こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【ご乱心で改易になった大名たち】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
・稲葉通重 清水藩主(岐阜)&津田信成・御牧藩主(京都)
稲葉通重と津田信成が、京都・祇園で遊んでいたときのこと。
タチの悪い酔い方をしてその辺の美女を強引に店へ連れ込み、無理やり酒を飲ませるなどの狼藉を働きました。
これが家康にバレ、慶長十二年(1607年)12月に二人とも改易。
織田信長の時代だったらその場で手打ちだったかもしれませんね。家康も、豊臣家の件がまだ片付いていないこの時期に頭が痛かったことでしょう。
他に、沢海藩(新潟)の藩主・溝口政親という人が貞享四年(1687年)に酒乱のせいで改易されています。
「酒は飲んでも飲まれるな」
いつの時代も飲みすぎは怖いのぅ。
・天野康景 興国寺藩主(静岡)
家康の人質時代から仕えてきた、糟糠の妻にも等しい人です。
家康はその苦労に報いるべく、駿河の興国寺藩を任せたのですが……あるとき、彼が蓄えておいた木材や竹が盗まれるという事件がありました。
天野家の家臣がそれを防ぐべく警戒を強めたのですが、よりにもよって下手人が天領(幕府の直轄地)の住民だったため、幕府から「事情の説明と、下手人の引き渡しをよろしく」という話になってしまいます。
これに康景がブチキレ、慶長十二年(1607年)3月、息子と共に城をほっぽらかして出て行ってしまいました。
当然改易です。
その後は、小田原の西念寺というお寺で静かに暮らしたとされています。江戸のすぐ近くとか度胸あるなぁ。
下手人云々を担当していたのが本多正純だったため、言い回しか何かで誤解が生まれた、もしくは康景を怒らせた可能性が高い予感がします。
それにしたって度胸ありすぎですが。
最後に、ガチで「ご乱心」としか言えなさそうなケースもご紹介しておきましょう。
・池田輝興 赤穂藩主(兵庫)
「姫路宰相」こと池田輝政と、家康の次女・督姫の息子というエリートな生まれの人です。
正保二年(1645年)3月に突如正室の亀子姫(黒田長政の娘)と侍女数名を斬り殺すという殺戮劇を繰り広げてしまい、改易されました。
-
あの官兵衛の嫡男・黒田長政とは? 偉大な父を持つ二世の苦悩56年の生涯
続きを見る
その後、甥っ子で本家の池田光政に預けられ、二年後に37歳で亡くなっています。
経緯からして自殺の可能性が高そうです。
赤穂といえばやはり赤穂浪士(元禄赤穂事件)が有名ですけれども、その他にもトラブル続きで何かと世間を騒がせる地名だったようです。
-
赤穂事件=赤穂浪士の討ち入りは単なるテロ事件?史実はどのように進んだか
続きを見る
・松平忠充 長島藩(三重)
家康の異父弟・松平康元の子孫です。
家督を継いで間もない頃から家臣を追放するなど、奇怪な行動が見られていました。
そして元禄十五年(1702年)8月に重臣三人を切腹させた上、彼らの子供まで死刑にするという暴挙をはたらき、遺族が幕府にチクって改易になりました。
これこそ狂乱ですね。
しかし、その血筋から息子たちが家名を継ぐことを許され、忠充も79歳まで長生きしています。解せぬ。
寒ブリで改易もあれば夫婦喧嘩で改易もある
この他、寒ブリを巡る誤解で改易になった稲葉紀通。
-
寒ブリの恨みから火縄銃乱射! 稲葉紀通のご乱心&自決で御家は破綻の悲劇
続きを見る
夫婦喧嘩のもつれで改易された水野元知など。類似の経緯がない理由の人もいます。
こうなると、事の経緯を報告する各藩の家臣やそれを受ける幕閣、改易を決める代々の将軍も困惑することが多かったでしょうね。
無闇に改易すると混乱を招きますし。
無理やりまとめると「武士はツラいよ」というところでしょうか。
あわせて読みたい関連記事
-
江戸時代のバカ殿騒ぎ代表~生駒騒動の原因が藩主・生駒高俊のBLだったなんて
続きを見る
-
織田と豊臣の重臣末裔が起こした「名張騒動」悲劇の名張藤堂家邸跡には何がある?
続きを見る
-
政宗の孫・伊達綱宗と伊達騒動!遊び呆けて東北の雄藩も危うく潰されそうになる
続きを見る
-
江戸三大お家騒動の一つ「仙石騒動」カネと相続が絡んで最悪の結末を迎える
続きを見る
-
最強忠勝の孫&ひ孫が引き起こした「九・六騒動」本多政勝と政利の行く末は?
続きを見る
-
越前松平家の越後騒動がメチャクチャだ! 最後は徳川綱吉も絡んで切腹だ!
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『御家断絶-改易大名の末路 (別冊歴史読本 15)』(→amazon)
中江克己『江戸三〇〇年 あの大名たちの顚末』(→amazon)
松下長綱/Wikipedia
土屋昌恒/Wikipedia
堀通周/Wikipedia
加藤明利/Wikipedia