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【稲葉紀通】
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紀通ガンギレ!火縄銃でブッコロシ!
これが届いた紀通はビックリ仰天。
椿の花が「丸ごと頭が落ちるようで縁起が悪い」とされるのと同様、「頭を落とした魚を送る」というのは、完全に宣戦布告にしか見えませんでした。
怒りのあまり、せっかく送られたブリを庭に投げつけて踏み潰したそうです。もったいないオバケが出るぞ。
ちなみに京都ではネズミ対策のための「猫放し飼い令」が出されていたので、もしかすると福知山藩でもその辺に猫がたくさんいたかもしれません。猫にとっては大歓迎だったでしょうね。
ともかく紀通の怒りはさらに加速。
「丹後から来る奴は全員首をはねろ!!」という命令を出します。
以下の地図でご確認していただきたいのですが、丹後方面から京都(山城)に入るためには、どうしても丹波の福知山藩を通らなくてはいけません。
それを禁じてしまったのでは、人も物も行き来ができなくなってしまいます。
しかし、激おこスティック(ry)状態の紀通にそんな事情を考慮する余裕はなく、自ら火縄銃で士農工商問わず、果ては飛脚までブッコロしまくってしまいました。
この時点で誰か止めれってばよ(´・ω・`)
甲冑に身を固めて乱射しまくり最後は自決の悲劇
当然のことながら、釘を刺しただけのつもりでいた高広はビックリ仰天。
取るものもとりあえず幕府に届け出ました。
寒ブリの話をしたのかどうかはわかりませんが、幕府は「頭大丈夫かアイツ? とりあえず改易な」(超訳)と処分を決めます。
しかし、正式な処分が下る前にこれを知った紀通は、最早どうにもならないと考えてか、甲冑に身を固めて福知山城からさらに火縄銃を乱射。
最後は自らに向けて撃ち、自決したといわれています。切腹説もありますね。
結局、稲葉家は改易になった上、紀通の嫡男も幼くして亡くなり、完全にお家断絶となってしまいました。何てこったい。
これはあくまで俗説なのですが、いかにもありえそうな話ですよね。
せめて高広が「そちらへ着くまでに傷むといけないので、頭を落としておきました」とか書き添えておけば、ここまでの事態にはならなかったかもしれません。
もしくは紀通が、福知山の名物と交換にブリをもらっていれば、まだマシだったかもしれません。
戦国の気風がまだまだ残っていた時代と、最後の戦国武将世代が悪い方向にかみ合ってしまった悲しい事件と申しましょうか。
人の心の中を完全に知ることはできないのですから、やはりコミュニケーションは大事ですね。
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長月 七紀・記
【参考】
中江克己『江戸三〇〇年 あの大名たちの顚末 (青春新書インテリジェンス) 新書』(→amazon)
日本人名大辞典
稲葉紀通/Wikipedia