ひたすら槍剣の技術に優れていることか。
それとも類まれな馬術でもって軍団を統率し、いかなる敵をも駆逐することか。
答えは人それぞれであろうが、一つだけ確実に言えることがある。
◯◯がいれば勝てる!
最強とはつまり、誰からも信頼され、戦場では常にその後ろについていきたくなる魅力を伴った武将ではなかろうか。
立花宗茂――本日、文禄の役にて降臨なり。
一戦も交えず退くは武将の恥辱
◆雷を斬ったという逸話から雷神とも呼ばれた立花道雪。その娘・立花誾千代の婿が立花宗茂さんです。
もともとは大友家臣・高橋紹運の嫡男で、同家を継ぐ身分ながら、道雪に強硬に要請されて立花家へ。地元九州での戦功は数知れず、特に島津を相手にしたド派手な戦いっぷりはその名を轟かせ、豊臣秀吉をして「西日本最強の武将」と称されました。
ちなみに東が本多忠勝で、共に歴史に名を残す剛勇っぷりですね。
宗茂さん、文禄の役では一体どんな活躍をしたのでしょう……。
勇将の下に弱卒なし 碧蹄館に月輪かがやく
◆道雪に請われて婿殿となった宗茂さんですが、嫁の誾千代さんとは不仲でした。
だからというわけではないでしょうけど、明の李如松・李如梅を相手にした碧蹄館の戦い(へきていかんのたたかい)では大活躍!
特に配下の十時連久さんは先陣を切って縦横無尽に駆けまわり、まさに「勇将の下に弱卒なし」を体現したのでありました。
ただし、十時さんはこの戦いで……。
あるぇ? 刀が鞘に収まらないや←暴れすぎ
◆碧蹄館の戦いで敵を討ちまくった宗茂さんの刀は、使いすぎて曲がってしまい鞘に戻らなかったと言います。
また、返り血を浴びた馬は真っ赤になり、敵将の兜首を4つも馬にぶら下げていたとか。
後に関が原の戦いで改易となった西軍大名の中で、旧領を復活したのは宗茂さんだけですが、多くの大名が彼の武勇復活を幕府に嘆願したからと伝わっております。
文禄の役でも、それだけ凄まじい働きだったのでしょう。うーん、カコイイ!
※しかし、そのせいで大河ドラマにならないなんて話も><; 放送したらええやないか!
戦場にもたらされた毒矢は誰の命を奪う?
◆この毒矢に討たれてしまったのが、先に登場した十時連久さんでした。
宗茂さん配下にして立花家で筆頭クラスの戦闘力を持っていたのに、なんて切ない最期なんでしょう。ルールも正義もない戦争とはいえ、宗茂さんも言葉がなかったでしょうね。
連久の死後、宗茂さんが「鬼神」と称賛される活躍っぷりを果たしたのも泣かせる話ですね。
うーん、やっぱり惚れる!
(来週へ続く)
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