小松姫

小松姫/wikipediaより引用

徳川家

忠勝の娘にして信之の妻・小松姫(稲姫)が真田の家を守る~48年の生涯まとめ

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小松姫
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昌幸&信繁親子を沼田城の前で追い返す

そんなわけで、秀吉時代以降は上方にいたとされる小松姫。関ヶ原のときには沼田城での逸話が伝わっています。

この話は文献でも人名がはっきり書かれていないので、学者先生方の間でも意見が分かれているようです。

それを踏まえた上で、有名な逸話をご紹介しましょう。

関が原の戦いの前、小松姫の夫・真田信之と、その父・真田昌幸&弟・真田信繁は袂を分かちました。

いわゆる「犬伏の別れ」というやつで、これは以下の真田信繁(真田幸村)の記事にお譲りしますね。

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ともかく自分の旦那は、父&弟と敵味方になった。

そんな折、敵となった真田昌幸が上田城への道すがら、沼田城へ立ち寄り、小松姫に対し「孫の顔を見たいから中に入れてくれ」と頼みます。

真田昌幸/wikipediaより引用

そこで「孫の顔を見たい」と言った真田昌幸。

小松姫は不審に思い「いくら義父上でも、殿のお留守中に勝手に入れる訳にはいきません」として断ります。

昌幸が城を乗っ取るつもりでいた――それを小松姫が見抜いていたと伝わるものです。

「昌幸はおとなしく引き下がったが、夜になってから小松姫は子供たちを連れて昌幸の陣を訪れた」

「侍女に宿を案内させた」

というパターンもありますね。

沼田城跡にある鐘楼

結婚のエピソードと同様、全てが事実とは信じがたいところであはります。

「小松姫は花も実もある女性だった」ということを強調するために、語り継がれてきたのでしょう。

この時期、小松姫は上方で人質になっていた可能性もありますし。

小松姫は割ときっちりけじめをつけるタイプだったようで、一度敵対したからといって、いつまでも義実家を敵対することはありませんでした。

関ヶ原の後、夫とともに昌幸・信繁に仕送りをしており、武家の人間らしい切り替えを見せています。

 


「一人ぐらい討ち死にすれば!」

次に小松姫の有名な逸話が出てくるのは【大坂冬の陣】のときのことです。

このころ信之は病気になっており、出陣できなかったため、代わりに長男・真田信吉と次男・真田信政が参加しました。

二人とも若年のため、小松姫の弟である本多忠朝の陣に参加することで、折り合いをつけています。息子たちにとっては叔父さんですね。

本多忠朝/wikipediaより引用

小松姫はこのとき、信吉の家臣に向けてこんな手紙を書いております。

「息子はまだ若いので、いろいろ至らないことも多いでしょう。信之殿に免じてよろしく奉公してやってください」

カーチャンらしい気遣い……といいたいところですが、二人の息子が無事役目を終えて帰ってきたとき、小松姫は

「一人くらい討ち死にすれば、我が家の忠心が示せたのに!」

と言ったという逸話があります。

飴がなさすぎる上に鞭が強すぎだよ、カーチャン(´・ω・`)

とはいえ、信吉や信政と小松姫が大ゲンカしたという話もないので、息子たちのほうはカーチャンの気質をよくわかっていたのかもしれませんね。

 


病気療養のため草津温泉へ行く旅の途中

そんな小松姫が亡くなったのは、大坂夏の陣から四年後、元和6年(1620年)のことです。

この頃もやはり、諸大名の妻と同様江戸にいたと思われますが、病気療養のため草津温泉へ行く旅の途中だったとされています。

そんな重病人に長旅をさせたのか、という気もしますが、「駕籠で移動するから、旅程に余裕を持てばおk」と考えられたんですかね。

享年48。

遺骨は小松姫が帰依していた勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺(当時は常福寺)の三ヶ所に分骨され、さらに信之は上田城下と松代城下でそれぞれ小松姫の菩提を弔うためのお寺を建てています。

それだけ小松姫に感謝していたのでしょうね。

夫婦間のエピソードはあまり伝わっていませんけれども、信之が家中や幕府との関係に悩んだときなど、小松姫がアドバイスするようなこともあったのかもしれません。

戦国武将の妻が主役になる創作物というのはあまり見られませんので、そういった夫婦の会話にも力を入れて誰かに物語化していただきたいなぁ。


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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
渡邊大門『井伊直虎と戦国の女傑たち (知恵の森文庫)』(→amazon
歴史読本編集部『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon
小松姫/Wikipedia

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