こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【御台場】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
第二海堡も富津市領域に設置
第二海堡も富津市領域に作られましたが、関東大震災で被災し、使えなくなってしまっています。
場所が悪すぎましたね……。
こちらの設備も戦後破壊されておりますが、1977年から消防演習場になったり、第一海堡と共に灯台が築かれるなど、別の用途で使われています。
某番組で「農家なのかアイドルなのかわからん」と言われる元5人組のうち、2人が上陸したのはここです。

第二海堡(1988年に撮影)/wikipediaより引用
「生態系の調査ならおk」ということで許可が出たそうで。それで珍しい生き物を見つけるんだからスゴイですよねホント。
第三海堡は、第一・第二から少し離れた横須賀市観音崎沖に建設されました。
地形上の問題で、工事期間を30年も要したのに、たった2年で関東大震災により1/3が沈没して使えなくなるという、踏んだり蹴ったりな目に遭っています。
しかも残ったものが海難事故の原因になってしまい、2000~2007年に撤去工事が行われています。
陸揚げされたものは当時の技術を研究するために使われ、一部は国土交通省の施設などで展示されているとのことです。
三笠公園から発着できる猿島の台場
なお、初めての台場となった猿島は戦後接収され、その後、海水浴場になりました。
一度は閉鎖されるも、横須賀市が管理委託を受けてから整備され、現在は再び公開。
レンガ造りの要塞が某天空の城を連想させるとして、最近ではちょっとした人気になっていますので、現地に行った方もおられるのではないでしょうか。
猿島への船は戦艦・三笠が展示されている三笠公園から発着していますし、プチ歴史ツアーとして楽しめそうです。
猿島・第一海堡・第二海堡はグーグルマップでも見ることができますね。
テレビ局や買い物ができる新しいスポットも良いですけれども、都心にもこういう歴史的なポイントがあるのですから、気軽に歴史に触れるチャンスとして整備していただきたいところですね。
今だと例のスポットになってたりするんでしょうか。
モンスターを捕まえつつ、自由研究のネタにされても良いかもしれません。
あわせて読みたい関連記事
-
ペリーはアメリカで無名な存在だった!? めちゃめちゃ苦労して進めた開国交渉
続きを見る
-
あのペリーが日本人を接待していた?日米和親条約の交渉で用いたほのぼの作戦
続きを見る
-
実はアメリカを圧倒していた幕臣・岩瀬忠震の交渉術~日米修好通商条約の真実に注目
続きを見る
-
幕末に日米修好通商条約を結んだ米国人タウンゼント・ハリスってどんな人?
続きを見る
参考文献
- 『国史大辞典』(吉川弘文館, 書籍版刊行: 1979–1997, 全15巻17冊)
ジャパンナレッジ: 公式ページ - 「台場」『ウィキペディア日本語版』
記事ページ - 「お台場」『ウィキペディア日本語版』
記事ページ