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【『べらぼう』感想あらすじレビュー第16回さらば源内、見立は蓬莱】
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MVP:平賀源内
透き通っていた目が血走り、濁り、三白眼になる。
聡明だった顔が歪む。
落ちる涙。
狂う声。
一人で家の中でエレキテル設計図を探し回る場面は、大河ドラマの新たな時代を切り拓いたと思えました。安田顕さんの熱演はあまりに雄弁でした。
同じチームの『麒麟がくる』でも感じたことですが、彼らの作品は人間が壊れていく描き方が抜群にうまい。
どんな天才だろうと、英雄だろうと、精神にヒビが入ると人は壊れてゆきます。
かつてなら容易に気づいたようなことすら目が開かなくなり、自分のことしか見えなくなって周りを傷つけてしまう。本当に大事な人まで失望させてしまう。
なまじかつての輝きを知るだけに、周りはそんな人物を見ているだけで苦しくて、どうにかして救おうとしてもできない。
そんな崩れ方が圧巻です。
そしてリアリティがあるんですな。
皆さんもご経験はありませんか。
あんなに聡明な人が陰謀論者になっていたとか。同じことばかり取り憑かれたように話すようになっていたとか。そういう壊れてしまった人に思い当たることはありませんか。
この源内の壊れ方は、実にリアリティがありました。
そうして壊れて砕け散った人なのに、根底にはかつての輝きが残っているところも悲しい。
焼いてしまった原稿のなかには、田沼意次を救うための秘策があった。
そのことが切なくて、悲しくて、狂気の下には昔の魅力そのものが残っているだなんて、こんなに悲しいことがあるでしょうか?
でも、そうして残ったかつての輝きが、蔦重たちを照らしてゆく。
彼が名付けた「耕書堂」は残り、江戸の本屋さんたちはその精神をなぞってゆくのだと思うと感動しました。
読み、書によって耕された人々の知性が、近代以降の日本へ繋がってゆく――平賀源内への弔いとして、これほど見事なものはそうそうないでしょう。
参りました。
書が耕し、日本は近代へ向かう
ただ、ドラマの描き方だと怪物への体当たりのようにも思えまして。
蔦重は後に田沼政治をおちょくる本を出します。その動機づけとして源内の死があるのはわかりました。
それのみならず、政治批判精神も源内から受け継がれてゆくことがわかります。
江戸の本屋や文人たちは怯むどころか、世を風刺し、暴く書物を作り続けます。
意次に対し、真相究明を迫った須原屋市兵衛もその一人。
彼はロシアの脅威を警告する書物『三国通覧図説』等を手がける。しかし、ロシアの存在を隠し通したいための規制を受け、そのために追い詰められてしまいます。
蔦重も、財産を半分没収されてしまう。
じゃあ、諦めたのか?と言うと、版元はしぶとく粘り、いたちごっこが続きます。
時代が降ると、絶対に暴いちゃいけない事情がどんどん流れ込んできます。
たとえばこんな大事件ですね。
フランス革命――農民一揆が上様と御台所を斬首したヤバすぎる事件だ!

バスティーユ襲撃/wikipediaより引用
規制したいのに、ナポレオン伝記まで絵入りで出回るたぁ、どういうことでぇ!
アヘン戦争。やばい、やばすぎる……日本よりはるかにデカい清がイギリス相手に惨敗なんてありえん。
知られたらまずい! そう思っているのになんで軍記ものが出てんだよォ!

アヘン戦争/Wikipediaより引用
実際、そういう小説が出回って、意識の高い江戸っ子は把握できていたんですな。
そうなっちゃうんですよ。『べらぼう』のあとの時系列において、版元も、作家も、学者も、絵師も、読者も、萎縮するどころかしぶとくなっていきます。
武士は武備により国を守るから威張っていられるのに、負けるとなったら支配がもう持たない。
そういう危機意識が高まってゆき、日本人が目覚め、近代へ向かう足掛かりを辿ってゆくと、蔦重が見えてくる。
さらに遡れば平賀源内がそこにいる。
このドラマを見ている我々は、彼らの生きてきた時代の先にいる。そうはっきりと目覚めさせてくる。実に素晴らしい展開です。今回もありがた山でした。
ってなわけで、そういう江戸の情報について興味が湧いたら、再来年大河の予習もオススメしておきたいです。
放映は終わりましたが、『3ヶ月でマスターする江戸時代』のテキストを参考に、そこに出てくる先生方の本を片っ端から読むのが面白いですぜ。
こうした江戸時代専門の先生方は、しばしば当時刊行された和本を所有しております。
なんでそんなことができるかって?
それだけ流通してんのよ。
江戸期の和本は、ものによるとはいえ、買おうと思えば割と手に入りやすい。防虫対策等は苦労が多いもんですけどね。
どうです? 今年の大河が、ものすごく身近に思えてきませんか?
総評
二週連続、歴史ミステリにしやがったな!
大河ドラマ新境地じゃねえか!
歴史ミステリ仕立てといえば三谷幸喜さんの『鎌倉殿の13人』もありました。
あれは中世が舞台ですので、史料がまだしっかりと残っていないし、確たる目撃証言がなければ善児が始末するという展開ができました。
雑というよりも時代特性を活かした描き方で、あれは実におもしろいものでした。さすがは三谷さん、これぞ三谷さん。そんな名人芸です。
で、今年は森下佳子さんです。
今年の方がミステリとしては組み立てが凝っています。
近世ともなると、ある程度物的証拠や証言を元にして緻密に設計しなければなりません。
現代人からすれば江戸時代の奉行なんて原始的に思えますが、そもそも日本史上においてここまで刑法がしっかりして裁きが下されるのはやっとのことで江戸時代から。
『光る君へ』の検非違使の捜査は杜撰だったことを皆さん覚えておいででしょう。
戦国末期の豊臣秀吉も、法の精神よりも自身の感情による処断ではないかと思われる裁きがあったものです。
そう考えてくると、江戸は進歩しているんですなァ。
公平公正な裁き。それに理屈の通じる捜査が求められていく。
予告で蔦重が「忘八が!」と叫んでいたので、あっしゃぁてっきり、親父どもに怒るんだと思っていましたがね。
それがなんと田沼意次にそうするたァてぇしたもんですよ。想像もつかんかった! お見事ですなァ。
んで、ここで周りが決めても意次が蔦重の首を取ろうなんて言い出さないあたりに、人間の進歩を見ますぜ。
江戸時代に人間の意識は、近世から近代へと向かっていったんだなと思えまさ。
証拠や捜査の手順。人間の意識。法への思い。
そういうものが現代人に近づいているからこそ、法廷ドラマやミステリのセオリーが使える。
力技も使えるようで、当時ならではの縛りも入ってくる。
ミステリ好きな脚本家なら、大河という舞台でこんなおもしれぇもんを書けて、どんだけ晴れやかな気分なのだろうかと見ていてうれしくなりましたよ。
三谷さんもこれ見て、羨ましいな〜と思ってんじゃねえかな。大河ドラマはやっぱりNHKの看板ですから。
ただうまいってだけでなく、挑む脚本がみてえんでやんす。
三谷さんが隔年くらいで大河を回し続けねえかなと思ったことがあるんすけど、森下さんも彼と鎬を削れますね。
大河は大変だし体力勝負だし、こういう外さない先生がどんどん増えていくのはよいことでしょう。
『べらぼう』は、森下さんこそ大河にうってつけの力量だと示した。
『おんな城主 直虎』の時点でそうだったといえばそうなんですけど、さらに新境地を開ける大横綱であることは揺らぎねえとわかった。
そういう新境地だと思いやすぜ!
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【参考】
べらぼう/公式サイト