お万の方(栄光院)

大奥の花見を描いた浮世絵/国立国会図書館蔵

江戸時代

美人尼僧・お万の方(永光院)が家光の側室に『大奥』福士蒼汰

大奥作品で徳川家光が描かれるときに欠かせない定番の人物がいます。

お万の方(栄光院)です。

それまで心を閉ざしていた家光が、彼女相手に初めて愛に目覚める――そんな劇的なヒロインとして描かれるのですが、史実におけるお万の方は家光の子供を産んでいません。

にもかかわらず、その存在感は他の女性よりはるかに大きい。

一体なぜなのか?

男女逆転版『大奥』では、万里小路有功(までのこうじありこと)として登場する。

史実のお万の方を振り返ってみましょう。

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20歳も若い美人尼僧に惚れた家光

お万の方は寛永元年(1624年)の生まれ。

父は公家の六条有純で、彼女の名は満子となります。

家光が慶長9年(1604年)生まれですから、ちょうど20歳差ですね。

実は彼女、元々は尼僧でした。

寛永13年(1636年)、満13歳で伊勢宇治郷にある尼寺・慶光院に入り、その三年後、十七代院主となっていたのです。

慶光院では、名門公卿の姫君が院主となる伝統がありました。

朝廷や将軍家の祈祷も行う由緒ある寺院であり、寛永16年(1639年)3月、その院主として彼女が江戸城にまで挨拶へ訪れます。

そのときのことでした。

若き尼僧の姿を家光が目にとめたと、乳母である春日局の耳に入ったのです。

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どうやら家光は、お万の方の美しい容姿だけでなく、「尼僧姿」というところにも心惹かれたと噂されたとか。

春日局にしても、もともと側室を用意して跡継ぎを確保したがっていたこともあってか、慶光院の還俗に尽力し、ついに側室とさせます。

還俗したお万の方の誕生でした。なお、家康にも同名の側室がいますのでご注意ください。

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愛を知らぬ家光

当時の家光は36才。

これに対しお万の方は16才。

女嫌いで知られていた将軍が、急にどうした? 親子ほどの歳の差がある美少女尼僧に惚れるなんて、なんてこったい!

当時からこんな調子で話題となったお万の方は、大奥関連作品では頻繁に注目されます。

一体なぜこんな状況になっていたのか?

家光について、少し補足説明しておきましょう。

◆家光は父母の愛を知らない?

二代目将軍である父の徳川秀忠に息子が生まれたとき、待望の世継ぎとして盛大に祝福されました。

むろん、家光のことです。

しかし、どういうわけか、母・お江(江与・小督とも/本稿はお江で統一)は、すぐ下の弟である徳川忠長を熱愛。

父の秀忠も、その流れに傾倒してしまう最中、救いとなったのが乳母の春日局と、祖父の徳川家康でした。

この「母に愛されぬ苦しみ」というのが、やがて劣等感や屈折した心を肥大化させ、フィクションでは重要な役割を果たします。

春日局との関係とも合わせて「マザーコンプレックス」としてことさら強調されるのです。

男色好み

徳川将軍が正室と不仲であることは、実はよくある話です。

しかし、家光の場合、跡継ぎが生まれるのがあまりに遅く、長男・徳川家綱が生まれたのが寛永18年(1641年)のことでした。

男色を好みすぎたのが原因とされます。

家光の男色関係を扱った作品として、隆慶一郎の小説『柳生非情剣』(→amazon)があります。

『柳生非情剣 SAMON』(→amazon)というタイトルで漫画化もされました。

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注目は、世継ぎが出来ない原因です。

ルイ16世のように「原因を聞き取り後、外科手術で治った」とはっきり記録が残っていればまだしも、家光の場合は曖昧。

しかしだからこそ、どこか心に傷を抱えた家光と、それを変えるお万の方のロマンスは盛り上がる。

男女逆転版では、さらに複雑な設定がなされていますが、史実においても、お万の方を側室にした後、複数人の子に恵まれているのですから、やはり彼女の影響力は大きかったでしょう。

実際、その後の彼女は大奥にて非常な力を有していくことになります。それは……。

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