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【糸割符制度】
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堺・京都・長崎だけでなく江戸と大坂の商人も参加
大きな金額が絡むだけに、糸割符仲間とポルトガル商人との間で、摩擦・紛争が起きることもがありました。
例えば在マカオのポルトガル人・ペッソアがすったもんだの末に自爆した【ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件】も、当時の貿易に関する事件の一つ(詳細は以下の記事にて)。
戦国→鎖国へ!岡本大八事件とノッサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件
続きを見る
さらには
【キリスト教(カトリック)禁止】
↓
【ポルトガルとの貿易を取りやめ】
という流れもあって、糸割符制の必要性が薄れていきます。
そのため寛永八年(1631年)から、制度の大改定が行われました。
従来の堺・京都・長崎に、江戸と大坂の商人たちが加えられ、それに次ぐものとして、博多などの商人にもいくらかの配分が割り当てられたのです。
対象範囲を広げて、制度の意義を少し変えることで、長持ちさせようというわけです。
また、同じく寛永八年(1631年)に幕府は、中国が長崎へ持ち込んだ糸を、ポルトガル同様、糸割符制度に従属させることとしました。
その措置を嫌がった中国船が、長崎を避けるようになってしまいます。
幕府としては当然面白くありません。
外国との接点は長崎に限定したい――。
そこで寛永十二年(1635年)に
「中国船は、長崎以外での着港と貿易を禁止!」
として、中国船の糸も絶対に糸割符へ従属させることを徹底させました。
当時はまだ平気だったとしても、いつ中国がポルトガルと同じ方法で価格を釣り上げるかわかりませんでしたからね。
統制は必要だったのでしょう。
国内の養蚕業も伸びてきて
さらに寛永十六年(1639年)。
ポルトガル船の来航が禁止されると、幕府と糸割符仲間は、当時輸入量を増大しつつあったオランダ船の糸に目をつけました。
相手を変え、同じ手法で商いを続けようとしたのです。
そして実際に、寛永十八年(1641年)にオランダ商館を出島へ移転させた頃から、オランダ船の運んできた糸も、糸割符仲間の対象としました。
江戸幕府は、主要輸入品の一つだった生糸の価格と国内流通について、念願だった【統制】を浸透させることができたのです。
さらに世情が落ち着いてくると、幕府は生糸の輸入依存度を減らすべく、貞享二年(1685年)から中国の生糸に対して輸入制限を行うようになります。
「落ち着いて養蚕ができるようになったんだから、これからは国内でガンガン生糸を作れるだろ? だから高い外国産より、安くてすぐ手に入る国産生糸を使うように^^」というわけですね。
これに応じて、国産生糸を取り扱う問屋も急増しました。
具体的な数値を見てみますと……。
徳川綱吉の時代である元禄二年(1689年)の時点で、京都で国産生糸を扱う問屋は、たった9軒しかありませんでした。
それが徳川吉宗時代の末にあたる享保十九年(1734年)には、34軒にまで増えています。
45年ほどで約4倍も増えたんですね。
【都市部 vs 地方】という新たな対立
しかし、国内養蚕業の成長は、
【都市部 vs 地方】
という新たな対立を生むことにもなりました。
京都など古くからの織物の産地だけでなく、桐生などの地方でも絹織物の生産が活発になったのです。
特に後者の発展はめざましく、京の業者から幕府へ
「地方からの生糸ばかりが京に来ると、私達の作った生糸が売れなくなってしまいます! なんとかしてください!」
という嘆願も出たとか。
とはいえ、技術的な発展は養蚕、つまりカイコの飼育に関することが主で、急激な生産量増大とまではいってません。この時代は手工業ですから、どうしても限界はありますね。
その辺の話は、明治時代の殖産興業の一つとして、生糸の工業的な生産が始まってからまた出てきます。
また、国内の生糸生産量の増加によって、中国産の生糸の需要や、その価格を統制するための糸割符制の必要も薄れ、吉宗時代以降にその役割を終えることになりました。
糸一つで、時勢の変化や時代の流れがうかがえる。歴史の面白さですね。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典「生糸」「糸割符」