弘法大師空海

弘法大師空海/wikipediaより引用

寺社・宗教

弘法大師空海の生涯と功績~日本密教の祖にして至高の文化人だった

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
弘法大師空海
をクリックお願いします。

 

朝廷の政争に際しては祈祷をし、唐で学んだ文化については書き表し、高野山を賜っては金剛峰寺の元を作り、故郷・讃岐では治水工事を行うなど、腰を落ち着けた日などあったのだろうかと思うほどの仕事ぶりでした。

また、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という舌を噛みそうな名前の学校を作っています。

これは庶民も入れる学校として極めて画期的なところだったのですが、空海の死後10年ほどで運営が難しくなり、売却されてしまったとか……。

空海の「庶民にも学問を」という理念だけは、現在の種智院大学や高野山大学に引き継がれていますけどね。

 

生きながら仏となり、今も修行を続けている

そして帰国から28年後、働きづめだった空海は、高野山奥の院で仏の世界に旅立ちました。

同時代の記録では「荼毘にされた」と書かれているのですが、何故か100年ほどしてから「空海は生きながら仏となり、現在も修行を続けている」といった意味合いの記述が表れ始めます。

現在の高野山でも後者の説をとっていて、一日に二度食事が運ばれ、毎年3月21日には衣服を交換するのだとか。

ということは当然お世話役の人がいるわけですが、彼らはこのことに関して絶対に口外しないため、事実かどうかを確かめる術もなく、一般的には謎のままになっています。

おそらくこの先も世間に明らかにされることはないでしょうね。

遍照院内に建つ弘法大師像/Wikipediaより引用

遍照院内に建つ弘法大師像/photo by Histwr Wikipediaより引用

そんなわけで帰国後のバリバリ仕事をしていた時期以外、空海についてはわからないことのほうが多いのですが、その働きぶりからか「空海が発祥です」といわれているものが全国にわんさかあります。

一番多いのは「この湧き水や温泉の開祖は空海だ」という話ですが、空海が活動していたのはほとんど西日本なので、東日本でのそういった話については……^^;

「生き仏になった後、全国行脚に出ている」という説もあるので、それが本当であればありえない話ではないですけどね。

「空海より後の時代の高野聖たちが湧き水や温泉を見つけた際、空海の名を借りた」という説もあります。こちらのほうが現実的ではありますね。

もしくは「高野山のお坊さんが見つけてくれた」→「高野山といえば空海」→「空海が見つけました」なんて伝言ゲームみたいになっていたのかもしれません。

 

金剛峯寺の元となった道場は実に1200周年超え

他にも「讃岐うどんの元は空海が持ち帰ってきた唐菓子である」とか、「いろは歌は空海が書いたものだ」とか、空海がやった・作ったとされるものは枚挙に暇がありません。

いろは歌は空海の時代の文法ではなかったり、原型とされる唐菓子にはあんこが入っていたりと、いろいろツッコミどころもあるのですけどね。

上記の通り何でもできたというかやってのけたお方ですから、各方面に大きな影響を及ぼしたということが拡大解釈されてこうなったのでしょう。

ホントに記録以上のことをやってたら、いくら高僧といえど体が持たないでしょうし。

それとも仏様のご加護があれば疲労も何とかなるんでしょうか。何そのロボコップ、こわ……待ってやめて仏罰当てないでください。

ちなみに、2015年は空海が金剛峰寺の元になった道場を開いてから1200年目にあたり、ご本尊など貴重なものの御開帳がされました。

スクロールしていくとお経が流れる(!)ので、音量設定を小さめにしてから開いたほうがいいかもしれません。

高野山真言宗-総本山金剛峯寺公式サイト

高野山真言宗-総本山金剛峯寺公式サイト

みんなが読んでる関連記事

遣唐使
遣唐使は何が目的で始まり なぜ廃止されたのか? 全20回まとめ!

続きを見る

まんが日本史ブギウギ31話 北斗空海拳と南斗最澄拳 2つの拳がいま現る

続きを見る

まんが日本史ブギウギ32話 恵果リュウケンより北斗空海拳の真言奥義!

続きを見る

まんが日本史ブギウギ33話 空海と最澄の帰国 法相宗のサウザー&ユダが

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
高野山金剛峯寺/公式サイト
国史大辞典
空海/Wikipedia

TOPページへ

 



-寺社・宗教
-