隅田川

ライトアップした隅田川と駒形橋

江戸時代

隅田川の歴史をご存知?命名されたのは江戸時代かと思いきや昭和40年

2025/03/23

昭和四十年(1965年)3月24日は、隅田川が命名された日です。

「オイオイ、あんな有名な川の名前が最近決まったわけないだろ?」

そう思われた方も多そうですね。

実はこの日まで「隅田川」というのは千住大橋から下流の俗称でした。

それまでは荒川と呼ばれていたのですが、治水工事などの影響で流れが変わったため、「隅田川」が採用されたのです。

何やらややこしい話ですが、以下、呼び名を統一して、隅田川の歴史を見ていきましょう。

 


元は下総と武蔵の境目を流れ繋げる橋が「両国橋」

隅田川は、流域や時代によってさまざまな名前で呼ばれてきました。

一番古いのは平安時代の「住田河」「宮戸川」で、その他、墨田川、角田川など同音異字の呼び名も多かったようです。

江戸時代の前期までは下総(千葉県北部)と武蔵(東京都と埼玉県の一部)の国境でもありました。

JR・都営地下鉄の両国の近くにある両国橋は、「両方の国にかかる橋」として名づけられたものです。

しかし、それゆえに、戦略上の理由から隅田川にはあまり橋がかけられませんでした。

例外は千住大橋で、文禄三年(1594年)に東北方面への戦略のためかけられています。

他にも幾つか橋はあったようですが、増やされたのは【明暦の大火】の後でした。

大火の被害が甚大だったことから、隅田川にも他の橋をかけることが決まったのです。

※以下は明暦の大火の関連記事となります

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また、渡し船もあちこちで営業していました。

勝鬨橋は「勝鬨の渡し」と呼ばれていた渡し船の名にちなんでつけられたもので、他にも千住汐入大橋・厩橋・佃大橋などの位置に渡し船があったといわれています。

 


大田南畝の狂歌で「きょうは祭礼 あすは葬礼」

「春のうららの隅田川」で有名な滝廉太郎の「花」が書かれた明治時代には、人々は木製の橋か渡し船で両岸を行き来していたということになりますね。

しかし、ほとんどどの橋が木製だったため関東大震災でほとんど燃えてしまい、順に鉄筋コンクリートの橋に架け替えられていきました。

おそらく首都圏の小中学校に通われていた方は、小さい頃に「火災旋風から逃げようとしたが橋が渡れず、川に飛び込んだ」という人の話を聞いたことがあるのではないでしょうか。

隅田川と聖路加タワー(左手)

永代橋では文化四年(1807年)のお祭り、両国橋では明治三十年(1897年)の花火大会の際に見物客が多すぎて橋が壊れ、多数の死者が出ています。

以下の記事に詳細がありますので、よろしければご覧ください。

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なぜその時点で「何か起きたらまずいから、少しずつ変えていこう」と思わなかったのか……。不思議でなりませんが、まあ災害対策って、どうしても後手後手になりがちですよね。

でも、そうしてくれていたらその後の死者は減っただろうとやるせないものです。

永代橋の件については、狂歌の大家・大田南畝が

永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼

というブラックにもほどがある歌を詠んでいます。

鳥文斎栄之が描いた大田南畝/wikipediaより引用

幕府批判の意味も感じられますので、よくしょっぴかれなかったものです。

さて、隅田川といえばもう一つ欠かせないイベントがありますよね。

皆さんご存じ「隅田川花火大会」です。

 

飢饉等で亡くなった人の鎮魂のため花火が打ち上げられた

東京で一番の花火大会といえば隅田川。

人混みがすごいのでテレビ中継で見ているという方も多いと思いますが、それでも大迫力ですよね。

この花火大会は、享保十七年(1732年)にコレラや大飢饉で亡くなった人々を弔うため、徳川吉宗時代の幕府により水神祭が行われたのが始まりです。

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隅田川といえば花火もお馴染み

その翌年の享保18年(1733年)に20発ほどを打ち上げる小規模なものでした。

それから80年ほどして花火屋の鍵屋が、分家にあたる玉屋と腕を競い合うようになり、見物客もそれぞれ出来が良いと感じるほうの名を「たーまやー」やら「かーぎやー」と呼ぶようになったのだとか。

玉屋の人気も上々でしたが、火事を起こしてしまったため一代で廃業させられてしまったそうで。それでも現代にまで屋号が言い伝えられているのですから、それはそれでスゴイ話ですよね。

当時は電灯もありませんし、真っ暗な中でド派手に打ち上がる花火はさぞ美しく見えたことでしょう。

昭和年間には交通事情等の問題で中断されたこともありましたが、昭和五十三年(1978年)に復活してからは再び夏の風物詩になっています。

隅田川と勝どき橋

 


竜馬に海舟、道灌さん ユニークな名前の水上バス

そんなわけで隅田川周辺には歴史スポットも多いためか、水上バスの名前も歴史にちなんだものがいくつかあります。

最初の江戸城を作った「(太田)道灌」、皆さんご存じの「竜馬」「海舟」、はたまた「ヒミコ」などの人名から、演劇付きの宴会が楽しめる「御座船 安宅丸」まで実にバリエーションに富んでいます。

どうでもいいですが「道灌」と「竜馬」は姉妹船だそうで。そこは海舟とのほうがよかったんでは……。

某銀河鉄道で有名な漫画家さんのプロデュースした近未来的なデザインの船(それがヒミコ)もあり、細かいことはあまり気にしていないのかもしれません。

松本零士がデザインしたヒミコ号は毎日隅田川を走っている

交通網の発展により、隅田川をはじめとした河川は交通・輸送の役目を果たす機会は少なくなりましたけれども、これからも様々な面で親しまれていくのでしょう。


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【参考】
国史大辞典
東京都地質調査業協会(→link
TOKYO CRUISE(→link
隅田川/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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