小泉八雲と小泉節子の写真

小泉八雲と小泉節子/wikipediaより引用

明治・大正・昭和

朝ドラ『ばけばけ』モデル・小泉八雲(ハーン)の生涯|日本文化に魅せられた異国の作家

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生涯
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東京帝国大学の講師となる

目を病んでしまった小泉八雲ですが、悪いことばかりでもありません。

東京帝国大学(東大の前身)文科大学長・外山正一が、チェンバレンを介して「東京で講師をやりませんか」と声をかけてくれたのです。

この話に応じた八雲は、明治二十九年(1896年)8月から東京帝国大学文科大学で英文学講師となります。

月給は400円で、総長よりも高給だったとか。

当時の明治政府は、お雇い外国人に対する金払いはかなり良かったですが、八雲の場合、政府に直接雇われたわけではなく、一介の講師です。

それだけ彼の見識が評価されていたのでしょう。

授業は毎週12時間で、主に英文学の通史を教え、他に英語圏の詩と小説などを扱っていました。

友人のミッチェル・マクドナルド(下)と共に撮影・視力の失われた左目を隠すように写っている/wikipediaより引用

講義は基本的に英語で行い、口述筆記だったそうです。

いかにも難しそうですが、常に易しい表現で語っていたためか、生徒からの評判はかなり高いものでした。

「語り口がとても快かった」

「親切でどことなく感化力を感じた」

生徒たちの述懐では、このように好意的に語られていて、評価の高さがうかがえます。

八雲が小柄だった(五尺二・三寸≒155~159cm)ことも、生徒から親近感を得られた理由だったようです。

 


後任が夏目漱石だった

小泉八雲は講義のかたわら、東京でも散策や創作に取り組み、著述も続けて理想的な生活を送っていました。

しかし、明治三十六年(1903年)3月、東大に突如解雇されるという事態に見舞われます。

大学側が「これからは外国人ではなく、留学先から帰ってきた日本人を講師にする」と路線を変更したため、その流れに巻き込まれたのです。

これには学生たちも怒り、留任を訴える運動まで勃発しています。

しかし八雲本人が怒りながらも辞職を選んだことで、下火になったようです。

余談ですが、八雲の後任が、あの夏目漱石でした。

夏目漱石の写真

夏目漱石/Wikipediaより引用

もともと八雲の人気があまりにも高く、こんな騒動が起きた直後だったため、漱石はかなり苦労したとか。

漱石は胃痛を患っていたことでも知られますが、こうした状況も一因ですよね。

ついでにいうと、漱石の代表作『吾輩は猫である』で胃薬として登場する”タカジヤスターゼ”は、八雲の来日のキッカケともいえる高峰譲吉が特許申請したものです。

歴史の面白さがありますね。

夏目漱石と胃潰瘍
「吾輩ハ胃弱デアル 特効薬はまだない」病弱な夏目漱石の心身を追い込んだ胃潰瘍

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『怪談』を発行後に狭心症で急逝

八雲はその後、当時の東京専門学校(早稲田大学の前身)総長・高田早苗の招きを受けて、明治三十七年(1904年)4月に同学の講師となりました。

大正時代の早稲田大学の正門/wikipediaより引用

週12時間の授業で、年俸2000円という破格の待遇です。

再び『値段史年表: 明治・大正・昭和』を見ますと、明治三十二年(1899年)の国会議員の年俸(諸手当抜き)が2000円ですので、それと同等。

東京専門学校に移った後も八雲の授業の評判は極めて良く、生徒の中には北原白秋や若山牧水などもいました。

八雲としてもやりがいを感じていたでしょう。

小泉八雲/wikipediaより引用

彼の代表作として知られる『怪談』(→amazon)は、八雲が東京専門学校に着任した同年同月、アメリカで出版されました。

現代人にとっても馴染み深い『耳無し芳一』『ろくろ首』などが収録された本であり、妖怪ファンや怪談ファンにとって、八雲は欠かせない著者といえるでしょう。

しかし、八雲は東京専門学校への着任や『怪談』の出版と同じ明治三十七年(1904年)9月26日、西大久保の自宅で亡くなってしまいます。

狭心症を発症しての最期。

葬儀は仏式で、法名は「正覚院浄華八雲大居士」、雑司ヶ谷墓地に埋葬されています。

おそらく、まだまだ書きたいものもあったでしょうし、50代半ばでしたので、さぞ悔しかったことでしょう。

朝ドラ『ばけばけ』は、あくまでフィクションとして描かれるようですので、ラストがどうなるかわかりませんが、八雲の無念が晴れるようなものだといいですね。

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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