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西郷どん特集 幕末・維新

本寿院とは?西郷どんで泉ピン子さん演ずる徳川家定の生母は篤姫と嫁姑バトル?

更新日:

大河ドラマ『西郷どん』で、泉ピン子さんが本寿院を演じることになりました。

『本寿院って誰やねん?』
『たぶん、キツそうなオバハンやろな』
一般的に抱かれる印象としては、だいたいこんな感じでしょうか。

確かに知名度はそう高くなく、出演者の発表会場でも「大奥のドン」という曖昧な紹介に終わっております。

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ピン子さんといえば、ドラマでの「嫁いじり」は有名ですよね。
朝ドラ『マッサン』でも、ヒロイン・エリーをいじめる姑役で強い印象を残しました。

では今作では?

嫁の篤姫をきつ~くいじめそうですが……これについてはいささか誤解が生じそうです。

確かに、本寿院と篤姫は対立しています。
しかし、それはただ嫁が気にくわないという、そんな単純な理由ではないわけで……。

 

シンデレラガールだった本寿院

そもそも本寿院とは、どんな女性か。

生まれは文化4年(1807年)で、父は跡部惣左衛門正寧(諸説あり)。
元々の名は「おみつ(美津)」でした。

彼女の人生に転機が訪れたのは文政5年(1822年)のことです。

15才になって西ノ丸大奥へ出仕を始めるため、姉の浜尾のもとへ泊まりに来ていたおみつは、ある偶然に見舞われます。

第12代将軍・徳川家慶の御中臈(おちゅうろう)候補のお目見え(面接)が行われたのです。
御中臈とは、将軍の側室候補にあった大奥の役職。

もしも選ばれれば一気にスターダムも夢ではありません。

このとき、面接を受けるはずの一名が欠席しました。
担当女中は、そこで浜尾に妹を貸してくれと頼み、現れたおみつ(本寿院)を襖の陰から眺めていた家慶が気に入り、側室となるのでした。

わかりやすく言えばシンデレラガールだったのです。

徳川家慶/Wikipediaより引用

もちろん、このとき家慶には、他にも側室はおりました。
シンデレラが本物の妃となるには、さらなる幸運が求められまして……。

それから約2年後。

文政7年(1824年)、彼女は西ノ丸大奥にて政之介を出産するのでした。

後の第13代将軍・徳川家定です。紛れもなく将軍様の生母。
このことにより彼女には十人扶持が与えられました。

 

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無事に息子・家定は成人したが

あらためて彼女の経歴をスッキリ整理してみましょう。

時系列に沿って簡単な年表に記させていただきます。

文化4年(1807年) 誕生
文政5年(1822年) 西ノ丸大奥に出仕
文政6年(1823年) 将軍家継嗣・徳川家慶の寵愛を受ける
文政7年(1824年) 家慶四男・政之介(のちの家定)を出産、「お部屋様」と呼ばれるように
文政9年(1826年) 六男・春之丞出産
文政10年(1827年) 春之丞夭折
文政11年(1828年)七男・悦五郎出産
文政12年(1829年) 悦五郎夭折

家慶は、14男13女という多くの子に恵まれたものの、成人できたのは四男・家定のみ。
そのため、その母である本寿院も他の側室とは別格の扱いとなります。

彼女は、次期将軍生母として「御年寄(老女)上座」に出世をしたのです。

出自すらハッキリしない女性が、ここまで昇り詰めるためには、いくつも重なりました。

・将軍家継嗣である徳川家慶の目にとまる
・無事妊娠、出産
・出産した男児が成人する
・成人した男児が最年長で、将軍後継者となる

子供が無事に成人する――それが当たり前なのは現代だけで、江戸時代はやはり夭折する子が多かったものです。
たとえば西郷隆盛の敬愛する主君・島津斉彬も子供が次々に亡くなっております。

しかし、そこから先は苦難が待ち構えておりました……。

 

唯一成人した家定も子ができず……

嘉永6年(1853年)。
黒船来航の衝撃さめやらぬ19日後に、家慶が死去します。

そして、本寿院の子・家定が将軍に即位。
すでに青年の第13代将軍の徳川家定ですから、立派に政務を行わなければなりません。

徳川家定/wikipediaより引用

 

が、黒船来航後でドタバタの幕府を切り回すには、将軍様とはいえ、いや、将軍様だからこそ【鋼のメンタル】が必要とされます。

残念ながら家定にはそこまでの能力はなく、代わって切れ者の老中・阿部正弘が奔走します。
ドラマ西郷どんでは藤木直人さんが演じる役ですね。

家定の将軍としての器もいろいろと言われるところですが……残念だったのは幕府のメンツ。
阿部以外の老中は使い物になりませんし、その阿部も間もなく急死してしまいます。

おまけに家定には、国の舵取りよりも、徳川家のためにやらねばならないことがありました。

お世継ぎを作ること、です。

 

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篤姫の輿入れ、真の意味とは?

家定は、成人した家慶唯一の男子です。
とはいえ、彼も身体頑健とは言えませんでした。

家慶はあれだけ子を為しながら、唯一跡継ぎとできた男子がただ一人。
こうなると、家定にはできれば10人でも20人でも欲しい……というのが周囲の本音です。

しかし、家定は正室を2人立て続けに亡くしてしまうという不幸が続きます。
側室との間にも、子ができません。

そこで白羽の矢が立ったのが、篤姫です。

島津家と将軍家には、婚姻関係が続いてきました。
第5代藩主・島津継豊は、徳川綱吉の養女・竹姫(浄岸院)を迎えました。

その竹姫の影響を受け、リッチでゴージャスな生活を送り、薩摩を借金地獄にたたき落としたのが、第8代藩主・重豪。
財政難なんてドコ吹く風とばかりに、徳川宗尹の娘・保姫を迎えております。
さらに重豪は、娘の茂姫(広大院)を徳川家斉に嫁がせておりまして。

こんなに縁が深い将軍家と島津家なんだから、ここは是非にでも、と売り込んだわけですね。
うちの姫ならば、丈夫な跡継ぎができる、というわけです。

写真を見ればわかる通り、篤姫はなかなか精神力が強そうな顔立ちをしています。
お姫様らしい華奢な愛らしさよりも、健康美人タイプ。

篤姫/wikipediaより引用

【関連記事】篤姫

ちなみに原作版『西郷どん』でも、体格のよい女性として描写されています。
彼女に限らず、肉食文化が盛んな薩摩出身者は、体格が発達している傾向にあります。
篤姫は体格がよく、声も迫力のある女性でした。

映像化されると、大抵華奢なお姫様タイプになってしまいますけれども。
見た目も精神面も、篤姫はかなりタフでした。

しかし、実のところ……送り込む島津家としても、本気で篤姫に子ができるとは考えていなかったと思われるフシがあります。

できたとしても……

・男児である
・健康である
・成人する

この三条件をクリアするのは、それこそ幸運に幸運を重ねないと無理です。

篤姫および彼女の侍女、いわば「チーム篤姫」に期待された最大の目的は、
【大奥の風向きを変えること】
でした。

 

将軍継嗣問題という対立軸

さて、その篤姫がいよいよ大奥に輿入れします。
彼女のミッションは、
「将軍継嗣問題において、一橋派を有利にすること」
でした。

「将軍継嗣問題」とは、徳川家定の次の将軍を誰にするか、ということで、焦点は次の2つ。

水戸徳川家の一橋慶喜を推す「一橋派」か?
紀州徳川家の徳川慶福を推す「南紀派」か?

ここで注意したいのは、
「後の起きる安政の大獄は、一橋派の粛清であって、倒幕派の粛清ではない」
ということです。

この一橋派の中に、後に倒幕派に回る勢力が属しているため「一橋派=倒幕派」と思われがちです。
幕府延命をめざす保守派と、世直しを目指す倒幕派のように思われがちです。

しかし、決してそうではありません。

話を戻します。
篤姫のミッションは重要でした。

というのも、大奥は南紀派の牙城であったからです。
熱心に南紀派を推すというよりも、むしろアンチ一橋派ゆえに南紀派に回っている構造でした。

理由は、一橋慶喜の父である徳川斉昭が不人気だったから、です。

徳川斉昭/wikipediaより引用

【関連記事】徳川斉昭

 

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幾島や村岡局がサポートに回り

徳川斉昭という人物は、なかなか問題がありまして。
まず女性関係が最悪です。

・大奥の女中であり、斉昭の兄嫁付きであった唐橋と関係した
・大奥は倹約しろ、と口うるさい
・言動がいちいち過激

黒船来航時も「交渉すると見せかけて異人を殺せばいいじゃん!」とかなんとか言い出して、阿部正弘を困らせるような人です。
藤田東湖の影響をバリバリに受けた後の水戸藩はとんでもないことになりますし……まあ、トラブルメーカーなのです。

藤田東湖/wikipediaより引用

【関連記事】藤田東湖

大奥からすれば、あの斉昭の息子という時点で、一橋慶喜は大きな不利を被っておりました。
最初っから「最低! 引っ込め!」のブーイング状態なのです。

これをどうやってプラスに持っていくか?
そこが篤姫のミッションですが、非常に大変です。

むろん彼女一人では難しいため、幾島(ドラマでは南野陽子さん)や村岡局がサポートに回り、お金をばらまいたりしていろいろ工作してます。
これは林真理子氏の原作でも
「必要とあらば千両でも万両でも使え」
という具合に少し描かれております。

【関連記事】幾島村岡局

 

大奥にはアンチ一橋だらけ

さて、そんな重大なミッションと元に大奥へ乗り込んだ篤姫ですが……。

「ここでお世継ぎの問題を持ち出す必要があっとでしょうか?」
篤姫はそんな心境に至ります。

篤姫自身も、夫の家定も若い――このままなら、後継者を決めなくても、自分たちで子作りができるかもしれないと思い始めたのです。

これは、後継者問題を持ち出す空気じゃない。
そう感じた篤姫は、姑の本寿院に相談します。

家定にとって、信頼のおける相談相手は母親であったのです。

「そうねえ。あなたたちまだ若いしねえ。頑張れば子供くらい作れそうよね。そうでなくたって慶喜みたいな、いい歳した男を養子にするって言われてもホラ……ねえ。そんな話持ち出しちゃ駄目よ。夫婦中にひびが入っちゃうから」
「そうですよねえ」

篤姫も納得してしまうわけです。
養子はどちらにするか以前に、養子の話自体が鬱陶しい。

納得です。この嫁と姑の見方は一致しているわけです。

「養子問題云々より、家定の気持ちが一番大事でしょ」
という、政治的なところから離れた、母として妻としての優しい気持ちです。

本寿院も、家定も、後継者問題など聞くのも嫌。
孫の顔を楽しみにしている本寿院です。

特に本寿院はじめ、大奥の実力者である瀧山、歌橋も、アンチ水戸でした。
本寿院は一橋慶喜を跡継ぎにするくらいなら、自害するとまで口にしていたほどです。

こうした本寿院に強く反論できない篤姫の態度は、幾島や西郷隆盛ら、彼女にいる周辺の人を苛立たせることになりました。

幾島や西郷隆盛は、舌打ちして本寿院に対して、
「あんばばあ、余計なこっお言いやがって」
と悪態をつくのはありそうだと思います。

しかし、篤姫自身はむしろ、難しい自分の立場を察して、政治抜きに夫婦視点からアドバイスしてくれる、優しいお姑様と思ってもおかしくはないかな、と。

 

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本寿院vs篤姫の嫁姑バトルはありですか?

さて、長くなりましたが、この問いに答えをそろそろ出しましょう。

創作としてはありですが、歴史的には好ましくないと思います。

理由は以下の通り。

・篤姫は一方的にやられるような性格ではない
・互いに憎しみ合う理由は、実はさほどない
・二人の対軸は政治的なものであって、昭和のホームドラマ的な「嫁いびり」とは別物
・二人の関係は良好だった
というところです。

我が子に先立たれ、明治維新という動乱を迎えた本寿院と篤姫。

二人はともに江戸城を出て、大勢いた女中にも暇を出し、つつましく暮らしました。

そして本寿院は明治18年(1883年)に亡くなります。享年79。篤姫の死から2年後のことでした。

文:小檜山青




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【参考文献】
辻ミチ子『女たちの幕末京都
別冊歴史読本 天璋院篤姫の生涯
国史大辞典

 




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