昔々あるところに石田三成(いしだみつなり)という偉いお侍さんがおりました。
三成さんは豊臣秀吉さんに三杯のお茶を出して気に入られ、家臣になりました。お茶の話は、後世の作り話だと思われますが、それで進めるのです。
家臣になって以来、秀吉さんの側をずっと離れず働き続けた三成さん。
計算がとても得意で、秀吉さんから非常に重宝されます。
なぜなら当時の織田家は、戦場に出て駆けずり回るような戦い方ではなく、大量の兵士と物資で敵を囲み、自軍の被害を最小限に抑える方法が好まれたからです。
なんだか急に難しい書き方になってしまいましたが、自分のゴハンを用意して、敵には食べさせないやり方です。
その算段がとっても上手だった三成さん。
中国大返しで京都へ戻るときも。
山崎の戦いで明智光秀さんを破るときも。
清須会議で領地の配分を決めるときも。
賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いという、長い長~い戦いで敵と対峙するときも。
秀吉さんの軍隊が心置きなく戦えたのは、兵站という難しい役割を陰でこなす三成さんがいたからこそです。
だからこそ三成さんは、みんなから感謝され……ずに嫌われていました。
どうしてわかってくれないの?
仲間内での三成さんの評判は最悪でした。
もともとが偉い秀吉さんの側で「あーだこーだ」言っているように思われがちなお仕事です。
本当はとても大変なことなのに加藤清正さんや福島正則さんなどから目の敵にされ、ついには文禄・慶長の役をキッカケに絶交されてしまいました。
豊臣の家を守りたい気持ちは一緒のはず!
なのに、どうして?
どうしてわかってくれないの?
そう素直に心を打ち明けられたら、秀吉さんを支えてきた仲間たちと仲直りして、徳川家康さんと戦えたかもしれません。
でも、それはできませんでした。
その前に上杉さんと家康さんの間で喧嘩が始まってしまい、関ヶ原の戦いという日本史上最大の合戦へと発展してしまったからです。
「こいつが悪いやつ、三成だよ」
秀吉さんの子供である豊臣秀頼さんを守りたい――。
三成さんはその一心で味方に声をかけ、関ヶ原で東軍と対決しました。
どっちも数万という大軍です。
戦いは、長く続くだろう……と思われていましたが、三成さんは、小早川秀秋さんや脇坂安治さん、小川祐忠さんたちに裏切られてしまいます。
秀秋さんは、最初から裏切るかな?
とも考えていた三成さんですので想定の範囲内だったのですが、他の4人の武将たちが計算外でした。
あっという間の敗北です。
戦場からいったんは逃げることのできた三成さんも間もなく家康さんに捕まり、死刑が決まりました。
でも、すぐには殺されません。
「こいつが悪いやつ、三成だよ」
そう言って京都の街中を引き回しにされ、見せ物とされたのです。
「柿は痰の毒であるから要らぬ」
せっかく豊臣のことを思って頑張ったのに、可哀相な三成さん。
でも、本人は凹んではおりません。
バーカ、バーカ、三成、バーカと言われながら街中を引き回しにされても、喉は乾きます。
「水を一杯くれないか」
三成が一杯の水を所望すると、護衛の兵士は干し柿を差し出しました。
「これでも食え」
そんなパッサパサな食べ物を出されても余計に喉が渇くわ!
いや、唾液が出るから、喉は潤うだろう!
そんな会話はたぶん無かったとは思います。なぜなら三成さんは、さらに斜め上の答えを返してきたからです。
「柿は痰の毒であるから要らぬ」
思わず護衛の兵士は笑いました。
「ははっ。これから死ぬのに状況わかってんの? てか、痰の毒って何?」
これから処刑されるのに「毒」という言葉を出して、体の健康を心配している姿がおかしく見えたのでしょう。
三成さんは続けます。
「豊臣再興という大義を抱く私は、最後まで自分の命を大切にせねばならない。お前ら小者にはわからないだろうがな」
思わず殴りたくなってしまうような言い草です。
でも同時に、三成さんがどれだけ豊臣家を思っていたかもわかります。
仲間から嫌われてしまったのも、ちょっとわかってしまうかも……。
この後、三成さんは処刑されました。
おしまい。
大志を持つ者は最後まで諦めない
ということで石田三成さんの最後を描いた昔話風『三成のかき』(作:五十嵐利休)。
本題は、鞘ェもん氏に描いていただいた、こちらのイラストです!
市中引き回しの上に斬首されたという石田三成。
現代に置き換えれば、電気椅子で処刑されるようなものでしょう。
窓の外で徳川方の旗が
『厭離穢土 欣求浄土』
※おんりえど ごんぐじょうど
『厭離穢土 欣求浄土』
『厭離穢土 欣求浄土』
︙
︙
と、やたらとうるさいのが気になりますが、家康としても勝てたことがよほど嬉しかったのでしょう。
関ヶ原の戦いは一瞬で勝負がついてしまったために、東軍の楽勝だったと思われがちですが、実際は戦力が均衡しているからこそ合戦になるわけで、もしも関ヶ原以前から徳川が圧倒的存在だったら調略だけでも政権は取れていたはず。
そう考えると、三成の「まだわからない。大志を持つ者は最後まで諦めない」というスタンスは、あながち的外れでもないような気はします。
柿の話は後世の作り話である可能性は高いですが、そもそもなぜ三成は「痰の毒」として嫌ったのか?
柿自体に毒性はないですよね。
と、この解釈を考えると少し長くなりますので、以下の記事を御覧ください。
歴女医・馬渕まり先生が考察してくれています。
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【参考】
国史大辞典























