こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【『べらぼう』感想あらすじレビュー第12回俄なる『明月余情』】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
板挟みになった喜三二は…
当時の作家は絵も文も入れられるタイプと、描き描けないタイプがいました。
江戸の出版物は木版なのでレイアウトが自由自在。
絵は必須。
てなわけで、作家も両方こなせればよいのですが、実際は大変ですから、絵師との分業が後に定着してゆきます。
絵と文のタイアップでひときわ豪華なのは、曲亭馬琴と葛飾北斎ですね。
色々あってコンビはのちに解消されますが、変人同士が同居していたこともあったそうですよ。
映画『八犬伝』で、このコンビを是非ともご覧ください。

葛飾北斎の挿絵が入った曲亭馬琴『椿説弓張月』( 大弓を引く源為朝)/wikipediaより引用
絵と文のコンビを結成するとなると、仲良しでなければ務まりません。
朋誠堂喜三二と恋川春町もそうでした。
これも面白ぇ話で、喜三二は秋田藩で、春町は駿河小島藩。
戦国時代なら顔を合わせることすらあり得ない距離です。
それが江戸に勤める大名や武士同士が付き合えるようになるのが特色といえます。ずっと江戸にいる武士は、むしろ自藩に移るとなると都落ちめいた悲壮感を覚えていたりもしますね。
するとそこへ鱗形屋がお茶を持ってきました。
庶民のお茶は、抹茶ではなく今と同じ煎茶になっていますね。
鱗形屋は朋誠堂喜三二を呼び出し、庭に連れてきました。するとそこには鱗形屋一家が揃っております。
「な、なんだい?」
「喜三二先生……近頃、蔦重と懇意にしていらっしゃると聞きましたが、耕書堂から何かお出しになりますか?」
驚く喜三二。
鱗形屋は庭に降りて手をついて、一家揃って頭を下げます。
「とてもかようなことをお願いできる立場でないのは承知の上ではございますが、どうか青本を出すのはうちだけにしていただきたく! お恥ずかしい話、うちは春町先生と喜三二先生の青本だけが頼り! これで持ち直せなければ後がないのでございます! ここを乗り切れねば店は倒れ、一家は離散。店の者は路頭に迷い、末は物乞いか博打打ち! どうか! どうか我らを、お救いいただけませんでしょうか! 喜三二大明神様!」
ここで柏手を打つ一家。呆然とする喜三二。目が泳いでいまさぁ。
やはり経営は苦しいんですかね。まだ持ち直せてはいないんだ……。
鱗形屋からの帰り道、春町はこう告げています。
「蔦重っていうのは、人の食い扶持をかっさらってくトンビのような男ですよ。初めは『細見』、この間は富本本」
「そもそも重板に手を出したのは鱗形屋だろ」
「でも蔦重が恩を仇で返したのは違いないし、富本は、明らかな横取り。まあ俺は、とても組む気にゃならないけどな」
「けど……面白えこと言ってくんだよな、蔦重ってのは」
そう粘る喜三二。ああ、吉原あげてのおもてなしだけで心が動いているわけじゃないんだ。
「うーん……まあやりたいならやればいいんじゃないですか? キサンジさんがどうしてもやるって言うなら、鱗形屋は受け入れるしかないさ」
春町はそう俯いて腕組みし、喜三二の周りを歩きつつこうきた。
どうすんだよ、喜三二! 板挟みだよ!
「さらば、吉原あげて……」
そう苦しげに漏らすのでした。
結局、主人公側の蔦重が袖にされました。しかし、板挟みになったら人情に負けるところが、江戸っ子好みでいいんでさ。
たとえば『勧進帳』、あれなんてどう考えても都落ちする義経一行だと関守はわかっている。
しかし、犯罪者を止めるという責務と、義経と弁慶主従の忠義あふれる振る舞いとの板挟みになり、義経と弁慶の心を重んじる過程が見どころなんですね。

歌川国芳『源義経と武蔵坊弁慶と富樫左衛門』/wikipediaより引用
ここで喜三二が、鱗形屋の懇願を断ったらなんか違うんですよ。そうじゃねえんですよ。江戸っ子の好みに反する。
てなわけで、今年の大河は江戸っ子理解には本当に役立つんですね。
それに今にも通じる慣習を感じます。
例えば国によっては、作家はエージェントと契約して、出版社と交渉します。日本はそうではないでしょう。
「〇〇先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!!」
人気の漫画雑誌である週刊少年ジャンプには、こんな煽りがついておりまして。
今では任意だそうですが、かつては作家を囲い込む専属契約にして育てていたのが週刊少年ジャンプだった。そこで、
「春町先生、喜三二先生の青本が読めるのは鱗形屋だけ!」
と、当時はこうなっていたわけですな。
ちなみにこの専属システムは、蔦屋と喜多川歌麿、東洲斎写楽についても生きてくると思われます。
人情の結びつきあってのものですから、関係が悪化すると専属でなくなることもありました。
富本豊前太夫の助け舟
西村屋は祭りが近づきまして、俄の錦絵を売り出しました。
手がけているのはあの磯田湖龍斎です。このドラマは浮世絵の褪色した色を再現しているのがいいですね。
俄祭りは「切手もいらねえときたもんだ!」というのがセールストーク。
女性が吉原大門を通過するパスがいらないということで、女人気を当てこんでるねえ。
一方で蔦重は「喜三二先生が当分来られない」と、駿河屋女将のふじから聞いています。
「ん」
相変わらず無愛想なふじ。託された書状によれば、急にお勤めが忙しくなったんだってよ。当たり前だ、武士としての本業お真面目にやらんとな。そう思うけど、こりゃ言い訳よな。
「俄、楽しみにしてらっしゃるって」
そうおっとりと言うふじ。
彼女は無愛想なようで、見ているだけでこう、グッとくるような魅力がありますね。
すると蔦重は、怒るどころか、鱗の旦那の手前やりにくかったんだろうと詫び「申し訳ねえ」とつぶやきます。板挟みの苦衷を江戸っ子は理解できんだな。
するとそこへ大文字屋がきて「平沢様が来ない……」と焦っています。これ、蔦重のせいで来ないと知ったらブチギレるんじゃねえか?
するとそこへ薫風がサッと吹き付けるように、あの人がやって来ます。
「どうしたんだよ、お二人さん。なかなか来れず、すまなかった」
富本豊前太夫です。
大文字屋はここで「雀踊りを出すから」と太夫に助力を頼みます。
なんでも若木屋が演目を被せてきたうえに、藤間勘之助に振り付けを頼んだそうで、太夫は「西川扇蔵を担ぎ出すしかねえ」と売られた喧嘩を買っています。
安堵した大文字屋は、見世の方で話をすると去ってゆきます。
それにしても、このドラマの江戸男は全身像まで粋でして、帯をキリリとしめた好男子とはこういうことかと、太夫を見て理解しました。
大文字屋が出ていくと、留四郎が不満をこぼします。
大きな祭りがあるのに、それに合わせた刊行物がない。そう語る留四郎は理想的な奉公人でさぁね。忙しくなることを願っているんですよ。次郎兵衛とは真逆だ。
「実は、俺もだ」
蔦重はニッと笑い、認めます。
「ですよね! だったら何か出しましょうよ!」
「けど、引いた目で見りゃ西村屋が錦絵で客呼んでくれてるし。客引きについてはうちは何もしなくていいと思うんだよ。そこはありがたく乗っからせてもらって、その上で来た客に、“耕書堂”を覚えて帰ってもらう手を考えたいんだけど」
てなわけで宣伝を二人は話し合っています。
蔦重は、ここまできたし、祭りが始まりゃおのずと見えてくるもんもあると楽観的ですが、行き当たりばったりとも言える。
しかし、道を進んでいく山車やら何やら見ていると、そういうもんだとも思えてくるから不思議。
世の中には、締め切りギリギリになってアイデアが出るタイプもいますしね。
思い合い、すれ違う人々
準備の最中、大文字屋と若木屋がすれ違い、バチバチと火花を散らします。
当人だけでなく、背後にいる若い衆も思い切り相手を睨んでいる。
揃いの服を着ているところは学園不良ものみたいな既視感があり、それが陳腐ではなく祭りの熱を駆り立ててくれるのがいいですね。
松葉屋では俄の稽古中でした。
松の井が、自分たちは出られないのかと女将いねに尋ねると、花魁は茶屋から祭りを見物する客の相手をしなければいけないとか。
こりゃいい稼ぎにもなりますわな。
「新様、来るかもしれんすなぁ」
松の井はそっとうつせみに囁きます。
「そんな……もうわっちのことなぞ、お忘れでござんしょう」
そう語るうつせみの顔があまりに哀れで。こっちゃー涙が滲みまさぁ。
その新様こと新之助は、絵草紙屋に吊るされた俄の錦絵を食い入るように眺めています。
隣に偶然、平沢が来ました。
新之助が「この祭りに花魁たちは出るのか?」と呟くように言うと、「花魁はでないだろう」と素っ気なく答える平沢。
嗚呼、うつせみと新之助はどうなっちまうんだ。
俄祭りが始まった
いよいよ祭り当日。
次郎兵衛はイベント参加用品を背負い、「笠ない、笠?」と騒いでいます。楽しむ気満々じゃねえか。
なんせ祭りは一ヶ月も続くそうで、女性客も大歓迎だそうですぜ。
主役は芸者に禿、それに忘八も繰り出すんだとか。客は花魁ともどもをの様子を眺めることができます。
うつせみはそんな客の隣から蔦重を目で追い、新之助が来ないかしきりと気にしています。あーもう駄目だ。これは辛ぇよ。
二人は絵師なのでただ楽しむだけではなく、獲物を狙うような鋭さも秘めつつ、見物に向かいます。
すると柝(き)の音を響かせつつ、次郎兵衛が「トウザイ、トウザイ!」と声を張り上げながらやってきました。遊ぶだけじゃねえんだね。
俄の演目は『曽我兄弟』です。『鎌倉殿の13人』でも出てきた仇討ちの話であり、史実を検証したドラマ展開は政治的思惑も絡んでなかなかに複雑でした。
あの事件がわかりにくくなった理由は、こうして江戸時代にエンタメ化され、曽我兄弟が英雄として定着したことがあげられます。
仇討ちという名目はあれど、殺人を犯しておいてなぜそれほど受けたのか。
というと、兄弟の動機が親の仇討ちであり、富士の裾野で繰り広げられた事件ということが大きい。江戸っ子にとって富士は地元のシンボルですからね。
正月のめでたい雰囲気の中、スターが勢揃いして『曽我兄弟』を演じるなんてなりゃ、そりゃもう豪華絢爛。
新年早々血生臭い演目を見て一体なんなんだと突っ込みたくもなりますが、それが江戸っ子なんですよ。

『富士裾野曾我兄弟本望遂図』歌川国芳/wikipediaより引用
三味線が鳴ると、今度は頬かぶりをした豊前太夫が美声を響かせます。
「きゃ〜!」
「豊前さま〜!」
これには女どもも大喜びさ。
りつが見込んだ豊前太夫の人気もありますが、それだけでもないでしょう。禿や芸者という同性が生き生きとしていることにより、勇気づけられる女性もいたのではないでしょうか。
江戸時代には、女体化パロが定着しております。
『三国演義』だと曹操がワルい美女にされる。『水滸伝』でも百八星が美女になって暴れまくる。
なんだ、今でもよくあるギャルゲーのノリか――と思えるかもしれませんが、実は女人気獲得も狙っていたそうです。
女性読者が魔法少女や美少女戦士ものを愛するように、江戸時代の女性もそういう一面があった。
女の大暴れにワクワクする女性もいる。エロいと涎を垂らす男もいる。そこは今も昔も同じで、女性たちが活躍するエンタメは、男女双方のファンを獲得できるんですね。

『傾城水滸伝』歌川國安/wikipediaより引用
このあとは虫尽くしの歌と踊り。着替えた次郎兵衛も参加しておりやす。
※続きは【次のページへ】をclick!