松平定信が、没収した青本『金々先生栄花夢』を読み耽っています。
カ行を抜いて話すという遊里の言葉にまで興味津々。
遊里にある隠れた符号を面白がっている。
勉学好きなだけに、未知の世界を描き出す読み物に夢中になっていると稲荷ナビが解説するのですが、これも武士の本音と建前にも思えます。
例えば上品な武士となれば、下品な浮世絵なんて“見ない”ことになっておりやして。
しかし、さる大名のコレクションからは、春画も含めて浮世絵がどっさどっさと出てくるなんてこともある。
江戸時代後期ともなれば、武士出身の浮世絵師である歌川広重に対し、天童藩が絵の注文を入れてくる。垣根はどんどん崩れてゆくものなのです。
定信の場合、この読解力の高さがこの先どう繋がるのか。

松平定信/wikipediaより引用
安永6年、江戸は富本節と青本ブーム
さて、時は安永6年(1777年)も明けました。
馬面太夫はめでたく二代目富本豊前太夫を襲名……となりゃ「直伝」の富元本は売れるわけでさ、吉原の耕書堂にも客が足を伸ばしてきます。

『江戸花柳橋名取 二代目富本豊前掾』/wikipediaより引用
女客をみて、つるべ蕎麦の半次郎はしみじみと感心しています。
男客なら吉原の入り口にまで足を伸ばし、つるべ蕎麦で小腹を満たし、耕書堂で『吉原細見』を買って帰るという観光ルートがありました。
女客ではなかなかそうはいかなかった。

蕎麦を食べる江戸の町民・北尾重政作/wikipediaより引用
ただし、蔦重は本の売れ行きについて「思ったほどじゃねえ……」となんだか弱気。
留四郎がテキパキと説明します。
芝居町にもおろし、師匠方がまとめて買いにくる。
要するに三味線の師匠がまとめて買って弟子に配本するという仕組みですね。
そうしたルートがあるからには、店頭でそこまで売れない。一応、儲けは出ているようだけど蔦重としては寂しいというわけです。
地本問屋の商品を捌けないため、売り物も制限されているんですね。貸本ではお咎めなしだそうですが……。
すると半次郎は「蔦重が売り物を作ればいい」と言い出しました。
春川恋町ならぬ、恋川春町とか、あるいは朋誠堂喜三二とか名前を出していると、次郎兵衛がその喜三二の本を持ってきました。ばかばかしくて面白いんだってよ。
「そういう人に頼めないのか?」と半次郎が聞いてきますが、どちらも戯号(ぎごう)、要するにペンネームであり、正体は不明なんだとか。
しかも市中では人気作家である彼らの争奪戦が始まっていると踏んでいます。
そうなのです。江戸市中は青本ブーム真っ只中!
二大作家である恋川春町と朋誠堂喜三二は鱗形屋が囲い込んでるんだってよ。
飛ぶように青本が売れる鱗形屋に、西村屋が来ています。
ブームが煮詰まってくると読み比べができて、ますます楽しくなってくるそうですぜ。あっしとしちゃあ、時代劇がそうなって欲しいんだがねえ。
西村屋は、青本では鱗形屋には敵わないと素直に認めています。
それに対し、鱗形屋も、西村屋には錦絵があると持ち上げる。
「イヒヒヒ」と笑っている西村屋なので、ま、そんだけ売れているってことだろうな。

初代西村屋与八/wikipediaより引用
するとそこへ若木屋がやってきました。
西村屋は吉原とタイアップしているんだから、そりゃ売れますわな。
三十日間、俄祭りで盛り上げる
蔦重は忘八親父どもに呼び出され、話題は祭りのことへ。
まだ早い、八月では?とキョトンとしていると、大文字屋が蔦重をぶん殴りながら「去年のことを忘れたのか!」と凄んできます。
ああ、半年前ね。
山王、神田に続いて、近頃じゃ深川の祭りも盛り上がっていると。

江戸時代の山王祭の様子を描いた『月百姿 神事残月』月岡芳年/wikipediaより引用
大文字屋は祭りをやろうと言い出したものの、若木屋が「支度が間に合わねえんじゃねえか」とケチをつけてきて、予算をどうするかってところで話は止まったようなのです。
りつは蔦重に「皆を乗せる仕掛けを考えてくれ」と頼んでくる。
と、そこへ駿河屋の女房であるふじがスーッと音もなく入ってきて「ん」と夫に何か渡しています。
ふじは割とぼけっとしていて、無愛想というか、無頓着にも思えます。次郎兵衛は母親に似ていますかね。
でもそれでいいと思うんですよ。女というだけでやたらと笑ったりしなくてもいいじゃないの。
ふじが渡してきたのは、若木屋の廻状(かいじょう)でした。
【俄祭り】開催の案内であり、八月朔日から三十日間、俄を祭りとして盛大に盛り上げるってよ。
これまた大文字屋の言った通り、山王、神田に続いて深川でも祭りが盛り上がっているので、吉原も名物となる祭りを持てばこれに勝る客寄せはないとのこと。
力を合わせて盛り上げようと誘ってくるだけでなく、こうも書かれていた。
「吉原俄祭り総代 若木屋与八」
大文字屋は自分のアイデアがパクられて悔しがっています。
りつは「すかした顔して自分が差配したと企んだってことか」と吐き捨てます。
しかも、俄を錦絵にもするってよ!
西村屋仕立ての『青楼俄狂言』を出す。
ちなみにこの「青楼」とは李商隠由来の漢語です。吉原はむしろ真っ赤だけれども、あえて漢籍由来を用いることで高級感を出すってことですな。
錦絵で市中に祭りを広めながら、それぞれの店名も出すことにして、参加店からは金2両のエントリー代金を徴収――うまいねぇ。自腹切らないでイイもの出せんじゃないのさ。
これがなかなかお得なキャンペーンらしく、忘八親父たちは迷い、蔦重も感心しています。
すると大文字屋が引っ叩きつつ「どうすんだ! どうすんだ!」と突っ込んでくるのでした。
ちなみにここで再来年大河の予習でも。
祭りの企画どころか、日本近代化の過程でアイデアや基盤を乗っ取られたのが『逆賊の幕臣』で主役を務める小栗忠順でした。

小栗忠順/wikipediaより引用
小栗は、たとえ近代化をしたところで徳川はもう持たないではないか?と指摘されるも、それでも彼は「徳川の世が終わってもこの国は残る」と考え、こう答えたものです。
「なぁに、土蔵付きの売り家(近代化が進んだ江戸のこと)を残してもいいじゃないか」
これぞ江戸っ子。かっこいいじゃねえすか。
大久保利通あたりは、明治政府の首都は大阪にしたかったそうですが、結局、江戸改東京になった。
明治政府は西日本政権なのに、東日本に首都が置かれたのは、それだけ小栗たちが残した遺産が大きかったということでしょう。
小栗は幕政単位で「宵越しの金は持たねえ」をしていたともいえる。
幕府の財政が苦しくなったのは、無謀な攘夷テロを繰り返した志士たちのせいで賠償金をふんだくられたという事情もありますが、それはさておき。
そんな江戸っ子の小栗上野介を埋蔵金云々で語るのは無粋な話なんですね。ンな金ありゃ、小栗は日本の近代化に投資してまさぁ。
むさ苦しくない祭りにはきっと需要がある!
頭を叩かれた蔦重が歩いていくと、見覚えのある武士がいました。
なんでも目当ての扇屋の女郎に会えないようで、帰ろうとしています。
すると武士は、案内をする男衆から若木屋の“ここのえ”を勧められまして……いったんは迷うものの笑い飛ばし、また来ると帰ろうとします。
そこで蔦重の存在に気づきました。
蔦重が、その武士を蔦屋に連れてゆく。
と、どうやらあの男衆は若木屋系列のものらしく、松葉、扇、大文字、丁子といった店を頼むと、よその見世の妓(こ)を勧めてきたそうです。きたねぇ話だ。
武士は、そこで吉原が割れていたことを知り、納得の様子。
「こんなんで祭りなんてできるのか」
蔦重がそう愚痴をこぼすと、武士は興味津々でぜひやるべきだと断言します。
「よその祭りはさ、もう、男ばっかり出てきてむさ苦しいったらねえんだ」
武士の言うことも間違いねぇ。男どもときたら、往々にして褌一丁で尻出してるもんな。

『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』歌川国芳/wikipediaより引用
確かに女はあんまり出ないと蔦重も納得。そうなりゃ、女をワッと出しゃあいいと思い付きます。
武士が声を大きくする。
「俄は歌舞伎だ! 女郎は出せずとも、芸者や禿でもいい。つまりは今は禁じられた、本来の女歌舞伎に戻れるってことだ!」
街が割れるのも必ずしも悪いと指摘します。山王や神田にしても、張り合うからこそ祭りの山車が派手になっていった。
逆転の発想ですね。
するとそこへ大文字屋と丁子屋がやって来て、若木屋が俄祭りの費用を着服するつもりだという怪文書の印刷を頼んできます。
おいおい、なにやってんのよ……。
そう思ったら、蔦重もすぐさま怪文書を握りつぶします。
自分の仕切りで祭りを進めたかった大文字屋はそれを諦めきれないようですが、単に潰し合うのはどちらにとっても得ではないでしょう。
「じゃあ、実力で奪い取りましょう!」
蔦重は策を考えると言い出しました。
“宝暦の色男”こと平沢様
俄祭りについて熱く話し合う蔦重と大文字屋。
すると丁子屋が武士に目が行き「平沢様!」と挨拶し始めました。「お知り合いで?」と蔦重が返すと、大文字屋がまたもや怒鳴りつけます。
「当たり前だ、べらぼうめ! おめえ、“宝暦の色男”、知らねえ奴がいるかよ!」
そう小っ恥ずかしいニックネームを言い出しましたぜ。
なんでもこの平沢様は秋田佐竹様のお留守居役とのことで、昔からご贔屓いただいてるようで。今年の大河は、ゆかりの地が大々的に宣伝しにくい有名人が出てきますね。
平沢常富は、留守居の遊興をうるさく言われるようになったとぼやいています。
最近はなんでも自腹で遊んでいるそうで。まぁ、あのカモ平こと長谷川平蔵よりまともな金銭感覚なので、どうにかなっていそうな様子ですね。
なぜ蔦重と話しているのか――大文字屋が平沢に尋ねると、いい本を作るから気になってたそうで、平沢も手伝うから、一番の出し物を見せつけてやったらどうかと提案してきます。
「平沢様が知恵袋についてくだされば百人力だ! この祭り、勝てる!」
大文字屋も丁子屋も感激しています。なんかパリピ孔明ならぬ、パリピ平沢みてえなノリだね。

歌川国芳『通俗水滸伝豪傑百八人之一個・智多星呉用/wikipediaより引用
祭りに乗っ取ってやらぁ!と腹を括った大文字屋が、若木屋に小判を差し出します。
「へっ、そうまでして祭りに出たいのか?」
「はっ、なに言ってんだ。祭りってのはこうすんだって、俺が身をもって教えてやんなきゃと思ってよォ」
「ならしてんじゃねえぞ、このうらなりが! 鼻の穴に指突っ込んで、面の皮ひんめくるぞ!」
「おお、やってみろ! その前にそのでけえ鼻の穴に猪木舟蹴っ込んでやらぁ!」
そうしていきなり一触即発になるのが江戸っ子です。ったく、猫の喧嘩じゃあるめえし。
ここでジワジワ笑えてくるのが若木屋の後ろでじっとしていた西村屋で、喧嘩になりそうになるとコソコソと這って出て行こうとしています。
かくして「俄」の覇権を懸けた戦いの火蓋が切られました。
さて、平沢プロデュースで稽古が始まり、松葉屋の禿を前に配役が決められてゆく。
平沢は諸葛孔明級の軍師ぶりを発揮し、テキパキと指示を出していきます。これが江戸居留守役の実力かあ。
蔦重が、吉原をよくご存知だと感心していると、年の功だと笑い飛ばす平沢。
そして耕書堂は番付しか出さないのかと聞いてきます。蔦重はとびきりでけえのを考えている、これから仕込むと返しています。
すると見覚えのある男が、二人を監視しています。
こいつは西村屋の元にいる忠七でさね。西村屋に戻ると、さっそく蔦重と平沢のことを報告するのでした。
エレキテルをビジネス展開する源内
蔦重は平賀源内のもとへ。
家の中では何やら作業をしている様子です。
どうやらエレキテル量産に突入しているみたいで、何気ないシーンのようで気が利いているのが、男女半々で働いているところですね。
歴史は男だけが作るものでなく、女だってその場にいる――『べらぼう』はそこが意識されていて、江戸城から江戸の街まで、女性の姿が確認できるのです。
実際の浮世絵師にしてもそうで、絵師によっては女弟子もそれなりにいる。
そういう女弟子たちが女性に絵を教えたり、師匠が受けた注文をこなしていたりする。
注文を受けるのは師匠でも、下請けの実務作業は弟子が行ったりしていて、残念ながら、そういう作業は名前が残りにくいものです。
葛飾北斎の娘・葛飾応為が典型例です。彼女が描いても父のネームバリューがある方が売れるので、売り出す際に作者名を変えてしまっていたのではないかと推察されています。

露木為一『北斎仮宅之図』に描かれた葛飾応為/国立国会図書館蔵
後世においては、そこにいたはずの女性の姿がメディア化の過程で消えることがある。
そうすることで無意識のうちに歴史を見る目が歪んでしまうわけですが、本作は、こういう細かいところでも修正を図ろうとしている。実にえれぇドラマなんすよ。
源内本人は千賀道有の屋敷に行っております。田沼派の医師ですね。
当時の医師がネットワークを有していたことはEテレ『3ヶ月でマスターする江戸時代』第7回でも扱われました。
もうNHKプラスでも見られませんので、再放送の機会があればお見逃しなく。テキストでも触れられています。
2024年と2025年は、大河関連番組が本当に充実しております。
千賀道有と田沼人脈は今後の伏線にもなると思いますので、押さえておくことをお勧めします。再来年大河の予習にも最適ですぜ。

平賀源内作とされるエレキテル(複製)/wikipediaより引用
源内がエレキテルの実演をしています。
なんでも金持ちの家で実演販売しているようで、電気でビリリとすると「治療ができた!」とはしゃいでいます。
源内曰く、悪い気が外に出ていったのが「ビリリ」の証なんだそうですぜ。
漢方は気・血・水で説明すっからね。強引にそういうことはできまさぁ。
胡散臭くてアホみたいな場面ではりますが、これも非常に重要なシーンでしょう。
エレキテルも一応、理屈をこねれば漢方医学になる。しかし本来は西洋由来の技術であり、幕府は目を光らせていたはずなのに、なぜ問題ないのか。
徳川吉宗が積極的に取り入れたことがひとつ。
そして「医術ということならまぁ、いいか……」と抜け道になりやすいところがもうひとつ。
そうした要素が重なり、医術がこの時代に開いた穴となって知識が入り込んでくるのですね。
源内が本草学者として漢方医学にも通じていたことが重要です。
戻ってきた源内が、吉原にもエレキテルはどうかと蔦重に勧めてきます。
まぁ、ありなんじゃねえの。吉原といやァ房中術てんで、スタミナドリンクなんか売れているし、その一環として大いにありだと思います。
いや、話を俄に戻して。
あの幻の男の正体と答え合わせ
蔦重は、吉原祭りの内情を茶化した原稿を書いて欲しいと頼みます。
しかし多忙らしく、別人を勧めてきます。
なんとそれは、あの朋誠堂喜三二だそうで、蔦重が会っていた答え合わせがようやくなされます。
・「平賀源内に挨拶する」:難易度★☆☆☆☆
・「大門ですれ違う」:難易度★★★★★
・「悪態をつきながらすれ違う」:難易度★★★★★
・「頭巾をつけた男が追い出される次郎兵衛の回想場面端っこにいる」:難易度★★★★☆
・「つるべ蕎麦を食べている場面の端っこにいる」難易度:★★★★★
・「次郎兵衛が疲れて帰りたいと蔦重に伝える場面で通り過ぎていく」難易度:★★☆☆☆
いやいや、わかるか、こんなもん!
ともかく朋誠堂喜三二はパリピ平沢ってことで。
朋誠堂喜三二だということは秘密にしてくれ
平沢が俄の稽古をつけているところへ、蔦重がきます。
「朋誠堂喜三二先生! もう〜! 何でいってくれねえんですか!」
すると本人は大慌ての様子で、九郎助稲荷にまで蔦重を引っ張っていきます。
「おおっぴらになれば上から怒られるんだよ!」
泣きそうな顔でそう言い出す喜三二。
確かに、現代でいえば公務員がエロい同人誌稼業で儲けているような話ですもんね。これは現代にも通じる話で、扶持以外の稼ぎは罷りならんってことらしい。
実際はそうもできないため、内職している下級武士は多かったもの。そんな中でも歌川広重などは武士と絵師の掛け持ち及びその解消過程で、かなり苦労しています。
てなわけで口止めされつつ、蔦重は「青本を書いて欲しい」と頼んできました。
すると喜三二は、もう書きたくねえってよ。去年から何作も出して飽きがきて、ネタも切れているそうです。
蔦重も「はい、そうですか」と簡単には諦めません。
吉原祭りの舞台裏をネタとして提供します。なんでも源平合戦に見立てるようで。
江戸っ子は、源平合戦や鎌倉武士ネタが大好きで、同じ坂東、ご当地ヒーロー扱いなのですね。
鎌倉時代は描く上で制限がないことも便利です。
家康と同じ時代を生きた信長と秀吉は、江戸中期以降、禁止扱いされてしまいます。これに引っかかった喜多川歌麿は大変な目に逢いました。
これが江戸後期の歌川国芳なんかになりますと「織田信長でなく多田春永でやんす」なんてしょうもねえ誤魔化しで検閲突破して、武者絵をバンバン売りに出しております。
なぜそんな言い訳が通じたのか……。

歌川国芳の描いた織田信長/wikipediaより引用
喜三二は話の元ネタを聞かされると、作家の業ってもんで『竹取物語』でのパロディを思いつきました。
吉原の祭りを制するには、古の花魁・高尾の霊を落とさねばならない。高尾がかぐや姫ということだ。で、そのクエストクリアのためにみんなでくだらない張り合いをするんだとよ。
『光る君へ』でも、まひろ(紫式部)は『竹取物語』の影響を受けていたとされましたね。
それが江戸に来ると、ここまでゲスになるのか。一周回って感動的だ!

江戸時代に描かれた竹取物語のシーン(かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻)/wikipediaより引用
こりゃ面白え! めちゃくちゃ面白え! ぜひ読みたいと蔦重は目をキラキラさせています。
喜三二はまだ迷っている。
すると蔦重は、書き上げたあかつきには「吉原あげてのおもてなしだ!」と誘ってきます。こいつ、毎度吉原をうまく使いやがるな。
板挟みになった喜三二は…
朋誠堂喜三二が、恋川春町と共に作品を書いています。
当時の作家は絵も文も入れられるタイプと、描き描けないタイプがいました。
江戸の出版物は木版なのでレイアウトが自由自在。
絵は必須。
てなわけで、作家も両方こなせればよいのですが、実際は大変ですから、絵師との分業が後に定着してゆきます。
絵と文のタイアップでひときわ豪華なのは、曲亭馬琴と葛飾北斎ですね。
色々あってコンビはのちに解消されますが、変人同士が同居していたこともあったそうですよ。
映画『八犬伝』で、このコンビを是非ともご覧ください。

葛飾北斎の挿絵が入った曲亭馬琴『椿説弓張月』( 大弓を引く源為朝)/wikipediaより引用
絵と文のコンビを結成するとなると、仲良しでなければ務まりません。
朋誠堂喜三二と恋川春町もそうでした。
これも面白ぇ話で、喜三二は秋田藩で、春町は駿河小島藩。
戦国時代なら顔を合わせることすらあり得ない距離です。
それが江戸に勤める大名や武士同士が付き合えるようになるのが特色といえます。ずっと江戸にいる武士は、むしろ自藩に移るとなると都落ちめいた悲壮感を覚えていたりもしますね。
するとそこへ鱗形屋がお茶を持ってきました。
庶民のお茶は、抹茶ではなく今と同じ煎茶になっていますね。
鱗形屋は朋誠堂喜三二を呼び出し、庭に連れてきました。するとそこには鱗形屋一家が揃っております。
「な、なんだい?」
「喜三二先生……近頃、蔦重と懇意にしていらっしゃると聞きましたが、耕書堂から何かお出しになりますか?」
驚く喜三二。
鱗形屋は庭に降りて手をついて、一家揃って頭を下げます。
「とてもかようなことをお願いできる立場でないのは承知の上ではございますが、どうか青本を出すのはうちだけにしていただきたく! お恥ずかしい話、うちは春町先生と喜三二先生の青本だけが頼り! これで持ち直せなければ後がないのでございます! ここを乗り切れねば店は倒れ、一家は離散。店の者は路頭に迷い、末は物乞いか博打打ち! どうか! どうか我らを、お救いいただけませんでしょうか! 喜三二大明神様!」
ここで柏手を打つ一家。呆然とする喜三二。目が泳いでいまさぁ。
やはり経営は苦しいんですかね。まだ持ち直せてはいないんだ……。
鱗形屋からの帰り道、春町はこう告げています。
「蔦重っていうのは、人の食い扶持をかっさらってくトンビのような男ですよ。初めは『細見』、この間は富本本」
「そもそも重板に手を出したのは鱗形屋だろ」
「でも蔦重が恩を仇で返したのは違いないし、富本は、明らかな横取り。まあ俺は、とても組む気にゃならないけどな」
「けど……面白えこと言ってくんだよな、蔦重ってのは」
そう粘る喜三二。ああ、吉原あげてのおもてなしだけで心が動いているわけじゃないんだ。
「うーん……まあやりたいならやればいいんじゃないですか? キサンジさんがどうしてもやるって言うなら、鱗形屋は受け入れるしかないさ」
春町はそう俯いて腕組みし、喜三二の周りを歩きつつこうきた。
どうすんだよ、喜三二! 板挟みだよ!
「さらば、吉原あげて……」
そう苦しげに漏らすのでした。
結局、主人公側の蔦重が袖にされました。しかし、板挟みになったら人情に負けるところが、江戸っ子好みでいいんでさ。
たとえば『勧進帳』、あれなんてどう考えても都落ちする義経一行だと関守はわかっている。
しかし、犯罪者を止めるという責務と、義経と弁慶主従の忠義あふれる振る舞いとの板挟みになり、義経と弁慶の心を重んじる過程が見どころなんですね。

歌川国芳『源義経と武蔵坊弁慶と富樫左衛門』/wikipediaより引用
ここで喜三二が、鱗形屋の懇願を断ったらなんか違うんですよ。そうじゃねえんですよ。江戸っ子の好みに反する。
てなわけで、今年の大河は江戸っ子理解には本当に役立つんですね。
それに今にも通じる慣習を感じます。
例えば国によっては、作家はエージェントと契約して、出版社と交渉します。日本はそうではないでしょう。
「〇〇先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!!」
人気の漫画雑誌である週刊少年ジャンプには、こんな煽りがついておりまして。
今では任意だそうですが、かつては作家を囲い込む専属契約にして育てていたのが週刊少年ジャンプだった。そこで、
「春町先生、喜三二先生の青本が読めるのは鱗形屋だけ!」
と、当時はこうなっていたわけですな。
ちなみにこの専属システムは、蔦屋と喜多川歌麿、東洲斎写楽についても生きてくると思われます。
人情の結びつきあってのものですから、関係が悪化すると専属でなくなることもありました。
富本豊前太夫の助け舟
西村屋は祭りが近づきまして、俄の錦絵を売り出しました。
手がけているのはあの磯田湖龍斎です。このドラマは浮世絵の褪色した色を再現しているのがいいですね。
俄祭りは「切手もいらねえときたもんだ!」というのがセールストーク。
女性が吉原大門を通過するパスがいらないということで、女人気を当てこんでるねえ。
一方で蔦重は「喜三二先生が当分来られない」と、駿河屋女将のふじから聞いています。
「ん」
相変わらず無愛想なふじ。託された書状によれば、急にお勤めが忙しくなったんだってよ。当たり前だ、武士としての本業お真面目にやらんとな。そう思うけど、こりゃ言い訳よな。
「俄、楽しみにしてらっしゃるって」
そうおっとりと言うふじ。
彼女は無愛想なようで、見ているだけでこう、グッとくるような魅力がありますね。
すると蔦重は、怒るどころか、鱗の旦那の手前やりにくかったんだろうと詫び「申し訳ねえ」とつぶやきます。板挟みの苦衷を江戸っ子は理解できんだな。
するとそこへ大文字屋がきて「平沢様が来ない……」と焦っています。これ、蔦重のせいで来ないと知ったらブチギレるんじゃねえか?
するとそこへ薫風がサッと吹き付けるように、あの人がやって来ます。
「どうしたんだよ、お二人さん。なかなか来れず、すまなかった」
富本豊前太夫です。
大文字屋はここで「雀踊りを出すから」と太夫に助力を頼みます。
なんでも若木屋が演目を被せてきたうえに、藤間勘之助に振り付けを頼んだそうで、太夫は「西川扇蔵を担ぎ出すしかねえ」と売られた喧嘩を買っています。
安堵した大文字屋は、見世の方で話をすると去ってゆきます。
それにしても、このドラマの江戸男は全身像まで粋でして、帯をキリリとしめた好男子とはこういうことかと、太夫を見て理解しました。
大文字屋が出ていくと、留四郎が不満をこぼします。
大きな祭りがあるのに、それに合わせた刊行物がない。そう語る留四郎は理想的な奉公人でさぁね。忙しくなることを願っているんですよ。次郎兵衛とは真逆だ。
「実は、俺もだ」
蔦重はニッと笑い、認めます。
「ですよね! だったら何か出しましょうよ!」
「けど、引いた目で見りゃ西村屋が錦絵で客呼んでくれてるし。客引きについてはうちは何もしなくていいと思うんだよ。そこはありがたく乗っからせてもらって、その上で来た客に、“耕書堂”を覚えて帰ってもらう手を考えたいんだけど」
てなわけで宣伝を二人は話し合っています。
蔦重は、ここまできたし、祭りが始まりゃおのずと見えてくるもんもあると楽観的ですが、行き当たりばったりとも言える。
しかし、道を進んでいく山車やら何やら見ていると、そういうもんだとも思えてくるから不思議。
世の中には、締め切りギリギリになってアイデアが出るタイプもいますしね。
思い合い、すれ違う人々
準備の最中、大文字屋と若木屋がすれ違い、バチバチと火花を散らします。
当人だけでなく、背後にいる若い衆も思い切り相手を睨んでいる。
揃いの服を着ているところは学園不良ものみたいな既視感があり、それが陳腐ではなく祭りの熱を駆り立ててくれるのがいいですね。
松葉屋では俄の稽古中でした。
松の井が、自分たちは出られないのかと女将いねに尋ねると、花魁は茶屋から祭りを見物する客の相手をしなければいけないとか。
こりゃいい稼ぎにもなりますわな。
「新様、来るかもしれんすなぁ」
松の井はそっとうつせみに囁きます。
「そんな……もうわっちのことなぞ、お忘れでござんしょう」
そう語るうつせみの顔があまりに哀れで。こっちゃー涙が滲みまさぁ。
その新様こと新之助は、絵草紙屋に吊るされた俄の錦絵を食い入るように眺めています。
隣に偶然、平沢が来ました。
新之助が「この祭りに花魁たちは出るのか?」と呟くように言うと、「花魁はでないだろう」と素っ気なく答える平沢。
嗚呼、うつせみと新之助はどうなっちまうんだ。
俄祭りが始まった
いよいよ祭り当日。
次郎兵衛はイベント参加用品を背負い、「笠ない、笠?」と騒いでいます。楽しむ気満々じゃねえか。
なんせ祭りは一ヶ月も続くそうで、女性客も大歓迎だそうですぜ。
主役は芸者に禿、それに忘八も繰り出すんだとか。客は花魁ともどもをの様子を眺めることができます。
うつせみはそんな客の隣から蔦重を目で追い、新之助が来ないかしきりと気にしています。あーもう駄目だ。これは辛ぇよ。
現れたのは北尾重政と勝川春章でした。
二人は絵師なのでただ楽しむだけではなく、獲物を狙うような鋭さも秘めつつ、見物に向かいます。
すると柝(き)の音を響かせつつ、次郎兵衛が「トウザイ、トウザイ!」と声を張り上げながらやってきました。遊ぶだけじゃねえんだね。
俄の演目は『曽我兄弟』です。『鎌倉殿の13人』でも出てきた仇討ちの話であり、史実を検証したドラマ展開は政治的思惑も絡んでなかなかに複雑でした。
あの事件がわかりにくくなった理由は、こうして江戸時代にエンタメ化され、曽我兄弟が英雄として定着したことがあげられます。
仇討ちという名目はあれど、殺人を犯しておいてなぜそれほど受けたのか。
というと、兄弟の動機が親の仇討ちであり、富士の裾野で繰り広げられた事件ということが大きい。江戸っ子にとって富士は地元のシンボルですからね。
正月のめでたい雰囲気の中、スターが勢揃いして『曽我兄弟』を演じるなんてなりゃ、そりゃもう豪華絢爛。
新年早々血生臭い演目を見て一体なんなんだと突っ込みたくもなりますが、それが江戸っ子なんですよ。

『富士裾野曾我兄弟本望遂図』歌川国芳/wikipediaより引用
三味線が鳴ると、今度は頬かぶりをした豊前太夫が美声を響かせます。
「きゃ〜!」
「豊前さま〜!」
これには女どもも大喜びさ。
りつが見込んだ豊前太夫の人気もありますが、それだけでもないでしょう。禿や芸者という同性が生き生きとしていることにより、勇気づけられる女性もいたのではないでしょうか。
江戸時代には、女体化パロが定着しております。
『三国演義』だと曹操がワルい美女にされる。『水滸伝』でも百八星が美女になって暴れまくる。
なんだ、今でもよくあるギャルゲーのノリか――と思えるかもしれませんが、実は女人気獲得も狙っていたそうです。
女性読者が魔法少女や美少女戦士ものを愛するように、江戸時代の女性もそういう一面があった。
女の大暴れにワクワクする女性もいる。エロいと涎を垂らす男もいる。そこは今も昔も同じで、女性たちが活躍するエンタメは、男女双方のファンを獲得できるんですね。

『傾城水滸伝』歌川國安/wikipediaより引用
このあとは虫尽くしの歌と踊り。着替えた次郎兵衛も参加しておりやす。
大文字屋は若木屋と火花を散らし、勝川春章も歯噛みする
そしてクライマックスは?
そう、雀踊りですね。大文字屋が揃いの浴衣と笠で踊り出すと、反対側から若木屋も迫ってきました。
こいつは道でぶつかるじゃねえか!
江戸っ子は短気なので、本当に些細なことで暴力沙汰になる。喧嘩になって、腹にドス突っ込んだりするんですよ。見ている側もある種のスリルを覚えますわな。
一方で、こんな奴もいる。
「もうやだ……」
そう呟いたのは、大文字屋側にいる次郎兵衛です。
そそくさと退散しやがって、鳥羽・伏見の戦い後の慶喜かよ!
そのムカつく姿は『逆賊の幕臣』で確認しましょう……ということで雀踊りは大文字屋と若木屋が負けじと踊る一騎討ちになりました。
蔦屋には、蔦重と北尾重政、勝川春章が休んでいます。
ムスッとしているのは春章。具合でも悪いのか?と留四郎が尋ねると、こう呟きます。
「ちくしょう……なんで湖龍斎なんだよ。こりゃ俺の仕事だろ!」
「そうか……俄は芝居、芝居絵っていやぁ春章先生!」
留四郎は納得しています。それを聞いた蔦重はすかさず立ち上がります。
「春章先生。俄の絵、描きますか!」
「描くって、もう始まっちまってるじゃねえか」
「祭りはひとつき続くんで、錦絵は難しいけど、墨摺の冊子ならできますよ。今日のが春章の手にかかればどうなんのか、俺も見てえし」
「だよな! 今日のはこんなんじゃねえ、これじゃねえよな!」
「へえ、先生が見たのを描いてくだせえよ!」
こう言われ、鰹節を嗅ぎつけた猫のような顔になる春章。
蔦重はクリエイターのやる気を引き出す天才よな。
これが江戸文化を考える上で大事で、ギャラではなく企画の面白さで引き受けるかどうか、決める作家もいたものでした。
版元の役割は重要なのです!
春章が、芝居絵を得意としている自負は、動きを切り取る描き方に自信があるということでもあるのでしょう。
春章の弟子であった葛飾北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、凄まじい動体視力がなければ到底描けないとされます。

『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』/wikipediaより引用
これは北斎一人だけのものでもなく、浮世絵師の特性かもしれません。
燃える炎や爆風も克明に描く浮世絵師は確かに存在しています。江戸文化は日本文化の大きな基礎なんですね。

月岡芳年『大日本名将鑑 狭穂姫 上毛野八綱田』/wikipediaより引用
『明月余情』が祭りの賑わいを伝える
するとそこへ平沢がふらっとやってきて、青本を反故にしたことを詫びます。
忙しいのに無理を言ったと頭を下げる蔦重。
平沢はいい出来になったと大笑いで、すっかり祭りを堪能した様子です。
すると蔦重はおそるおそる「序ぐらいなら書いてもらえないですか」と言い出します。
祭りの絵本を出すとこの場で決めたそうで。
かくして豪華な冊子ができます。
「なんだこの冊子は……これではうちの錦絵が霞むではないか!」
冊子の出来は、西村屋が悔しがるところでわかります。本当にこのマシリト面は毎回悔しがっててんな。
祭りの興奮を閉じ込めたこの『明月余情』は、俄土産として飛ぶように売れました。
その一冊を手にした長屋の住人が眺めていると、新之助が通りかかり、勧められるままに『明月余情』を手に取るのでした。
隔てを忘れて歌い踊る最終日
祭りの最終日――俄の助六がここで映されます。
この助六が重要です。
助六は江戸っ子好みの最上位。説明するうえで外せない演目です。
しかし、ヒロインの揚巻は花魁です。
と、このように江戸文化を説明するとなると、吉原花魁は外せない。そこを正面突破するか、グダグダ言い訳しつつ隠蔽するかってえのが障壁なんでさ。

『助六所縁江戸櫻』歌川国貞/wikipediaより引用
最終日、北尾重政、勝川春章、そして朋誠堂喜三二も揃っています。
雀踊りは盛り上がり、すでに祭りには欠かせない存在になったようで。昨日は褌一丁にまで盛り上がったので、今日は褌すら取るのかと言い合っているんだとか。やはり江戸っ子はすぐに褌一丁になるんだな。
例によって、大文字屋と若木屋がグイグイと踊り合いつつ、接近してきます。
二人は睨み合い、大文字屋がこう切り出したぜ。
「もう、やることねえな」
「おう、30日、よくやったぜ」
「もう、あれしか……」
「ねえな」
すると二人は、意外なことに互いの笠と扇子を交換し、和解するのです。
「おお〜!」と盛り上がる観衆。
「いよっ、粋だね、ご両人!」
かくして両者は分かり合い、肩を並べて踊るのでした。
鳥が鳴く
東(あずま)の華街(いろまち)に
速戯(にわか)をもてあそぶこと
明月の余情(よせい)を儲けて
紅葉葉(もみじは)の先駆けとせんと
ある風流の客人(まれびと)の
仰せを秋の花とす
我と人と譲りなく
人と我との隔てなく
俄の文字が調いはべり
朋誠しるす
朋誠堂喜三二の序文が読まれるのでした。
この時代となると、いちいち訳をつけずともなんとなくわかりますね。粋であることが伝わってくる。
何より、雀踊りと、それを見て笑う皆の顔が、文意を示しています。
祭りに神隠しは付き物
松葉屋では、うつせみと松の井が祭りを見下ろしています。
太客を演じるのは二代目林家三平さん。噺家がゲストたぁ、いいですね。
豪商は、花魁たちも打掛を脱ぎ捨てて祭りに参加するよう促します。
うつせみはここで、祭りを見にきた新之助の姿を認めました。すると、その背中をトンと押し、松の井はこう言います。
「祭りに神隠しは付き物でござんす。お幸せに」
そう言いながら笠を手渡すと、うつせみは黙って頷き、人々の波の間をくぐりぬけ、新之助の手を執ります。
二人は、大門をくぐり抜けてゆくのでした。
蔦重はしみじみとこう言います。
「我と人と譲りなく、人と我との隔てなく、俄の文字が調いはべり」
喜三二は手を打ち、こう続けます。
「祭りは神様が来てるから、常には起こらないことが起こるもんでさ」
ここでちゃっかり蔦重は、吉原案内本の執筆まで依頼します。
この店はどんなだ。こんな女郎がいる。そう面白おかしく書いてあるだけ、吉原大好き馴染み意見として書いてはどうかと提案します。別の号を使えばいいってさ。
そしてこうだぜ。
「俺は、平沢様と本を作っていきてえです」
「どうだろうまぁ……ってなぁ、どう? 戯号。吉原大好きな馴染み客の」
「そりゃあどうだろう、まぁ!」
そう笑い合う二人でした。
奇跡は確かに起きたんでさ。あの賑やかな祭りが、うつせみと新之助にとっては、織姫と彦星が渡る鵲の橋になりやしたね。

月岡芳年『月百姿 銀河月』/wikipediaより引用
しかし、稲荷ナビは不穏なことを語ります。
我と人との隔てない幸せな時も、俄祭りの間だけ、目覚めれば終わるかりそめのひとときなんだと。その裏で、世の仕組みは軋み始めているのだとか。
うつせみと新之助が手を執り合う一方、蔦重と別れた瀬川こと瀬以は鳥山検校の元にいます。
鳥山検校が奏でる三味線の音は、どこか心をかき乱すような不穏さがある。
市原隼人さんは三味線を習得し、吹き替えは使っていないそうで、この難役を吟味し、ただならぬ迫力と荘厳さをもって演じています。
鳥山検校の静謐な凄み。まるで抜き身の刃を構えながら、刺そうかとこちらに突きつけてくるような、そんな冷たさがある。ちょっとでも気を抜いたら、血が流れてしまうような。
瀬以もそれを感じとっているのか、不穏を感じたような表情を浮かべるのでした。
MVP:大文字屋と若木屋
結局、こいつらは何がしたかったのか?
そう言いたくなるようで、日本文化の芯を見せつけてくれるようなシーンとなりました。
彼らのバトルは「まるでヤンキー漫画のようだ」とも言われました。
なるほど、私なりに考えてみましたが、ああいう若者同士がバチバチとチーム単位で争うフィクションって、日本文化らしさの精髄のようだとも思えてきます。
今回の展開は、日本人じゃないとピンとこないようでいて、実際は日本のエンタメに浸かっている人ならばピンとくるんじゃないかと感じるのです。
「あー、『SLAM DUNK』とかね!」とまあ、中国あたりじゃこうなるでしょう。
例えばお互い、揃いの浴衣を着ていますよね。
これも、本作らしい江戸文化の味わい方を示しております。
浮世絵では、同じ町内やサークル同士が揃いの浴衣を着ているものがあります。
お揃い浴衣も江戸文化で、そういうのが今にも繋がっていると思うと楽しい。
なんのかんのでバチバチ火花散らして、仲直りする。
試合のあととか、殴り合いのあととか。
それと同じですよね。
もう江戸文化は我々の骨身に染みついていて、抜けねえんじゃねえの?
あの二人が対峙しているところでそう思いました。
普通に生きていた人々の息遣いが感じ取れる、なんとも素敵な話じゃねえですか。
んで、そんな二人が盛り上げたおかげで、うつせみと新之助は“神隠し”によりいずこかへ消えてゆきました。
様々な偶然と人の縁が織りなす奇跡。
なんとも粋じゃないですか。
褌一丁&刺青のこと
二人がエキサイトして「褌一丁になった」というのも、江戸文化を考える上で非常に大事です。
江戸は高温多湿な上に男ばかりなので、江戸っ子はしょっちゅう脱ぎ出す。
「夏なので裸だった」
というような話を江戸っ子はよくする。それがもう当然になっていると。
歌川国芳の絵なぞ見ていると「こいつらなんでこんなに脱いでいるのか」としみじみ感じてしまいます。
幕末に来日した外国人の写真も、褌一丁はしばしばあるもんですが。

『飛脚、日本と絵入り日本人』エメ・アンベール/wikipediaより引用
で、そうやって脱いだ時、刺青を入れているとポイントが上がる。
いきのいい兄ちゃんはやたらと入れるんです。
今回の放送でちぃと不満があるとすれば、誰も倶利伽羅紋紋にはなってねえことかな。一人くらいいてもいいじゃないの。
刺青は最先端ファッションではありますが、儒教思想には反するため武士は原則禁止です。
名奉行・遠山金四郎が江戸っ子に愛されたチャームポイントとして、武士なのに若い頃調子こいて刺青を入れてしまったことがあるそうで。
あんなに派手な桜だったかどうかについては諸説ありますが、ワンポイントでも大変なことでした。
それがどうして今日みたいな刺青に厳しい世の中になったか?というと、様々な要素はありますが、要は明治以降に規制されていったのが大きい。
例えば徴兵検査で刺青が見つかると、えれぇ怒られるんです。
明治以降というのは、言ってみれば「国民全部を武士にしよう」という恐ろしい世の中でして。
因果関係として、刺青入れてイキがるような兄ちゃんは反社会的な行動も取りやすい。てなわけで、刺青は極道の証扱いされ、世間様から隠されるようになっちまったんです。
しかし、元を辿れば粋な文化だし、技術も世界最高峰。
イギリスの王族だって、来日時にわざわざ刺青入れていたほどなのです。
それを一律に刺青を悪とみなし、アイヌのような先住民のものまで貶めた。
銭湯で民族伝統の刺青を入れているだけで断られた外国の方の話も聞きました。
今どき、刺青=反社会的というのも単純じゃないですかね?
というわけで、私は刺青が大好きですし、単純に悪と決めつけてプールやら銭湯から締め出すのは好きになれません。
見る機会はまだないけれど、駿河屋の親父は刺青を入れているそうで、そういうところが本作の長所だと思います。
総評
ギョッとするほど暑い、すっかり初夏のような気候に驚きつつも、これァユニクロ浅草限定浮世絵アパレルが着られる季節だと思いましたね。
今年は相撲。
北斎と広重かつ、ワンポイントで墨摺モチーフですんで、ビギナーでも安心できるラインアップでさ。
昨年のダークファンタジーはちとハードル高かったからいいと思いやすぜ。てなわけで、浮世絵を推していきやす。

勝川春章の相撲絵/wikipediaより引用
今回は江戸文化ガイドとして秀逸でした。
江戸っ子の怒りっぽさ。団結するところ。喧嘩早いところ。負けず嫌い。妖怪変化や神隠しが好きで信じてしまうところ。
そういった特質だけでなく、彼らがこよなく愛する助六、曽我兄弟、そういったものが目白押しで、江戸東京博物館の企画のようだと思えました。
それだけ役立つのに、ドラマとしても非常に面白い。
昨年と今年の大河ドラマ特徴としては、関連番組や企画が多いこともあげられます。
特にEテレの『3ヶ月でマスターする江戸時代』は、あと1回で終了してしまいますが、本当に素晴らしい。
コラボスペシャルの『歴史探偵』も素晴らしかった。
松葉屋女将役の水野美紀さんが、この役の正義とどう折り合いをつけるのか、真剣に考えて演じたことが伝わってきました。
この「真剣に悩み考えること」が大事なのでしょう。そこをきちんと伝えていくことが重要です。
この回ではしっかりと、当時の政治が女性の心と体を搾取して、金を得る仕組みがあったと解説されていました。
ここまできたか。ついにこうなったか。国やシステムとしての性的搾取を遂に認めたか。そう感慨深いものがありました。
徳川幕府だけに責任を押し付けることには無理があるのです。
明治政府はそこを改善しようとはせず、芸娼妓解放令のような誤魔化しだけで続行しております。
娼妓を救おうとしたのは、プロテスタント系やフェミニズム系の活動家であって、政府主導ではありません。
そういう事情があるせいか、どうしたって吉原周りはおかしなことが続いてまして。
特に2000年代あたりの歴史修正的な責任逃れはギョッとするほど酷いもんがあると、その頃に書かれた本を読むとあらためて思います。
日本は2000年代から2010年代にかけて「日本スゴイ」言説が跳梁跋扈していた。
その流れも終わりが見えてきたからこそ、こうやって吉原というテーマを見据えられるんだなと感じます。
日本文化を語るとなればどうしたって吉原は避けて通れない。そこを正面切って避けずに挑む。大文字屋と若木屋の雀踊りみてえに突き進む。
そういう気概がドラマ周辺から見えてきて、とてもいい侠気の風を感じておりやすぜ。
吉原を扱うことには賛否両論だとわかっちゃいますが、まず、議論の俎上に載せていかないとどうにもならねえんすよ。
大文字屋が気に入らねえから俄祭りを潰そうとして、蔦重が一蹴したじゃねえですか。
潰そうとしたり、打ち切りハッシュタグを回すんでなく、同じ土俵で話し合って実り合うことが時代を先に進めんでさ。
というわけでですね、来年はさておき、再来年大河にまで流れが続いていくとも思えます。
江戸後期から幕末まで、江戸市中に出回る草子や浮世絵も重要です。
蔦屋重三郎の後継者たちも無茶苦茶根性がありますんで。
今年、地本問屋や浮世絵に興味を持ち、調べていくうちに、幕末まで到達する。
そういう興味関心の広げ方ができて、とても意義あることだと感じているところです。
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【参考】
べらぼう/公式サイト





