そんな言葉が示すように、食べ物に執着しないことがサムライの嗜みであり、美徳であるとされてきました。
事実、たゆまぬ武術の鍛錬と、粗食に耐えて長期間にわたる戦闘をこなすことは戦士としての条件でもあり、美食に堕することを忌み嫌うのは当然のことともいえるでしょう。
しかーし!
ほんっとに毎日毎日「一汁一菜」とか、「菜は味噌に梅干し」とか言ってたの?
たまにはハメはずして飲み食いしたりしなかったの?
なんて、食いしん坊の著者は勘ぐったりしまして。
で、見つけました見つけました!
現在の和歌山県橋本市を根拠地とした有力土豪である「隅田一族」、その宴会メニューが残されていたのです。
海老、あわび、このわた、カラスミ……超絶豪華!
「隅田一族」は『太平記』にも登場する在地の土豪集団で、『葛原家文書』には永正九(1512)年の饗宴における献立が記されています。
それによると、七五三の膳に菓子九種、そして十五献のメニューからなる超絶豪華なもの。
しかもその合間には「能」が上演されるという何ともセレブなものだったのです!
なかからいくつか抜粋してみましょう。
〇ゑひ(海老)
〇こいさしミ(鯉刺身)
〇くしら(鯨)
〇からすミ(カラスミ)
〇まつたけ
〇さたうやうかん(砂糖羊羹)
〇まなかつほさしミ(マナカツオ刺身)
〇あわひしほ(鮑塩)
〇くらけ(クラゲ)
〇このわた
〇すゝき(鱸)
〇たこ
〇たいのこ(鯛の子)
〇かまほこ(蒲鉾)
〇くるミ(胡桃)
〇のり(海苔)
どうです!
現代の珍味や高級食材のオンパレード!!
読んでるだけでよだれが出そう。
「カラスミ・コノワタ」ってどんな味するんだろう……。
「アワビ」ってさぞ美味しいんだろうね……。
しかもこれらの超絶メニューの他に百人分の三膳献立、二百人分の一膳献立が用意されたというから、もはやセレブどころの騒ぎではありません。
どうやら参列者の身分によってメニューの品数が変えられたようで、いずれも最低一皿は共通する料理が供されていることが注目されています。
これらの饗宴は単なるお祭り騒ぎではなく、地域内の一族の団結を強める重要なイベントとして位置付けられていたようです。
内陸部なのに16世紀にも刺し身が食えたなんて
さらに注目される点は、その献立に含まれる「海産物」の豊富さにあります。
隅田一族が根拠とした和歌山県橋本市は、大阪府と奈良県の境に隣接する
【内陸部】
に位置しています。
にもかかわらず「まなかつほさしミ」などの新鮮な魚介類を供給できたということは、市内を海に向けて流れていく「紀の川」の水運や、河内や大和・伊勢へのアクセスが容易な交通の要衝にあったことが大きなファクターになっているようです。
このセレブなパーティーメニューは、在地勢力の団結力と豊かな経済力を示す何よりの証拠となるでしょう!
ちなみにこちらは織田信長が徳川家康を接待したときに出されたというメニューを現代に再現したものです。
これまた非常に豪華で……ゴクリ……。
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信長が安土城で家康に振る舞った豪華な食事の中身とは?現代に蘇る信長御膳
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帯刀コロク・記
【参考】
『葛原家文書』
「隅田八幡宮放生会における四斗三百頭について」仲完治『文化橋本 第19号』(1998)
「隅田一族の宴会について」岩倉哲夫『橋本歴史研究会報 第115号』(2000)