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【平安時代のペット事情】
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「翁丸」犬にも心があり、涙を流す
大して珍しくもなく、人を噛み、死体を貪る――犬は穢れた存在でしたが、例外もいます。
【唐猫】のように日本原産ではなく、中国大陸や朝鮮半島を経由した小型犬は、長らく別物とされてきたのです。
奈良時代に日本に来た「狆(ちん)」は、江戸時代となると専属ブリーダーまでいたほど。
薩摩では、その辺の犬は食料となる一方、島津の殿は狆を育て、殖やし、愛し、プレゼントにすることもあったほどでした。
ドラマ『大奥』で綱吉が抱いていた愛玩犬「狆」は奈良時代からいた
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平安時代にも、愛玩犬はいました。
一条天皇の御猫に襲い掛かり、打ち据えられた犬「翁丸」がその代表であり、清少納言の筆は、この不運な翁丸について書き記しています。
翁丸は定子たちに愛されていました。
得意げに歩き、定子たちの食事の残り物を待ち受ける姿が可愛らしい。
藤原行成は桃の節句のとき、花や柳で翁丸を飾りたてたこともあります。
おしゃれをさせられて練り歩いていた翁丸は、どこか得意げで、「あのときはまさかこんなことになるとは思ってもいなかっただろう」と清少納言は思い出します。
翁丸が打ち据えられ、姿を消すと、定子サロンはロスに沈んでゆきます。
事件から数日後のこと。宮中で蔵人が犬を打ち据えているのか、激しい鳴き声がしています。
止めに入ると、みすぼらしいようで、どこか見覚えのある犬がうずくまっていました。
翁丸なの? いや、似ているけれど、どうもそうではない。定子の女房たちが不審がっていると、それでも定子のそばにじっと座っています。
「翁丸も殴られてかわいそう。あんなに殴られたら生きていないでしょうね。次は何に生まれ変わるのやら……」
そう清少納言がつぶやくと、なんと犬が涙を流すではありませんか!
「翁丸なの?」
「クーン……」
清少納言の問いに答える翁丸!
定子も一条天皇も知るところとなり、犬にも心があると皆が感動。
清少納言は翁丸を手当てしたいと言い出します。
「あなたがそこまで翁丸推しだったなんて知らなかった!」
同僚からはそうからかわれたそうですが、そりゃ好きになるのも当然だと言いたくなるような話でしょう。
清少納言が『枕草子』に記すこの逸話は、ただの犬への愛だけとも思えません。
人であれ、犬であれ、観察し、時には同情する清少納言の感受性の強さも感じさせます。
『枕草子』は、定子とその兄弟の転落は触れておらず、それが軽薄とされることもあります。
けれども打ち据えられた翁丸に寄せる心根の優しさはちゃんと書かれているのです。
翁丸にこうも同情する清少納言が、ただ座して定子たちの悲劇を見ていられたとは思えません。
勝気なだけでない、彼女の優しさが伝わってきます。
「犬野郎」武士と犬の不幸な関係
鎌倉の坂東武者も【金沢猫】にはメロメロになりました。
では犬は?
源実朝の暗殺事件の際、北条義時が「白い犬を見た」という伝説は有名です。
「白」という毛色が重要なのでしょう。神秘の色であり、十二神像の戌像が姿を変えたものとされます。
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そのような由来があればまだしも、何もないただの犬は、むしろ罵倒の象徴。
相手を犬になぞらえる罵声は鎌倉時代の定番でした。
和田義盛とその一門が滅びた後のこと。
三浦義村がまだ若い千葉胤綱が上座に座ったことに対し、こう毒付きました。
「下総の犬っころは自分の寝床も知らんようだな」
すると胤綱はすかさずこう返しました。
「三浦の犬は友の肉を食らうらしいな!」
翁丸の健気さに涙を流す京都の貴族とは全く異なる、犬への態度がそこにはありました。
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【犬追物】という軍事教練は、鎌倉時代に始まっています。
どうせ弓矢の訓練をするならば、的が動いた方がよいだろう――そんな理屈で犬を追いかけ、弓矢で射たのです。
猫と犬の格差は、武家社会ではより苛烈なものとなってゆき、豊臣秀吉は、朝鮮で得た虎に犬を生き餌として与えたとか……。
日本では肉食は盛んでなかったものの例外はあり、薩摩隼人は犬をよく食べていました。
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そうした犬の受難を終わらせたのが、徳川綱吉です。
彼は犬を熱心に保護したため【犬公方】と揶揄されましたが、【生類憐れみの令】とは日本人の苛烈な意識を変えたショック療法とも言えます。
【生類憐れみの令】では犬を保護するだけでなく、瀕死の病人を家から追い出すような行為も禁じられました。
『今昔物語』のように家から追い出される病人も、虐待される犬も、綱吉以降は消えてゆくのです。
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「鳥」空へ飛び立ち 運命を変える
『光る君へ』では、まひろが小鳥を飼育していました。
この鳥が逃げたところを追いかけて、三郎という少年と出会い、物語が始まる――『源氏物語』で紫の上が初登場という場面へのオマージュとされます。
「雀の子を犬君が逃しつる」
つまりは、雀の子を犬君が逃してしまったと嘆きながら、まだ幼いヒロインは登場してくるのです。
一方、彼女の世話をしている祖母の尼は、孫の幼さを嘆きました。仏の教えを知っていれば、小鳥を飼うようなことはしないだろうに……というもので、そんな幼い少女を、最愛の藤壺に似ているからと、光源氏がロックオンしてしまう場面ですね。
この場面から、無邪気で幼い子ども心を示すペットとしての小鳥が見えてきます。
他にも、藤原道綱とその母(『光る君へ』では藤原寧子)の『蜻蛉日記』に同様の描写が記されています。
兼家との生活に疲れ果てた彼女は、いっそ出家しようかと言い出す。
すると子は泣きじゃくりながら「それなら私も出家します!」と言い出しました。
「あなたが出家したら、あの飼っている鷹は誰が世話をするの?」
母は我が子に問うと、子は、止まり木にいた鷹を掴むと空に放ってしまった。
この姿を見て、母も子も、女房たちも涙を流した――という話です。
母子を嘆かせたのは、つれない態度を取る藤原兼家でした。
そんな兼家も、ドラマの中ではペットを飼育していて、これがなかなか象徴的だったりします。
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