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【『光る君へ』と「百人一首」】
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59 赤染衛門(あかぞめえもん/鳳稀かなめさん)
やすらはで
寝なましものを
さ夜ふけて
かたぶくまでの
月を見しかな
【意訳】はじめから来ないとわかっていたら眠っていたことでしょう。けれどもお言葉を信じて待ち続けていたばかりに、月が傾く様まで見てしまいました
『栄花物語』の作者ともされ、彰子のもとで才知を発揮しました。
この歌は、藤原道隆と深い仲にあった姉妹のために詠んだ歌とされています。
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60 小式部内侍(こしきぶのないし/和泉式部の娘)
大江山
いく野の道の
遠ければ
まだふみも見ず
あまの橋立
【意訳】母のいる丹後の国府には、大江山を越えて生野へ向かわねばなりません。まだあの天橋立だって踏んでいないし、母からの文なんて見てもいませんからね
彰子のもとには母と娘、二代で仕える女性もいました。それだけ幅広く、長く繁栄が続いたということでしょう。
この歌は、藤原定頼(公任の子)に、「あなたの歌は母上による代作ではありませんか?」とからかわれた作者が、ピシャリと反論して詠んだものです。
彰子に仕える女性の機転と教養があふれています。
61 伊勢大輔(いせのたいふ)
いにしへの
奈良の都の
八重桜
今日九重に
にほひぬるかな
【意訳】昔、奈良の都に咲き誇った八重桜が、今日は九重の宮中で咲き誇っています
藤原道長に歌を求められ、当意即妙で返した機転が光る作品です。
作者は歌人の家に生まれ、彰子のもとでその才能を発揮しました。
こうして並んでくる女性たちの歌からは、彰子を中心とした宮廷がいかに華やかであり、女性たちが才知を発揮していたか、それがわかります。
62 清少納言(ききょう/ファーストサマーウイカさん)
夜(よ)をこめて
とりのそらねは
はかるとも
よに逢坂の
関は許さじ
【意訳】まだ夜が明けないうちに、偽の鶏の鳴き真似をしても無駄ですよ。函谷関の関守と違って、逢坂の関守である私は騙せませんからね
56番から61番まで6人続けて彰子に仕えた女性が並び、その後、定子に仕えた清少納言の登場です。
【長徳の変】が起き、暗くなった宮中にいた作者。
それでも藤原行成に対し、漢籍教養をふまえた歌を返す機知は健在でした。
あえて漢籍知識ある和歌が並べられることで、定子のもとにあり『枕草子』で描かれた宮中生活が思い出されるようです。
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63 左京大夫道雅(藤原道雅/伊周の子)
いまはただ
思ひ絶えなむ
とばかりを
人づてならで
言ふよしもがな
【意訳】今となっては、もはや諦めるしかないという気持ちだけでも、人伝でなく直接言えればよいのですが
定子の兄である藤原伊周ではなく、その子である藤原道雅の歌が。
清少納言のあとに続く、切ない悲恋の歌は、中関白家の不遇を照射するようにも思えます。
藤原道綱母と並んだ高階貴子の歌から始まり、続いてきた一条天皇の御代を彩った歌。
その終焉は、中関白家の悲しい宿命と共に終わります。
編者である藤原定家は、「百人一首」と前後して、「百人秀歌」を選びました。
その「百人秀歌」にのみ選ばれた一首に藤原定子の歌があります。
夜もすがら
契りしことを
忘れずは
恋ひむ涙の
色ぞゆかしき
【意訳】一晩中、契りを交わしたことをお忘れでなければ、私がこの世から去ったあと、あなたは涙を落とすことでしょう。その涙の色が知りたかった
もはやこれまで……そう悟った定子が、結びつけておいた三首のうちの一首です。
定子崩御の後、藤原伊周と藤原隆家が、御帳台の帷子の紐に結びつけられた歌を見つけたのでした。
「百人一首」には選ばれなかった悲しい歌。
この歌を入れずとも、歌の並びで中関白家の栄光と没落を示唆した定家の工夫が感じられます。
68 三条院(木村達成さん)
心にも
あらでうき世に
ながらへば
恋しかるべき
夜半の月かな
【意訳】心ならずとも、このはかない世で生きながらえていれば、いつかきっと恋しく思い出されるに違いない、この夜更けの月よ
一条天皇の次に即位した三条天皇。
華やかさの感じられない一首です。
彰子と彼女に使える女性たちの時代からは変わった、次の時代の空気がうかがえるかのよう。
道長という月の光のもと、影となった人々もいた――三条院もその影の中にいた人といえるのかもしれませんね。
藤原道長の歌と比べると、陰影が際立ちます。
この世をば
我が世とぞ思ふ
望月(もちづき)の
欠けたることも
無しと思へ
【意訳】この世は私の世だと思える。満月が欠けていないような世であることよ
『百人一首』は、藤原定家が丹精込めて選んだとされています。
秀でた歌を選ぶだけでなく、配置にも仕掛けがあると指摘されるところ。
定家の歌の選び方と配置により、一条天皇の御代を中心とした華やかな宮中の姿が浮かんでくるのです。
道長とその娘である彰子をとりまく眩いばかりの光だけでなく、定子を取り囲んでいた中関白家の姿も見えてくる。
彰子の仕えた女房が並んだ後、清少納言の歌が配された工夫は見事というほかないでしょう。
ドラマの後半では、こうした歌を詠んだ才知あふれる女性を誰が演じるのか、楽しみになりますね。心して待ちましょう。
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文:小檜山青
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【参考文献】
田渕句美子『百人一首 編纂がひらく小宇宙』(→amazon)
島津忠夫『新版 百人一首』(→amazon)
他