愛加那/wikipediaより引用

幕末・維新

愛加那(西郷2番目の妻)はどんな女性? 菊次郎を産んだ奄美の島妻

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「島妻」

そうこうして、一年が過ぎ。西郷は女郎屋に通うようなこともない真面目な男でしたが、彼も既に32才です。一年の滞在期間の間に、島民との関係も改善していました。

そこで、こんな話が持ち上がります。

「島妻(アンゴ)を娶ってはどうか」

薩摩藩では、領内の遠い島に滞在する場合、正妻の他に妻を娶ってもよい、という藩法がありました。

ただし、こうした「島妻」は、いくつかの決まりがありまして。

・島妻を薩摩に連れて帰ることはできない

・島妻との間に生まれた子は、薩摩に連れて行き、教育を受けさせることができる

・島妻との間に生まれた子が男子の場合、郷士とすることができる

・扶持米をもらうことができる

貧しさにあえぎ、「家人」にまで身を落とさねばならない島の人々。彼らにとって、島妻という地位は魅力的でした。娘を進んで島妻に差しだす親がいても、不思議ではありません。

こうして「島妻」として白羽の矢が立ったのが、愛加那(あいかな)だったのです。

愛加那は、西郷が身を寄せていた龍家の龍佐恵志(りゅう さえし)の娘で、母は枝加那(えだかな)でした。

まだ6才という幼さで父を亡くし、5人きょうだいの4番目として育ちました。

天保8年(1837年)生まれの愛加那は、西郷より9才年下の23才。目鼻立ちのくっきりとした、島の女性らしい美女でした。幼名は「於戸間金(おとまがね)」となります。

「於」は尊称。
「金」は女性につける「加那」の古い呼び方です。

名前は間に挟まれた「戸間(とま)」ということになります。「おとまさん」ということですね。

西郷と結婚した際、「とま」という名を「愛」にかえて、「愛加那」と呼ばれるようになります。「愛子」、「愛さん」という意味でした。

 

西郷と愛加那

前述のような事情を考えれば、西郷と愛加那の間に、結婚前のロマンスがあったとは考えられません。

周囲が薦めて、娶ったというのが妥当な気がします。

ただし、それではあまりにつまらないわけで。大河ドラマ原作にもなった林真理子氏の『西郷どん』でも、二人の間にはロマンスが描かれます。ドラマでも、それは必要以上に強調されておりましたね。

結婚後、西郷は愛加那を愛しました。それも、周囲の人が驚くほどに。

西郷は、人前でも愛加那の体を平気で触るため、周囲は目のやり場に困っていたそうです。

万延2年(1861年)、二人の長男である西郷菊次郎が誕生。

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愛加那は二人目の子(女児の菊)もみごもりました。

その子がまだ産まれぬうちの文久2年(1862年)。西郷は藩から呼び戻され、薩摩に戻ることとなってしまったのです。

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