ネット上には「ただしイケメンに限る」なんて言い回しがありますが、世の中には美しすぎて思わぬ損をしてしまった人がいます。
明治41年(1908年)3月5日は、日本初の美人コンテストが新聞上で開催された日。
現代でいうところのミスコンが「新聞上」で行われたというのがポイントで、トップになったがゆえに大迷惑を被ってしまった人が末弘ヒロ子です。
一体どういうことなのか?
順を追って見ていきましょう。
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もとはアメリカの新聞社から企画が始まった
時を遡ること約一年前。
アメリカの新聞が「全世界の美人さんの写真大募集!」と言いだしました。
これに時事新報社がノって、「我こそは日本一の美女という者は写真を!」と募集をかけます。
そして日本中からさまざまな女性の写真が送られたのですがが、一時期はノーコメントな感じの写真ばかりで、編集部としても(´・ω・`)状態だったとか。
まぁ、撮る人の腕前も影響しますしね。
本人が気付いていない姿勢や角度を指摘して、綺麗に撮るというのもカメラマンさんの腕ですし。
まあそれはさておき、時事新報社に送られてきた写真のうち、ほんの数枚だけ目を引くものがありました。
そして一位に選ばれたのが、当時の小倉市長・末弘道方の娘である末弘ヒロ子嬢です。
本当に美しい方ですよね。
彼女は16歳。
ミスコンというよりは美少女コンテストに出たほうが似つかわしい、花も恥らう少女でした。
ちなみに、二位以下の人はみんなヒロ子より年上ですし、なにより日本一の美女と認められたのですから、もちろん喜ぶべきことです。
しかし、ここで大問題が起こります。
ヒロ子は、学習院中学部の三年生だったのです。
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同校は皇族や華族のお嬢様たちのための学校ですから、自らの写真を全国で晒すようなことは、不謹慎だと考えられたのです。
この写真は末弘ヒロ子が自分で送ったわけではありません。
彼女のお姉さんの旦那さん(つまり義理の兄)が写真館の主で、あるときヒロ子の写真を撮り「よく撮れているから、新聞社に送ろう^^」と言い出したのです。
しかもヒロ子はその場で断っていたのに、後日その義兄が勝手に送ってしまったのだとか。
ありがた迷惑の見本みたいな話ですね。
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