鍋島榮子/wikipediaより引用

幕末・維新

幕末お姫様8名 それぞれの意外な行く末~鹿鳴館の華、籠城戦の指揮……etc

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映画『サムライマラソン』には、小松菜奈さん演じる安中藩の雪姫が登場。
黒船来航以来の激動の時代、もはやジッとしてはいられない!と、ある大胆な行動に出ます。

雪姫の活躍は創作であっても、幕末という時代が各藩の志士たちだけでなく、お姫様にとっても激動であったことは事実です。

城の奥でヒッソリしていたと思われがちな彼女らは、一体どんな運命を迎えたのか。

◯名の足跡を追ってみました。

 

毛利安子(長州藩主・毛利元徳夫人)

2015年大河ドラマ『花燃ゆ』にも出てきた「銀姫」の名で知られる女性、それが毛利安子(やすこ)

毛利安子/wikipediaより引用

「そうせい侯」こと毛利敬親にとっては我が子の嫁にあたります。

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ドラマでは脚色が酷いもので、アイドルグループが演じる夫の側室に嫉妬するわ、ヒロインの美和信者だわで散々でしたが、史実は違います。

実際の彼女は、激動の長州藩をじっと支えた賢夫人だったのです

はじめこそ世継ぎが生まれず苦しんだものの、代々側室が世継ぎを産むことが多かった毛利家において、5男1女に恵まれました。
明治以降は、派手な暮らしよりも、女性人権活動や医療福祉分野でのボランティアや寄付に尽くす、そんな生涯を送っています。

 

戸田極子(大垣藩主・戸田氏共夫人)

幕末から明治にかけては、大名家と公家の間での婚礼も多いもので、父はあの岩倉具視
「極子」は「きわこ」と読みます。

岩倉具視は幕末貴族の出世頭! キャラ奇抜でバランス感覚に優れた政治家?

彼女は父が寵愛した母・槇子の美貌を受け継ぎ、際立った美女として成長。
幕末の動乱よりも「鹿鳴館の華」としての活躍が際立つ女性です。

音楽にも造詣が深く、夫がオーストリア大使となった際に、その才知がきらめきます。

なんとあのブラームスの前で、琴の演奏をしたのだとか。
ブラームスはその音色に聞き入り、戸田夫妻と交流を続けたとされています。

 

鍋島栄子(侯爵・鍋島直大夫人)

明治時代の美女写真ランキングでは定番、鍋島栄子(ながこ)です。

その美貌は、フランス軍士官ピエール・ロティはじめ、国内外の目線を集めたもの。
公卿・広橋胤保の五女にあたります。

鍋島栄子/wikipediaより引用

最初の夫は岩倉具視の子である南岩倉具義でした。
彼は僧侶であったため、還俗して父の分家を立て、栄子と結婚したのです。

この夫との死別後、鍋島閑叟(直正)の子・直大に嫁ぐこととなりました。
彼はイタリア大使であり、その赴任を苦にしない妻が求められていたのです。

栄子はその要求に応えました。
イタリア王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァの寵愛を受け、指輪を贈られたこともあるほどだったとか。

洗練された宮廷マナーを身につけた美貌の栄子は、西洋の宮廷生活でも耳目を集めたのでした。

 

不運、島津斉彬の姫君たち

明治維新の勝利者となれば、こんな華やかな道があったのかと思えますが、例外もあります。

明治維新以降、西洋文明に嫌悪感を抱く「国父」こと島津久光が睨みを効かせていた島津家の姫ともなれば、そうはなりません。
鹿鳴館もドレスも縁遠いものでした。

島津久光71年の人生をスッキリ解説! 西郷隆盛、生涯の敵というのは本当か?

久光の子にして最後の薩摩藩主・忠義の正室は、かの島津斉彬の姫。
父の撮影した写真では、真ん中に映っています。

島津斉彬が撮影したという娘たちの写真/wikipediaより引用

斉彬の男子は夭折した結果、久光の血統が薩摩宗家として残されています。

お由羅騒動」で斉彬を支持していた西郷隆盛や大久保利通からすれば、その久光の子である忠義に斉彬の姫が嫁ぐということは、願ってもないことです。

由羅(お由羅の方)&お由羅騒動をスッキリ解説! 幕末薩摩の内乱とは

斉彬の血を引く島津家の男児誕生は、強く望まれたはずでしたが、その重圧もあったのか、彼女は明治2年(1869年)の出産直後に亡くなってしまいます。

その後、忠義には島津斉彬の娘(妹)寧子が嫁ぐものの、明治12年(1879年)に彼女とついで男児も夭折。
斉彬の血を引く島津家後継はできないまま終わったのでした。

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