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西郷どん(せごどん)特集 幕末・維新

有馬新七38年の生涯マトメ!西郷どんでのラストシーンは「おいごと刺せ!」になるか

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西郷隆盛は、熱い仲間に恵まれた。
ドラマ『西郷どん』でも、幼き頃から郷中仲間と野山を駆け回り、何かあれば共に笑い、そして泣き、友情を育みながら武士としての生き方を追求している――。

そんな印象を抱かれる方が多いでしょう。

しかし現実は、熱すぎるが故に非業の最期を遂げている者が少なくありません。
例えばドラマでもしばしば登場するこの5人。

西郷吉二郎
桂久武
桐野利秋人斬り半次郎
村田新八
大山格之助

彼らは全員、西南戦争で共に命を落としますし、このとき敵方に回った大久保利通も翌年に暗殺されています(紀尾井坂の変)。

というか、ドラマに出てきそうな郷中仲間で長生きするのは、
海江田信義有村俊斎
西郷従道(西郷の弟)
・大山巌(西郷のイトコ)
ぐらいのもので、とにかく彼らの生涯の厳しさときたらハンパじゃありません。

しかし、です。
そんな彼らを一回り、いや二回り以上ぐらいに激動の生涯を遂げた人物がおります。

有馬新七――。

ドラマ『西郷どん』でも郷中仲間として登場していながら、今のところほとんど目立ったシーンのない薩摩藩士。
実は、幼き頃より文武両道で知られた天才肌の人物でした。

 

文武に優れた、早熟な少年

史実における有馬新七とはいかなる人物か?
これが実に個性的な方でありまして。

生まれは文政8年(1825年)。
西隆盛が文政10年(1827年)ですから、2才上ですね。

有馬の場合は、父の坂木四郎兵衛が文武に優れた人物として有名でした。
島津家から郁姫(いくひめ・島津斉興の妹、後に養女の島津興子)が京都の近衛忠煕(このえ ただひろ)に嫁いだ際、付き人として抜擢されるほどです。

この父が後に有馬家へ養子に入ったため、その子・新七も、生まれ育った伊集院郷から、1827年に加治屋町へ移り住むことになりました。

武芸は神影流の剣術。
学問は崎門(きもん)学。
父譲りの文武に優れた資質は、息子である新七にも引き継がれました。

そして天保14年(1843年)、有馬は19才で江戸への遊学を果たし、山口菅山に師事。
弘化2年(1845年)にも、上洛の機会に恵まれ、梅田雲浜らと交遊を深めました。

京都で有馬は、近衛家の計らいにより、天皇親祭の新嘗祭を遠くから拝観しております。
以来、激烈な尊皇家となったとされています。

 

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ドラマの設定に難あり!?

有馬は、とにかく頭脳だけでなく運も良かったのでしょう。
以下のように、目まぐるしく出世をしております。

・嘉永4年(1851年)島津斉彬の藩主就任により登用
・安政4年(1857年)薩摩藩邸学問所の教授に就任
・安政5年(1858年)藩命で鹿児島に帰国
・文久元年(1861年)造士館訓導師に昇進

ただし……『西郷どん』の様子と比較すると、少し違和感を覚えませんか?

ドラマでの有馬は、常に西郷の身辺をウロウロしています。
例えば嘉永4年(1851年)の相撲大会(第5話)や、ジョン万次郎との邂逅でもその場におりました(第6話)。

ところが史実の1851年は既にバリバリ働いていたはずで、西郷らと一緒に相撲やら何やらウロチョロしている時間はなかったはずです。

少し時間を戻しまして天保9年(1838年)。
早熟な有馬は、14歳の元服の頃より『靖献遺言(せいけんいげん)』を自習していたと伝わります。

靖献遺言とは、儒学者の浅見絅斎が編纂・執筆した、中国の忠臣や義士に関する書物。
当時、尊皇派の志士には必須のベストセラーでした。

これに対し、『西郷どん』の第1話は天保11年(1840年)ですから、このとき16才の有馬が、お菓子を盗むために島津邸へウロウロ彷徨い込むようなことはまずありえなかったでしょう。
万が一、その場にいたとしたら、ぶん殴ってでも一行のイタズラを止めたのではないでしょうか。

ドラマの内容にケチをつけても仕方ないのですが、有馬の激情極まった思想や最期を思うと、そんなくだらないコトに時間を費やすような描き方は故人に失礼であると感じてしまうのです。

 

過激すぎる尊皇攘夷派

幼き頃から頭脳明晰だった有馬。
こうなると性格もおとなしそうに思えてきますが、実際は真逆でした。

「生まれつきキレやすく過激」
「荒ぶる」
「目上の人の教えに従わない」
と、自認するほど、激しいタチだったのです。

顔にはあばたが残り、その迫力には西郷隆盛でも圧倒されるほど。
周囲の人々は、そんな有馬を「今高山彦九郎」と呼んだとか。

高山彦九郎/wikipediaより引用

高山は、江戸時代後期の尊皇思想家であり、幕末の人物にも大きな影響を与えた人物です。
変わった性格でも知られていました。
優秀で過激な性格の有馬は、そんな高山を彷彿とさせたのでしょう。

こんなエピソードがあります。

あるとき有馬は、役人に尾行されました。
その際、わざと荷物検査をさせまして、役人が唖然とする姿を見て大層おもしろがったとか。
中に、事前に友人から借りておいた女からの手紙が入っていたんですね。

一筋縄ではいかない豪気なタイプという感じで。
さすが薩摩は個性的な面々が多いです。

 

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先鋭化してゆく有馬たち

地頭は優秀。
ときにエキセントリックな性格。
そんな有馬にとって、幕末の混乱期は肌に合っていたのでしょう。

どんどん思想を先鋭化させてゆきます。

特に1858年は複数の問題が一気に噴出した年でありました。

・幕府による無勅許条約調印(日米修好通商条約)
・島津斉彬の死
安政の大獄

安政の大獄においては、月照が入水自殺しただけでなく、西郷が島流しにされ、有馬と親しかった梅田雲浜も獄死します。
一方、有馬は「精忠組」の一員として常に先頭を走るような状態です。
止められるはずがありません。

かくして安政3年(1856年)、幕府のやり方に憤激した有馬は、水戸藩士らと井伊直弼暗殺を計画。
途中で島津久光の牽制にあい、この計画からは手を引くと同時に帰国します。

文久元年(1861年)、造士館訓導師に昇進すると、藩士たちに尊王精神を教え込みました。
それは校風を変えてしまうほどの影響力であり、有馬の教えに大きく感化される者も続出します。

こんな調子で迎えた文久2年(1862年)。
薩摩藩の「国父」こと実質的な指導者である島津久光が、兵を率いて上洛することになりました。

時は今、倒幕すべき――。

有馬は今こそ尊王攘夷派を糾合し、倒幕を実現すべきだと考えます。

そして、それが悲劇の始まりでもありました。

 

倒幕の陰謀、寺田屋にて

1862年に島津久光が上洛すると、倒幕を志す者たちが続々と京都に集まって来ました。

・清河八郎
久坂玄瑞
・品川弥二郎
・寺島忠三郎
・平野国臣
・真木和泉保臣
・吉村寅太郎

久光はこうした動きを察知した上で、不快感を募らせます。
倒幕は時期尚早――。

それが彼の考えであり、当の朝廷からも
「過激な計画を企む者は始末せよ」
と命じられていたほどです。

そのことを伝えても有馬らは止まりません。
彼らは覚悟のほどを示すため、以下の計画を練り、京都の寺田屋に集まります。

その内容は、
・京都所司代の酒井忠義と、関白の九条尚忠を殺害する
・相国寺に幽閉されている青蓮院宮(中川宮朝彦親王)を救出する
・青蓮院宮に、倒幕の詔勅を出してもらう
というものです。

ここまで過激な計画を、久光が見逃すはずはありませんでした。

 

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「おいごと刺せ! おいごと刺せ!」

4月23日。
その日、有馬は「人生最期の日になる」ということをわずかながらでも感じていたでしょうか。

憤激し、寺田屋に集まった有馬らのもとに、久光は大久保利通や海江田信義らを説得に遣わせました。
が、有馬らは応じません。
若さゆえなのか。いくら時期尚早と言われても、盲目的に自身の計画に溺れておりました。

もはや話し合いは意味もなし。時間は終わりました。

久光は、大山格之助(綱良)ら8名の手練れを、鎮撫使として寺田屋へ派遣します。鎮撫とは言うものの、実質的には武力による討伐部隊です。
鎮撫とは、なんてことはありません。
要は武力に依る討伐部隊です。

彼ら鎮撫使は、有馬に寺田屋につくと、もう一度だけ有馬を説得しようと試みました。

「有馬さぁはおいもすか?」
「おらん」
やがて口論となり、激昂した鎮撫使の一人・道島五郎兵衛が「上意!」と叫んで斬りつけます。

「ひとたび刀を抜いたら、ただではおさめるな」
郷中教育でそう習ってきた薩摩隼人たちが、刀を抜いてしまったらどうなるか?

瞬時に、寺田屋は、悪夢と化しました。
同じ郷中で学んだ仲間が、精忠組の同志たちが、薬丸自顕流を学んだ猛者たちが、屋内で絶叫しつつ斬り合う――まさに血の池地獄が広がります。

有馬は道島五郎兵衛と組み合ううちに、刀がヘシ折れます。そして相手の懐に飛び込み、組み討ちになりました。

「おいごと刺せ、おいごと刺せ!」

有馬は傍らの橋口吉之丞にそう叫びました。

橋口は仕方なく、有馬と道島を串刺しにして二人は死亡。有馬は享年38。
道島は、鎮撫使側唯一の死者となりました。

有馬ら寺田屋事件(1862年)の死者は、上意に逆らった者として蔑まれる存在となりました。

その名誉が回復されるのは、約30年後、明治24年(1891年)のこと。
明治政府より従四位が贈られ、彼らの名誉はようやく回復されるのです。

文:小檜山青




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【参考文献】
泉秀樹『幕末維新人物事典
国史大辞典

 

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