大河ドラマ『光る君へ』を見ていて『ちょっと難易度高いかな……』と感じるのが和歌ではないでしょうか。
もともと平安時代や文学が好きで嗜んでいる方ならともかく、一般的な視聴者が瞬時に理解するのはさすがに敷居が高い。
それでもドラマが面白いから、和歌の意味も知ってみたくなる――。
と、そこで注目しておきたいのが主要キャラたちの「百人一首」に選ばれた和歌です。
紫式部をはじめ、その娘である大弐三位に、赤染衛門、和泉式部……そして清少納言や藤原伊周の息子など。
藤原定家が工夫を凝らして編纂したとされるだけあって、『光る君へ』をご覧になられている方なら「あっ」とするような仕掛けも「百人一首」には散りばめられているのです。
まるで当時の栄枯盛衰をも描いたかのような一連の和歌を、ドラマ後半に向けて確認しておきましょう。
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42 清原元輔(大森博史さん)
ちぎりきな
かたみに袖をしぼりつつ
末の松山
波越さじとは
【意訳】約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら、末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと
漢詩の会で、娘のききょう(清少納言)とともに姿を見せた元輔。
彼は清少納言が定子に仕える前に没しましたが、父と娘の関係性を描くために登場したものと思われます。
名高い歌人である元輔は、頼まれて詠むこともしばしばありました。
元輔の祖父、清少納言の曽祖父である清原深養父も、名高い歌人でした。
清少納言は曽祖父と父の名を汚すまいと、歌を詠むことを避けていたと伝わります。
その清少納言の歌も百人一首には収録されており、三人全員が揃っております。彼はドラマ舞台の前の世代として選ばれています。
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53 右大将道綱母(藤原寧子/財前直見さん)
なげきつつ
ひとりぬる夜の
明くるまは
いかに久しき
ものとかは知る
【意訳】嘆きながら一人眠る夜がどれだけ長いか、あなたはご存知なのかしら
受領の娘であり、さして身分の高くない彼女は藤原兼家の妻となりました。
身分の低い彼女の身は安定しません。
それでも一子の藤原道綱は、兼家の三男である道長の時代には、順調に出世を遂げるのでした。
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54 儀同三司母(高階貴子/ぎどうさんじ=藤原伊周の母/板谷由夏さん)
わすれじの
行く末までは
かたければ
今日を限りの
命ともがな
【意訳】あなたがいつまでも私を忘れないというのは本当なのでしょうか。あなたがそう言う日が、私の人生最後の一日であればよいのに
漢学に長け、才知あふれる女性とはいえ、さして身分が高くない作者。
兼家の調子である道隆に愛されたとはいえ、身分の違いから限りある仲ではないかと思うのは無理もないことでした。
そんな切ない心がこの歌にはあふれています。
ところが道隆は貴子を妻としました。夫妻の間に生まれた定子は一条天皇の中宮として寵愛を受けることになります。
低い身分でありながら寵愛を受けた二人の女性が並んでいます。そして彼女らの子の世代が栄えることを示唆するような並びでもあります。
この二人の運命は対照的です。
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55 大納言公任(藤原公任/町田啓太さん)
滝の音は
絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れて
なほ聞こえけれ
【意訳】この滝は水が尽きて久しい。それでもその名声は、今に至るまで流れ渡り、耳に入るほどだ
存命時は和歌においても無双の名人とされた公任。
歌を詠むだけではなく、選者としての力量もめざましいものがありました。
そんな伝説的な存在が、女性たちの歌の間に挟まれています。
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56 和泉式部
あらざらむ
この世のほかの
思ひ出に
今ひとたびの
あふこともがな
【意訳】私はもうこの世を去ります。せめてあの世への思い出に、もう一度あなたにお逢いできればと思うばかりです
奔放な恋を重ね、情熱的な歌で知られる女性です。
藤原彰子に仕えたことで知られ、ドラマ後半で見せ場があることでしょう。
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57 紫式部(まひろ/吉高由里子さん)
めぐりあひて
見しやそれとも
わかぬまに
雲隠れにし
夜はの月かな
【意訳】久しぶりにめぐり合って、本当にあの人なのかわからないうちに、雲隠れする夜の月のように、あの人とは姿を消してしまった
和泉式部が情熱的だとすれば、理知的な歌を得意とする女性。
ご存知『源氏物語』の作者です。
56と57と並ぶことで、藤原彰子のもとには個性あふれる才女がいたと伝わってきます。
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58 大弐三位(だいにのさんみ/藤原賢子/紫式部の娘)
ありま山
ゐなの笹原
風吹けば
いでそよ人を
忘れやはする
【意訳】有馬山から猪名の笹原に風が吹き下ろせば、笹の葉がそよそよと鳴ります。お忘れになったのはあなたでしょう。私は忘れませんからね
紫式部唯一の娘で、宮中での出世については母を上回ったほど。
彰子に仕えた女性の中でもめざましいものがありました。
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