東日本大震災

津波で浸水した仙台市宮城野区の沿岸部(撮影:米海軍)/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

地震大国・日本では過去に何度の大地震が起きたか?地震の歴史まとめ

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江戸時代の大地震

江戸時代といえば

徳川家康
・元禄文化と化政文化
・犬公方の徳川綱吉
・幕末

って感じですかね。

特に徳川綱吉の政治を境に人心が安定し始めました。悪名高い「生類憐れみの令」を実施された方ですが、倫理的には現代社会に近い「命重視」への方向にシフトしたワケです。

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ただし、天災までは減っちゃくれません。特に幕末、井伊直弼が政権を握っていた頃、とてつもない震災が江戸と近畿を襲いました。

では江戸期を通しての大地震は?

回数は急激に増え、1年あたりの地震回数は0.69回となりました。

鎌倉・室町と比べて10倍近く。おおよそ2年に一度は日本のどこかで大きな揺れを観測しております。

幕藩体制となり、諸藩の記録が詳細に残されたせいでもあるでしょうし、平和が続き、物資(紙や硯)の流通が安定したせいでもあるでしょう。

そしてこの時代は大きな被害の地震が頻繁に起き、富士山も大噴火をしております。

江戸時代 109回

M6.1以上の地震 103回

M8.0-9.0クラスの超巨大地震 6回

M6.0(M5.0-6.0含む)の地震 40回

規模不明の大地震 38回

総数 184回(264年間)

1年あたりの地震回数 0.696回

上記のとおり、江戸時代はたびたび超巨大地震に襲われました。

 

政宗に降りかかるM8.1【慶長の三陸沖地震】

まずはM7クラスをさらに抽出してみますと……265年で実に70回も発生しております(1603~1867年で計算)。

江戸に幕府の設置されたこの時代は、これまであまり記録のなかった関東大震災をはじめ、南海トラフ巨大地震、三陸沖地震など、日本列島付近で起きたあらゆる巨大地震を幾度も観測しました。

徳川家康が征夷大将軍についた1603年からわずか2年後の1605年。

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推定M7.9とする【慶長地震】が東海~南海沖(南海トラフ巨大地震沖・震源域などの詳細は不明)で発生します。

そして1611年には東北で東日本大震災クラスとも言えるM8.1の【慶長の三陸沖地震】が起きました。

東北全体で1万人の溺死者が出たとされ、奥州の独眼竜こと伊達政宗の領内では、ことさら被害が激しく、伊達藩だけで1,783名もの死者が出ました。

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北海道でも溺死者が出ており、津波の大きさが想像できるでしょう。

伊達政宗は、家臣の支倉常長をスペインに派遣し、その軍事力を持って『天下人』を目指したという話が残されておりますが、このときの地震を理由に「復興資金を稼ぐため、ヨーロッパへ家臣を派遣させてくれ」と徳川家康に働きかけたのではないか?という見方もあるようです。

さすが転んでもタダでは起きない人です(ただし、この慶長遣欧使節団は失敗に終わりますが……)。

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地震は東北だけでなく関東でも発生しております。

1633年には相模(神奈川県)や伊豆・駿河(静岡県)をM7の地震が襲い、さらにその15年後の1648年にも今度は相模と江戸をM7の揺れが発生。

むろん西日本での揺れがなくなったワケじゃなく、1649年には安芸(広島)・伊予(愛媛)でM7の地震が起き、1662年には近畿から中部日本にかけてM7.25~M7.6と推測される地震が続きます。

さらに同年、九州では日向(宮崎県)・大隅(鹿児島県)でM7.5~7.75の地震も……。

江戸時代になると、発生した地震を追いかけるだけで原稿が手一杯になってしまう勢いです。

 

南海トラフ巨大地震の後に富士山大噴火

M7クラスの地震が60回も起きている江戸時代。

一つ一つ挙げていったらキリがありませんので、元禄期からは特に目立ったモノのみにスポットを当てたいと思います。

まずは【1703年元禄地震】が取り上げられるでしょう。

関東一円を巨大な地震が襲い、特に小田原城下は壊滅状態。8000軒以上の民家が倒れ、死者は2300人を数えました。むろん江戸(東京)も無事ではなく、死者は数千と推測されています。

後世の分析によると1923年に起きた、あの関東大震災と似たタイプの地震だったと目されております。

それだけでも現代人なら震える揺れですが、本当に恐ろしいのはここからです。

1707年10月28日、我が国でも最大級とされる【宝永地震】が起きました。

M8.6という規模の揺れで、東海道から紀伊半島、四国、九州の各地が津波が発生。そうです、何度も出てきた南海トラフ巨大地震であります。

死者は最低でも2万人に達し、倒壊家屋は6万、流出家屋は2万、高知県では20平方キロメートルに及ぶ土地が最大で2mも地盤沈下しました。

一息つく間もなく一気に説明申し上げてきましたが、さらに恐ろしいコトがもう一つ発生します。

富士山で【宝永の大噴火】が起きたのです。

 

降り積もった火山灰の影響で関東は食糧危機に

噴火は1708年12月16日のことですから、前年の南海トラフ巨大地震からわずか1年後のこと。

この噴火で富士山中腹には大きな穴がポッカリと空き、噴き出した火山灰は江戸にまで降り注ぎました。宝永火口と呼ばれるものです。

富士山宝永火口

当時の科学では関連性を証明できないでしょうが、これを【何も関係ない】と見る方が不自然かもしれません。

南海トラフ巨大地震の震源域は、富士山ともほど近い距離にあります。

この連続した宝永地震と富士山の宝永大噴火のため、関東では食糧危機が発生しました。江戸にまで降り積もった火山灰は、主に神奈川で畑作を困難にさせ、食べるものに困るようになるのです。

西日本でも前年に地震が起きており、互いに融通しあう余裕もなかったでしょう。

富士山噴火による火山灰の降灰予想図

現代は、たしかに食糧事情の恵まれた時代ですが、東名や中央道、関越、東北道などが遮断されれば、東京都に運べる食料は瞬時に枯渇します。

もちろん物流は海上からのルートもありますが、もしも首都直下型地震が発生した場合、港の復旧までにかかる時間は早くても3日という試算も出ているほど。

日頃から非常食を保管しておくことがどれほど大事か、ということですね。

 

お祭り気分の観光客8,000人を襲った悲劇

最後に1847年善光寺地震と井伊直弼について触れておきましょう。

善光寺地震とは、長野県の名門・善光寺を直撃した地震です。

善光寺

江戸時代は、東海道を歩いて三重県の伊勢神宮をお参りして、帰りは中央道から長野県の善光寺に寄って江戸に戻ってくる――そんな旅が、庶民の憧れでした。

この善光寺では7年起きに秘仏【前立本尊】の御開帳というイベントがありました。

現代人なら笑ってしまうかもしれませんが、当時はありがたい仏様を拝むというのが、流行りのスタイルだったのです。

なにせそれを見るために全国から長野県に8000人もの観光客が集い、門前町では芝居小屋や土産屋、お菓子屋がところ狭しと並ぶほどに混雑していました。

そんなお祭り会場をM7.4の大地震が襲ったのです。

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この揺れにより、観光客8000人のうち9割が死亡。寺の境内には死体が溢れたと言います。

また、地震によって崩れた山が川を遮ってダムのような状態になり、それが決壊して下流域へ泥水が流れ出ました。

場所によっては高さ20メートルに達したともされており、まさに【山間の津波】と称するにふさわしいかもしれません。

なお、当時最大級の被害だったのは、真田幸村の兄・真田信之が興した松代藩でしたが、ときの当主・真田幸貫の巧みな手腕により、復興事業は急速に進められたそうです。

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災害時に問われるのは、国民の勇気だけではなく、こうしたリーダーの手腕なのかもしれませんね。

 

幕末の政局にも影響を与えた?大地震の連続

ここからは更にM8.0以上の超巨大地震のみを抽出してみますね。

江戸時代の超巨大地震

◆1611年 M8.1『慶長の三陸沖地震』
東日本大震災と同じ規模と目されている。伊達藩で多数死者

◆1703年 M7.9-8.2『元禄地震』
江戸時代の関東大震災。小田原での被害が大きく津波も発生

◆1707年 M8.6『宝永地震』
日本最大級の地震の一つ。高知に巨大津波。これも南海トラフ

◆1793年 M8.2『寛政地震』
伊達藩が再び被災。宮城県沖での巨大地震。家屋損壊は1千軒以上

◆1854年 M8.4『安政東海地震』
南海トラフです

◆1854年 M8.4『安政南海地震』
再び南海トラフが連続して……

幕末の1854年(日米和親条約締結の年・鎖国から開国へ)辺りは、まさに呪われた時期でした。

上記M8.4の2つは南海トラフ地震ですが(1日ズレて発生)、 これに先立って7月9日にもM7.25の地震が伊賀・伊勢・大和(近畿地方)で発生。

さらに翌1855年にはM7.5『江戸地震』が起きて、日本の東西で大打撃を受けています。

幕末1854年前後の地震

1854年 M7.25 近畿地方
1854年 M8.4 安政東海地震
1854年 M8.4 安政南海地震
1855年 M7.5 江戸地震

幕末の政局は薩長土肥の雄藩と佐幕派(幕府サイド)で語られがちです。

しかし天災が政治に影響皆無とは思えず、こうした要因も江戸幕府には不利に働いたでしょう。

では次に明治・大正時代へ。

近代化と共に、現代に残る記録も生々しくなって参ります。

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