大河ドラマ『青天を衝け』で、なかなか衝撃的なシーンがあったのを覚えていらっしゃるでしょうか。
主人公である渋沢栄一と出会った伊藤博文が、若い頃のヤンチャ自慢をするように【英国公使館焼き討ち】の話を始めたのです。
焼き討ちとは、現代でいえば「テロ活動」。
ガイジン、おまえら気に入らないんじゃ! 出てけ! 言うこと聞かない? だったら燃やしてやんよ!
通常の感覚なら、こんな姿勢は褒められたものではないでしょう。
あれはドラマの中だけの話なのか?
というと、実は史実においても、若い頃の渋沢栄一と伊藤博文は尊王攘夷の【テロ同志】と言えます。
かたや資本主義の父と呼ばれ。
かたや日本初の総理大臣であり。
お札の顔にまでなった二人ですから、にわかには信じ難い話ですが、実際に記録が残っているのだから仕方ありません。
では一体、二人はどんなテロ活動をしてきたのか?
ドラマでも栄一と博文が意気投合していた怖い理由を見て参りましょう。
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坂下門外の変
『青天を衝け』は、他の幕末作品ではあまり取り上げられないマイナー事件に注目することがあります。
10話では【坂下門外の変】が描かれ、公式サイト「今週の栄一」ではこう記されていました。
大橋訥庵や河野顕三に出会い、草莽(そうもう)の志士になることを決意する
さらに以下のインタビュー記事では
◆大河ドラマ「青天を衝け」裏話:眼帯の志士・河野顕三は史実でも眼が悪かったのか 俳優・福山翔大に聞く(木俣冬)(→link)
河野顕三という志士が、あたかも好青年かのように書かれていました。
また、満島真之介さん演じる尾高長七郎がみつけて本にした河野さんの稿本『春雲楼遺構』のあとがき(満島真之介の公式ツイッターにアップされている)に書いてあったことが参考になりました。
長七郎と河野は親友だったことは事実でそのあとがきに、どれだけ長七郎が河野の考え方に共感していたかわかります。
長七郎は河野が亡くなったあとお墓参りにいって、残っていた稿本を見つけて、印刷して本にしたんです。
あとがきには栄一にも河野がいかにすばらしい人物だったか世の中に伝えるために出版を手伝ってもらったと書いてあります。
河野は、渋沢栄一のイトコ・尾高長七郎と親しく、共に【坂下門外の変】の謀議に参加していたことが確かです。
「北武蔵の天狗」と呼ばれた剣士・尾高長七郎は渋沢栄一の従兄弟で義兄だった
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そうした状況を踏まえつつ、坂下門外の変について、5W1Hをまとめてみますと、こうなります。
いつ:文久2年1月15日(1862年2月13日)
どこで:江戸城坂下門外
だれが:平山兵介(水戸藩激派)、黒沢五郎(水戸藩激派)、小田彦三郎(水戸藩激派)、川本杜太郎、高畑房次郎、河野顕三
何を:老中の安藤信正を暗殺
なぜ:後述します
どのように:杜撰なテロによる襲撃
平山や黒沢など、幕末史ではあまり注目されませんが、彼らが所属している【水戸藩激派】は非常に危険な存在です。
後に筑波山で蜂起し、上洛を目指す天狗党の中核にもなっており、幕府としては到底放置できない危険な思想集団でした。
ゆえに水戸藩に対し、処罰を求めていたのですが、彼らは反省どころか逆恨み。
逆に、諸外国に対して開港し、朝廷との公武合体をすすめる幕府を恨み、老中・安藤信正の命を狙うことにしたのです。
もはや「やられる前にやれ」という姿勢でムチャクチャ。
しかも安藤信正は、長州藩の件でも恨みを買っていました。
長州藩過激派は水戸藩激派に憧れる
そのころ、長州藩の松下村塾生たちは水戸に憧れを抱いていました。
「心即理、知行合一」を実践する志が高い人たちだ!
と、こう書けば熱血青春日記のようではありますが、中身は要するにテロです。
水戸学とは一体何なのか?斉昭のパフォーマンスが幕末に投じた思想的影響のヤバさ
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吉田松陰はこう言いました。
「諸君、狂いたまえ!」
毒を薄めて広められていますが、このフレーズもまた「尊王攘夷テロを実現に移そう」という暴力の煽動です。
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そんな長州藩士からすると【桜田門外の変】を実行した水戸藩士は憧れの的。
かくして「テロで自分探し」をする計画の一端として、安藤信正の謀殺が持ち上がったのですが、長州藩の桂小五郎は「計画が雑すぎる」としてストップをかけました。
しかし、実行されてしまいます。
直前に黒幕の大橋訥庵が逮捕されてしまい「もういっそやっちまえ!」と血気盛んな連中が流されてしまったのです。
当然、そんな成り行き任せで成功するわけなく、あっさりと護衛に返り討ち。
安藤信正は命に別条はないものの、後日、失脚の憂き目に遭ってしまいます。
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このとき、遅刻して参加できなかった川辺佐治衛門という水戸人がいました。
川辺は長州藩邸に駆け込み自害。
死ぬ間際、桂小五郎に安藤信正殺害理由を記した「斬奸状」(※悪人を殺害する際、理由を記した書状)を託しています。
そして偶然、この書状を読んでしまった人物がいます。
血気盛んな長州藩士・伊藤俊輔――後の伊藤博文でした。
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