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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第1回「ありがた山の寒がらす」】
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桶伏せにあい、考える重三郎
さっぱりした顔で、田沼屋敷をあとにする重三郎。
吉原五十間を進んでいくと、若い衆が巨大な桶を転がしてくるところに出会します。
「お〜、でっけぇ!」
無邪気に驚く様子の重三郎。
すると親父様方が重三郎を待ち受けていて、駿河屋が凄んできます。
勝手に「けいどう」を頼んだことで、奉行所から会所にお尋ねが来て大変なことになったのだとか。
重三郎は反論するも駿河屋に殴られます。
カボチャの大文字屋は、そんなことしたら岡場所の女の面倒を見る羽目になるだろ!とこれまたキレています。
確かに取り締まりにあった女郎は吉原へ送られてきて、大変なことになる。
重三郎は人を呼ぶ工夫をしよう!と言い出すものの、ここで田沼の名前を出したことで、老中にまで話をつけたことが発覚してしまいます。
「この、べらぼうめ!」
駿河屋がぶん殴り、ここから先はボコボコに殴る蹴るをされてしまう。
そしてあのでかい桶を被せられ、閉じ込められてしまうのでした。
吉原の懲罰「桶伏せの刑」です。
ったく、蔦重、桶を見た時点で警戒しろぃ!
かくして桶の中で何日も何日も、考える羽目になる重三郎。
途中、雨が降るわ、鼻を噛んだ紙を投げ入れられる嫌がらせをしつこく受けるわで大変なことになります。
三日三晩が過ぎた頃、重三郎は『吉原細見』を見てはしゃぐ客を思い出し、何かをひらめきます。
そしてやっと桶から出され、重三郎は『吉原細見』を手に取ります。
これ新たに作り出す――そう決めた瞬間でした。
MVP:朝顔
その名前の通り、朝に咲いて萎んでしまう花のような存在でした。
ヒロインはしばしば花になぞらえられます。遊女の源氏名に花の名前は定番です。
とはいえ、生身の人間を花になぞらえるとは、なんと残酷なのでしょうか。
花と違い、遊女は裸に剥かれ、そのまま地面に投げ出されました。
遊女を葬る寺は紀行にも出てきた浄閑寺です。
別名は「投込寺」――遊女の屍を投げ込むように葬ることからこう呼ばれました。
朝顔はそんな儚い遊女の一人です。
回想場面に出てくるあでやかで美しい姿は、登場時点でもうありません。
肺を病み、最下層遊女のいる河岸で客を取らされ、あっけなく命を落としてしまう。
一話にして遊女の転落が象徴されました。
落ちた花としてだけではなく、重三郎に空想することの楽しさを伝えた。
朝顔の禿であった花の井との縁も繋いだ。
美しい余韻を残して消えてゆきました。
朝顔のような人が葬られているのだと思えば、浄閑寺で合掌したくなります。
総評
第一回からつかみはバッチリでした。
至る所に工夫があり、見ていて楽しめます。
江戸っ子らしい語彙力が大変素晴らしく、これはもう森下佳子さんの脚本でないと無理だろうと感じました。
彼女の頭の中にああいう言い回しが入っていて、スラスラ出てくるのだろうと思われます。
江戸っ子の割と単細胞で野蛮な行動規範もたまりません。
やたらと短気で暴力的ですからね。ちょっとでも気に食わねえとすぐぶちのめす。やはりこうでないといけないと思いました。
技術的にも工夫があります。
吉原のあの道幅を再現しているだけでも見栄えがします。
時代劇定番のセットだと、浮世絵で見られるあの道幅が再現できていない。どうしても狭くなる。それでも仕方ないと脳内で自動的に妥協していたのだと、ハッとしました。
まだ実写とVFXの繋ぎは若干わかってしまいますが、今後はこなれていくことでしょう。
そうした技術以上に考証がある意味重要です。
浮世絵の世界観をなるべく再現しようという気配りが感じられ、まるで絵が動き出したような美しさでした。
脚本もよく練られています。
恩人である朝顔の屍を前に、吉原に賑わいを取り戻すことを誓う重三郎。
そのために工夫をこらし、田沼意次に直談判しに向かうと「客を呼び込む工夫をするように」と言われ、ここから先、序盤は吉原のブランドイメージ向上に取り組むことになる。
導入としてよくできています。
蔦屋重三郎の躍進は、田沼意次の経済政策あってのものとされます。
そういう意味ではこの二人の邂逅は運命的とも言えますが、現時点でどこか危うさも見て取れます。
田沼意次は、肥溜めに偽装した黄金色の賄賂を突き返さず受け取っている。
散々書いてきましたが、このドラマは近代に向かう中で、問題の萌芽を描いていると思えます。
それは要するに資本主義経済の歪みですね。
重三郎にせよ、田沼意次にせよ、現時点でもう儲けることをフックに打開策を考えている。
しかし、それだけだといずれ破綻します。
田沼意次の失脚はこのドラマの前半ハイライトでしょうし、重三郎が吉原女郎の苦境を解決したら、それは歴史修正になってしまう。つまり実現できません。
第一話の時点で、もうそこは破綻すると見えてきています。
その上で、どうしてそうなってしまうのか、見る側まで考えて欲しいと投げかけてくると想像できます。
この第一回を見て、小難しくなく明るいという評価もありましたが、むしろ難解だと思いました。
あまりに難解なので、噛み砕く工夫はしてあります。
九郎助稲荷ナビもそうですし、唐丸相手に重三郎が語りかけることで、説明も自然にしているのですね。
ただし、登場人物がしばしば思ったことをそのまんま吐き捨てるのは、わかりやすさのためではなく、江戸っ子の気性でしょう。京都人とはちげぇのよ。
強引だった田沼意次との対話も、テーマがみっちり詰まっていると思います。
蔦屋重三郎の躍進は、田沼時代あってのこと。二人をどうにかして絡ませるべく、早々にそうしてきました。
そのうえで、この二人の問答がすでに危うい。
破綻の予感が既に生じています。
主人公である重三郎の性格も見えてきます。
『麒麟がくる』の光秀は理屈っぽく、理想主義者でした。理念先行型で、コミュニケーションはそこまで得意でもありません。学者肌ともいえる。
重三郎は情熱的で、エンタメ型で、コミュニケーション力はここ数年の大河主人公でも屈指の高さです。
頭のキレはある。言葉巧みに、相手の想いを引き出し、当意即妙に正解を出せます。だからこそ意次との問答が成立している。
その反面、思慮の浅さが既に出ています。
「けいどう」が実現されたとして、押し寄せる岡場所の女郎をどうすべきだったのか、考えていません。
この欠点は、今後ジワジワと効いてくるのでしょう。
同じ森下佳子さんの大河でいえば『おんな城主 直虎』の小野政次や、ドラマ10『大奥』の井伊直弼と正反対に思えます。
政次と直弼は、態度や言動に難ありで周囲に拒絶され、誤解も受けてしまいますが、理論としては常にほぼ正しい。
重三郎は人当たりがよいし、当意即妙、その場その場でよいリアクションも取れるけれども、詰めの甘さと根底にある論理の弱さが課題となることでしょう。
『光る君へ』のまひろは陰キャ女王でしたが、今年は陽キャ王者のようです。
まひろ系の陰キャ理屈先行型で性格難ありな人物枠は、後半、曲亭馬琴でも待ちましょう。期待しています。
今年は走るドラマになります。
炎上もするでしょうし、扱うテーマがテーマだけに、毎週「NHKは利用している!性的搾取を促進している!」とSNSで問題視され、ネットニュースにもなりそうに思えます。
既にゲンダイさんも懸念を表しております。
それにしてもゲンダイさんに応じるテレビ関係者さんって、リアクションが毎度素早いと感心してしまいます。
「賛否」って見出しも卑劣ですねぇ。
んなもん、万物に賛否があるのは当たりめえじゃねぇか。それで何か言った気になるくれぇ、おめでてぇ発想にオレもなりてぇよ!
◆NHK大河「べらぼう」女郎の“裸死体シーン”に賛否…「光る君へ」で掴んだ女性ファンの離脱を心配する声も(→link)
とまぁ、そんな野暮なツッコミはさておきまして。
でもよ、やらなきゃいけねえと思ったらそうするしかねえんだよ。そういう心意気でないと。
『鬼滅の刃』で遊郭を扱っておいて、大河でそれをやらないのは、矜持がないと思われても仕方ないところです。
それに、ちょっと考えてみてもください。
大河は西日本に偏ってんだよォ!
戦国三傑となれば中部以西だし、幕末は薩長がデカいツラしてるし、文化の中心だった江戸を軽視しすぎじゃないですかね。
江戸を真面目にやれ。もうそこは待ったなしだから仕方ない。
でも江戸文化をやるにせよ、吉原をロンダリングしたままではいかんでしょう。
このさきどんな困難が待ち受けていようと、それは通らねばならない道だと私は思うことにします。
そういう挑戦は、挑むことそのものに意義があるのです。
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【参考】
べらぼう/公式サイト