

出陣準備を進めるも豪雨に見舞われ

戦国大名にとって、敵は他の大名だけではありません。

せっかく出陣した織田軍ですが、天正六年(1578年)5月11日から、京都周辺で丸二日以上も豪雨が続きました。

村井貞勝がかけた四条の橋や、多くの家も流されて、多数の死者が出たといいます。

新暦では6月中旬頃のことですので、豪雨があってもおかしくない時期です。

しかしこの雨の前から、信長は「5月13日に出陣する」と命じていました。

信長は基本的に、予定を決めたら変更しない人です。そのため、皆は今回も予定通り出立するだろうと考え、雨の中で出陣の支度を続けました。

淀や鳥羽などの者たちは、数百艘の船を手配し、五条の油小路まで参上・待機したそうです。

この報告を受け、信長は大変喜んだとか。

『信長公記』にはこの後出陣したのか、そもそもどこへ行く予定だったのかが書かれていません。

前の節の流れからして、既に中国方面へ出陣していた信忠たちの後詰に行く予定だったと思われます。

しかし、24日には秀吉軍からの使者として竹中半兵衛(重治)が京都へやってきていますので、おそらくこのときの信長は京都にとどまっていたのでしょう。

竹中半兵衛重治
官兵衛と並び称される天才軍師の実像~竹中半兵衛36年の生涯まとめ

続きを見る

 

一息ついて祇園会見物や鷹狩など

半兵衛は備前八幡山の城主が秀吉軍の味方についたと報告し、信長はこれにも満足。

秀吉に黄金100枚、半兵衛に銀子100両を下賜しています。

この報告を受け、中国方面にはまだ自ら出陣する必要がないと感じたのか、27日には洪水の被害を確かめるため、信長は一度安土へ戻りました。

お小姓衆だけを連れて行ったとのことですので、最初からすぐ戻るつもりでいたと思われます。

また、松本~矢橋の間は、琵琶湖を舟で渡ったとあります。

安土の被害については特記がありませんが、6月10日には同じルートを使って再び上洛しています。洪水の被害自体はさほどでなくても、それなりに処理すべきことがあったのでしょう。

おそらく信忠はまだ中国に対陣中の時期だったと思われますし、美濃・尾張などの状況を確かめ、指示をしていたのかもしれません。

再上洛後の6月14日には、祇園会見物をしています。

このとき、信長は身辺警護をするお馬廻衆・お小姓衆にも「武装は無用」と命じていたとか。そのため、みな武器を持たずにお供をしたそうです。

その後、お小姓衆10人ほどを連れて鷹狩に出かけています。なんだか意外と呑気ですが、行き先は書かれていません。

この日は、近衛前久に普賢寺(京田辺市)あたりで知行1500石を進呈したそうですので、このお寺の近くへ行っていたのでしょうか。

近衛前久
信長や謙信と親交深かった近衛前久~本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏

続きを見る

次回は「神吉城と志方城」の攻略に取り掛かります。

あわせて読みたい関連記事

吉川元春
吉川元春(毛利元就の次男)が熱い~11才で初陣の勇将と奥様に注目

続きを見る

小早川隆景
元就の三男・小早川隆景はキレ者ぞ 王佐の才は毛利や秀吉に重宝され

続きを見る

宇喜多直家
戦国の謀殺王・宇喜多直家は本当に謀将?没落の身から息子は五大老へ

続きを見る

山中鹿介(山中幸盛)
山中鹿介(幸盛)は戦国一の忠義者?七難八苦に立ち向かった生涯とは

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ

続きを見る

荒木村重
信長を裏切り妻子を捨てた荒木村重 “道糞”と蔑まれた生涯52年とは

続きを見る

佐久間信盛
織田家の重臣・佐久間信盛はなぜ信長に追放された?退き佐久間の最期

続きを見る

滝川一益
滝川一益は信長家臣で最強のオールラウンダー?62年の波乱万丈な生涯

続きを見る

明智光秀
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?

続きを見る

丹羽長秀
丹羽長秀は安土城も普請した織田家の重臣「米五郎左」と呼ばれた生涯51年

続きを見る

細川藤孝(細川幽斎)
細川藤孝(幽斎)は文武芸術に通じた光秀の盟友~しかし本能寺後は

続きを見る

織田信忠
信長の嫡男・織田信忠が生き残れば織田政権は続いた?26年の儚い生涯

続きを見る

織田信雄
織田信雄(信長次男)は本当に愚将だったのか?どうする家康浜野謙太

続きを見る

竹中半兵衛重治
官兵衛と並び称される天才軍師の実像~竹中半兵衛36年の生涯まとめ

続きを見る

近衛前久
信長や謙信と親交深かった近衛前久~本能寺後に詠んだ南無阿弥陀仏

続きを見る

信長公記をはじめから読みたい方は→◆信長公記

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
日本史史料研究会編『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon
谷口克広『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
谷口克広『信長と消えた家臣たち』(→amazon
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon
峰岸 純夫・片桐 昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon

TOPページへ

 



-織田家, 信長公記

×