長徳4年(998年)10月――日蝕と地震が同時に都を襲いました。
まひろの家も壁や屋根が崩れ、総出で片付けをしています。
夫となった藤原宣孝の援助があるおかげで物資は届いたようで、順調に進んでいるようです。
しかし、いとは福丸に不満そう。なんでも自分たちを放置して逃げたそうで……宣孝はまひろをかばったそうです。
そこへタイミング悪くやってきた福丸を見て、いとが怒っております。
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宣孝は理想の夫?
片付けを進めていると、宣孝が贈り物を手にやってきました。
まひろは「もういい」と言うものの、宣孝は贈り物がしたのだと返します。これは相当遊び慣れていますな。
贈り物とは、お高い鏡です。宋のものでしょうか。
『光る君へ』宋と平安貴族はどんな関係だった?なぜ劇中では唐と呼ばれるのか?
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まひろはまじまじと顔を見たことがないと覗き込み、嬉しい、と素直に喜んでいるようです。
宣孝が「我ながらかわいいであろう」とからかうと、思った通りだと返すまひろ。
自信があったのかと問われ、お戯れだと返すものの、宣孝は「もっと戯れよう」とまひろを押し倒します。
御簾の裏では、睦言が繰り広げられているのでしょう。まったく、のっけからお熱いことですわ。
道長の清らかな宝とは一の姫・彰子
藤原行成が帝に、安倍晴明の「天文密奏」を持ち込んできました。
不吉な占いの結果が書かれていて、天皇しか読めないものです。
「朕のせいなのか……」
そう嘆く帝。「天譴論(てんけんろん)」ですね(詳細は後述)。
水害の死者は百を超えており、藤原道長は堤の修繕を急がせ、山城守と検非違使に伝えよと指示を出しております。
道長は目の前の課題に取り組むことと、人脈を築くことを得意とします。
ただし、発想に合理性が乏しいところが欠点。
というのも、安倍晴明を呼び「天変地異はいつまで続くのか?」と尋ねてしまっている。これが道長の限界で、物理的な防災手段へ思いが至らないのです。道長は「既に帝を諌めている」とも付け加えました。
晴明は天地の流れを変え帝の心を戻すと言い出した。
いったい何を意図しているのか?というと、晴明は「よきものをお持ちである」と切り出し、その正体を明かします。
道長の一の姫・藤原彰子のことでした。
晴明は、中宮定子が出家したことを問題視します。
彼女はもはや后たりえぬ。その穢れた中宮により帝は乱心したのだから、いまこそ穢れなき姫が必要だという理屈です。
帝のもとには既に二人の女御がいると困惑する道長。
しかし、現実問題、二人の女御にも、その父にも何の力もないと晴明が却下し、左大臣の姫君であらねばならぬと断言するのですが……。
「できぬ」
苦しそうに言い返す道長。
晴明は、彰子様こそ朝廷の、この先を背負って立つ方だと断言します。
「そのような娘ではない! 引っ込み思案で口数も少なく、何よりまだ子どもだ!」
「おそれながら……入内は、彰子様が背負われた宿命にございます」
晴明はふてぶてしくそう言いました。
この「子どもである」というのは肉体面での話なのか、あるいは精神面なのか。そこが重要に思えます。
実際の年齢よりも幼く、年相応に思えないというのはあるのでしょう。
道長も身を切るときがきた
藤原道長は、姉の詮子に相談することにしました。
すると「お前もそろそろそのくらいのことをしたらよい」と無下に返されます。
思わずムッとする道長。
「身を切れということだ」と詮子は畳み掛けます。
いつも綺麗なところにいて、あくせくしていない。むしろ今までうまくいきすぎていたのだと彼女は説明するのです。
そして「身を切る覚悟はあるのか?」とあらためて問うと、彰子はまだ子どもだとして踏ん切りがつかない道長。すかさず詮子は「子どもだろうと使命があればやりぬく」と返します。
本当に父の藤原兼家そっくりですね。
「酷いことを仰せになる」と道長が困っていると、詮子は「そういう娘を庇うよい父の顔をして、宮中に争いから逃げている」とまで言ってしまいます。
確かに彼女は、父に裏切られ、帝の寵愛を失い、息子を中宮に奪われ、兄に内裏から追われた――。
藤原詮子(一条天皇の母で道長の姉)政治力抜群だった「国母」の生涯を振り返る
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相当辛い思いをしてきており、それを考えれば「道長も血を流す時がきた」と断言。
朝廷の混乱をおさめるために彰子を差し出すように念を押します。
道長は、姉上がそんなふうに自分を見ていたとは知らなかったと返しますが……大好きな弟だからよく見ていただけだと詮子。
なかなか辛辣ですね。
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