東郷平八郎(戦艦三笠の艦上にて)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和時代

日本海海戦でバルチック艦隊を撃破 なぜ日本と東郷平八郎は勝てた?

明治三十八年(1905年)の5月27日、旧海軍が日本海海戦に勝利しました。

日露戦争における日本の勝利を実質的に決定付けた海での戦い。

東郷平八郎が指揮したことでも知られますが、不利だとされる状況でなぜ勝てたのか?

振り返ってみましょう。

 

日露戦争の流れ

教科書だと「バルチック艦隊に勝ちました」の一行で済まされてしまいがちなこの戦い。

まるで「来た、見た、勝った」かのような扱いですけれど、この勝利を収めるまでには並々ならぬ下準備、そしてそれだけではない偶然の味方などがありました。

軍事的な専門用語をなるべく排除してスッキリ進めましょう。

まずは日露戦争の経緯をまとめるところから。

日露戦争をスッキリ解説!仁川沖海戦に始まりポーツマス条約をマトメるまで

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前年に始まったこの戦争は、旅順という要塞を攻略するまで一進一退の状況でした。

以前取り上げた広瀬武夫のところですね。

こちらもかなり劇的な展開ですので、よろしければ以下の記事をご覧ください。

神になった軍人・広瀬武夫 日露の「旅順港閉塞作戦」で劇的な戦死

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その後、陸軍が方針を変え、203高地と呼ばれていた山を占拠、砲撃を行ったことにより旅順の攻略に成功します。

いわゆる”旅順攻囲戦”です。

さらには奉天というところで再び両国の陸軍が激突し、多くの損害・死傷者を出しながらも日本が勝ちました。

ここまでで日本側は人も物も大量に消費しており、近いうちに戦争を続けるのは難しくなるであろうことがわかってきていました。俗な言い方をすればジリ貧状態です。

そのため、できるだけ間をおかずに決定的な勝利を収めることが必要でした。

 

旅順攻めていたら「世界最強艦隊警報」

しかも、旅順攻略中にイヤな知らせが届いています。

それは「世界最強の艦隊がこっち来るってさ\(^o^)/」というもの。

ホントの名前は他にあるんですが、ロシアの西側の端っこ・バルト海から出航したため”バルチック艦隊”と呼ばれています。

聞き覚えのある方も多いでしょうから、以下こちらで呼びましょう。

ちなみに日露戦争の部隊である極東付近にはまた別の艦隊がいましたので、もし合流されたら軍どころか日本の国土丸ごと挟み撃ちになります。

んなことになったら最悪……というわけで、日本軍首脳は最悪の状態を想定しながらアレコレ対策を始めました。

「鬼貫」こと鈴木貫太郎が猛訓練を行ったのはこのあたりの時期です。

鈴木貫太郎は「天皇に唯一”お願い”された男」その不屈の生涯とは?

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バルチック艦隊のずっこけ世界一周

そして日本側が物理的にも精神的にも滝汗状態のころ、同時進行でやってきます。

バルチック艦隊です。

しかし、その艦隊が運が悪いというか、ヘタを打つというか。日本にとってはありがたいことに雲行きが怪しくなっていきます。

まず、出発して間もなくイギリスの漁船をうっかり砲撃してしまい、「何すんだゴルァ!!」と大英帝国サマの怒りを買ってしまいました。

ドッガーバンク事件でバルチック艦隊に大ダメージ 戦争にどれだけ影響した?

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元々イギリス政府は日英同盟により日本の有利になるよう動いていたのですが、この事件によってイギリスの世論も一気に「ロシアブッコロ!殺ったれニッポン!!」という方向に傾きます。

当時のイギリスの新聞が「バルチック艦隊は海賊か!」なんて書いていたそうで……。

それって元海賊たる自分たち英国紳士に対するブラックジョーク?

ロシア艦隊の航路photo by Tosakawikipediaより引用

ともかくバルチック艦隊はどんどん不利な状況へ追い込まれていきます。

当時のイギリスは世界中に植民地を持っていましたので、当然その近海や港も勢力下に置いていました。

こんな事件を起こされては当然「一昨日来やがれ」な扱いをされ、補給もままなりません。

 

日英同盟はうまく働き 露仏同盟は機能せず

本来であればロシアの同盟国フランスの植民地で補給をするはずでした。

しかし、そうすると日英同盟の「第三国が戦争に関与した場合は、日英両国で共闘する」という項目がひっかかるので、それもできません。

フランス植民地に立ち寄る=フランスが参戦するのとほぼ同義だからです。

結果、バルチック艦隊は石炭・食料・水などの補給がまともにできなくなった他、船の整備もロクにできないまま、地球半周の大航海をすることになってしまいました。

船の整備ができないとなると、実は見た目よりもっとデカイ悪影響が出ます。

長く航海をしていると、船底にはどうしても貝がついて速度が落ちてしまいます。

これはどんな船でも避けられず、何ヶ月かに一度は停泊して貝を落とさなくてはなりません。

上記の理由で大きな港に入れなくなったバルチック艦隊は、ロクにこれを行うことができませんので、日本に近付くにつれ最高速度が落ちる――そんな戦艦にあるまじき状況に陥るのです。

こうして両者とも違った意味で戦々恐々とした状態の中、日本海海戦は始まりました。そこで繰り出されたのが……。
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