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【佐竹義重】
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54万石→20万石への大減封
義宣は大急ぎで狸親子へお詫びと戦勝のお祝いのため使者を出します。
隠居の身ながら義重も「不肖の息子の気が利きませんで申し訳ない! 改易だけはご勘弁を!!」と嘆願して、どうにか家名を残すことには成功します。
しかし、当然ながら全くお咎めナシというわけにもいきません。
佐竹氏は54万石から20万石という大減封の上、常陸国(茨城県)から出羽国(秋田県)へと移封の憂き目にあってしまいました。
さらに後の【大坂の陣】では今福へ突撃させられ、あまりの激戦ぶりに家老が討ち死にするという散々な目にも遭ってしまいます。
それでも現代まで血筋が続いているのですから、最終的に悪くない結果ではあるんですけどね。
秋田に美人を大量に連れてった!?
秋田県知事の佐竹敬久(のりひさ)氏が末裔の一人で、「佐竹のお殿様」と呼ばれることもあるなど今でも名家という扱いをされているようですね。
最近はあの世界最強の大統領に秋田犬を贈り、お返しにサイベリアン(シベリア原産の猫)をもらったそうです。
海外でも戦国武将の末裔って有名なんでしょうか。
ちなみに敬久氏は愛猫家だそうで、贈られたサイベリアンのミール君以外に複数飼っていらっしゃるとか。
しかも、たまに動画をアップしていて、猫好きの方は見てみるといいかもしれません。実にうまやらしい!
義重自身は動物好きだったかどうかわかりません。
が、常陸から移封される際国内の美人をまとめて連れて行った、彼女らが秋田美人の源流だ――なんて話もありますね。
ちょっと強引な説のような気もしますが、佐竹義重が女好きだったのはあるかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon)
佐竹義重/wikipedia
佐竹義宣/wikipedia