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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第21回「長篠を救え!」】
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どうするネット特化、そして夜郎自大脱出
このドラマはネットに特化しているという評価が一部であるようです。
それは大河ドラマのファンダムが大きいだけのこと。
偏った意見だろうと、ハッシュタグをつけた投稿はそれなりに多く、ゆえにトレンドも取る。
ファンアートが投稿されると、その絵師のファンが喜んで、RTといいねを繰り返す。
お互いWin-Winだからそれを繰り返す。なんなら作中にない描写を二次創作して、それがウケる。
そういうエコーチェンバーを構成しているだけのことでしょう。
「夜郎自大」とも呼びますが、そこから抜け出す手立てはあります。
まず、ネットばかりに頼らず、実店舗の書店に足を運びましょう。
毎年、大河関連書籍は歴史雑誌コーナーにありますが、ここにあるのは当然のこと。
そうではない一般誌にまで記事があれば、世間でも大いにウケていると判断できます。
ネットではなく、紙媒体となると売上に直結するため、駄作大河は取り上げられない。
ゆえに真実が浮かび上がってきます。
私が見る範囲では、家康本人を特集する記事はあっても、ドラマそのものに触れられるケースは少ない。
主人公の知名度で言えば、家康ドラマのほうが絶対的に有利なはずなのに、去年のほうが確実に盛況です。
雑誌や書籍以外の判断材料としますと、民放のテレビ欄ですね。
大河が好調だと便乗番組が出ますが、今年はどうか?
さらにはSNSをさほど利用してない層に聞いてみると、大河の反応も浮かびやすい。
唐代の詩人である白居易は、文人仲間ではなく、その辺のおばちゃんに読み聞かせて感想を聞いていました。
それで受けてこそ、詩の価値がわかると判断した。
仲間だと忖度して褒めますからね。
『長恨歌』の作者・白居易は史実でどんな人物だった?水都百景録
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要は、普段と別の場所に行くことで、見えることもあるんですね。
もうひとつ、点と点をつないでユニコーンを描かないこと。
とある歴史をテーマにした本が、大ヒットをして受賞ラッシュでした。しかし、どうにもおかしい。なんか思いつきを大胆に語ったら受けただけでは? そういう検証本を読みました。
これは大河にも当てはまることでしょう。
特にSNSだと先鋭化して、深読みだの考察だの広まります。それを動画にすれば再生数も稼げる。
しかし、考察するにせよ、点と点を繋いで線を引いて、洞察する手続きがいる。星座もそうですよね。
「この星と星をつないでいくと、さそりに見える。さそりがなぜ星座に? それはオリオンを殺すために放たれたからだ。だからオリオン座はさそり座がいない空にしか登らない」
これが事実の分析です。
それをすっ飛ばして、こういうことをしたらただの陰謀論です。
「んー、さそりとか怖くない? そういうのなんかヤダ! 私の目にはピンクのユニコーンに見えるんだもん、これはピンクユニコーン座です♪」
『どうする家康』にまつわる物事は、一事が万事、この調子です。
ストロングゼロを数本飲めば、そう解釈できるのかと戸惑うような話がバンバン出てきますが……そんなものは本作の本多忠真だけで間に合ってます。
どうする実は優しくないネット戦略
ネット特化型どころか、今年の大河は昨年と比較すると公式のサイト等が不親切です。
『鎌倉殿の13人』の場合、「かまコメ」というショートインタビューをSNSで流して、公式サイトにも掲載していました。
公式サイトには時代考証の先生がコラムを書いていて、読み応えがあり助かりました。
それが今年はスカスカです。
SNSの非公式な解説、動画、関連書籍はあります。関連番組を見ないと理解できないこともある。
まるで大河が、利益誘導へと導くコンテンツみたいなんですよね。
公共放送でこれは健全なスタンスでしょうか?
去年はより深く知りたいから関連書籍を読んだけど、今年は読まないとそもそも話が通じない。
ゲームの完全版商法みたいです。
どうする歴史への敬愛
本作からは「歴史ファンは陰キャでめんどくさいw」という、小馬鹿にしたスタンスが伝わってきます。
一方、世間では、歴史好きにもピンときそうな映画があります。
◆北野武監督、日本の映画製作に警鐘「大作は人をいっぱい使わないとつまんない。CGはダメ」(→link)
確かにその通りだよな……と思いながら『首』のプロモを見ました。
古典的な時代劇に固執するわけでもなく、軽いと思えるところもある。それでも衣装も所作も何もかもが『どうする家康』とは比べものにならない。
そして思わず身を乗り出してしまったのが、荒木村重が信長から刀に刺した饅頭を突き出され、喰らいつく場面です。
これだ、こういうのが見たかった!
そう興奮しました。
この逸話は史実をもとにしているかどうかは保留としましても、定番の場面です。
2025年大河ドラマ『べらぼう』の舞台となる江戸時代の中盤以降、技術が向上した浮世絵で定番の題材にもなりました。
歌川国芳が有名で、その弟子たちも師匠を越えようとアレンジしつつ描く。
そういう何百年にもわたる積み重ねがあって、荒木村重と饅頭という絵が積み重ねられてきます。
大河はそうした数百年間の伝統を、映像で再現する役割もあります。
『鎌倉殿の13人』の畠山重忠もその典型例でしょう。
月岡芳年の浮世絵と、中川大志さんが演じる重忠は重なって見えました。
どちらにも滲んでいる何かがある。どうしてこうなったのかわからない困惑と、無念と、虚しさと、死が避けられないなかで己の高潔さを見せたい意地。
そういう思いが出ていて、見ている側も感無量でした。
作品同士がリンクすると、脳内に何かが出てくるんですよね。
とはいえ、そういう積み重ねを無視する悪いコンテンツも確かにある。
荒木村重の場合、女体化ゲームで村重自身が饅頭を刺した刀を持つ美少女になっているものがある。
逆です。村重は饅頭を口にくわえさせられているか。信長が饅頭を刺した刀を持つか。そうでないとおかしい。
「荒木村重といえば饅頭と刀っしょw」
そう前後の因果関係を考えないまま、描いてしまったんでしょう。もう、見ているだけで悲しくなります。
そうはいっても、女体化美少女ソシャゲならまだ許せる。
一方で大河はどうか?となるわけで……今週の鳥居強右衛門ですよ。
彼も浮世絵定番で、精悍な青年が死地から逃れようとするものが多い。
歌川国芳の弟子である月岡芳年は、彼を題材にした作品を複数描いています。そんな中でも印象的なのが「魁題百撰相」の19番堀井恒右ヱ門です。
磔刑になった姿です。
浮世絵にしてはデッサン力が高いとか、リアルだとか。そういう言葉は忘れましょう。
売れた浮世絵は画力がそもそも高い!「にしては」は余計であり、江戸時代後期の絵師は西洋画からデッサン手法を吸収しています。
そんなリアリティのある浮世絵師代表格が、この月岡芳年です。
なんでも彼はしばしば弟子を磔刑にしてスケッチしたといいますから、圧倒的にリアリティがあります。
簡潔でありながら陰影があり、死にゆく顔はおそろしいほどの生々しさがある。
それを今年の大河が、ああいう傑作を駄作に上書きしかねないのかと思うと、改めて怒りが湧いてきます。
今後、鳥居強右衛門で画像検索をかけると、あの弛緩し切ったニタニタ笑顔が出てくることでしょう。本多忠真なんかは既にそうなっています。
鳥居強右衛門の話となると、あのニタニタ笑顔がウケたとか、号泣とか、これからそんな意見が返ってくるとなると憂鬱でしかありません。
大河はイメージを再現すればいいというわけではない。それは理解しています。
例えば義経と弁慶といえば五条大橋での出会いが定番であり、浮世絵もたくさんあります。
とはいえ、歴史的根拠に乏しいからやらなくなった。『鎌倉殿の13人』でも出てきません。
弁慶の立ち往生も、三谷幸喜さんがこの主従を笑ったまま退場させたいと願ったことから、描かれませんでした。
そういう配慮抜きにして、ただの逆張りルッキズムネタ狙いが今回です。
歴史になんの思い入れもない作り手のせいで鳥居強右衛門が汚されてしまった。いやな上書きをされてしまった。
私はファンの皆様から、「どうして私の好きな大河を悪く言うの、侮辱するの!」としばしば批判されます。
しかし、そもそも私はこう感じている。なぜ、出来の悪い大河は、私の好きな歴史上の出来事や人物を改悪して描くのかと。侮辱するのかと。
そのことがとてつもなく悲しい。ただただ、虚しい。
歴史を描くというのは、資料を追いかけるだけではないでしょう。
私たちの先祖が描いてきた「これが見たい!」と追い求める需要と供給の一致。
それを表現する配慮と技術。
英雄への敬愛。
そういうものが入り混じって構成されてきたはず。
それを大河が断絶させるって、何がしたいのでしょう?
例えば、酒井忠次のえびすくいが、あまりにくどいと私が愚痴を言ったとしましょう。
するとこう返ってくる。
「酒井忠次がえびすくいをしたという資料はあるんですよw 歴史ライターを名乗りながらそんな基本的なことすら知らないんですか? そんなんで大河批判とか恥ずかしくないんですか?」
そうじゃないんです。
資料に出てくるかだけでなく、酒井忠次のえびすくい需要と供給が一致しないのが辛い。とにかく供給過剰です。
ただのウケ狙いでしつこくえびすくいをする。そういうドラマは、果たして歴史を題材にした作品としての伝統を踏まえているのでしょうか?
大河という名前に値するのでしょうか?
ドラマとして出来がよいのでしょうか?
私が問い掛けたいのはそこであり、こんな古典に注目しました。
必ずや名を正さんか
必ずや名を正さんか。『論語』
まず、ものごとに正しい名前をつけるね。
弟子の子路が、孔子に問いました。
「まず政治をするなら、何を一番にしますか?」
すると孔子はこう言います。
「まず、ものごとに正しい名前をつけるね」
子路は返しました。
「先生はいつもこうですよ。周りくどいっていうかさ。名前なんてぶっちゃけどうでもよくね?」
孔子はなおも説きます。
「そういうところだぞ、子路。君子は自分が知らないことについては口を慎むんだ。名前をきちんとつけないと、物事の中身まで成立しなくなる」
「ほー……」
「たとえば、これだ『どうする家康』。センスとしてわけわからんが、それでも逡巡の中身が政治や軍事ならば、まあ許容範囲だがね。それがどうだ。側室だのお手つきで迷っている。そんなもん視聴者が求めていると思う? なんかタイトルが伏線回収とかよくわからん記事が出るけどさぁ」
「これとかすね」
「それな。じゃ、子路に教えておこう。提灯記事がやたらと多いだろう? そのタイトルにはこう入る」
・伏線回収(朝ドラ『カムカムエヴリバディ』以来の定番)
・***ロス(朝ドラ『あまちゃん』以来の定番)
・神回
・ネット絶賛
・ネット号泣
・ネット爆笑
・ネット沸く
「きっとテンプレがあるのであろう。視聴率が下がると『最低だけど最高』みたいなのも来るんじゃないかな」
「それなんスけど。SNS号泣、ネット悲鳴、泣きすぎてバスタオル用意とか。そういうの、どうやってオンライン上の、顔も見えない相手のリアクションを確認するんスかね。だいたいそんなバスタオル必要なほど人間って泣けんのかなあ? 横光三国志みてえに、オオオオオオオ……って泣くのかよ。感動して涙ぐむならわかるけどさあ」
「白髪三千丈みたいなもんよ。断腸の思いっていうけど、実際腸が裂けているわけじゃないだろ。それこそ怪力乱神(オカルト現象)の類、君子は気にすんな!」
「弟子が殺されて、その肉が塩漬けになったら、師匠が泣くとか。そういうことなら理解できますけどね」
「子路オオオオオオオ……って、やめんか!(※このネタは後述)」
「へへっ、先生優しいなあ。んー、話を伏線に戻すと、俺の知ってる伏線と違うんスよね……伏線と回収って、フィクションの定番じゃないすか。で、回収されるまでの構成を組み立てる、その緻密さが大事。最後にピタッとハマってグッとくる」
「言わんとするところはわかる。『鎌倉殿の13人』の風を呼ぼうとする全成とか、おなごはキノコが好きだと誤解する義時とか。最後の最後で因果がめぐって圧巻だったもんな」
「それっスよ、滑ったギャグかと思ったらそんなことはなかった。なのに今年のネット記事って、アイス食い過ぎたら腹壊したみたいな程度のものばかり褒めるじゃないスか。高度な作品は伏線回収が標準装備だからスルーされて」
「タイトル回収が秀逸なら『麒麟がくる』と、ダブルミーニングだと最後の最後で判明した『鎌倉殿の13人』だろうな」
「うんうん、それ! 本当に秀逸な伏線回収は、予告だけでわかるわけないス」
「ドジっ子の子路でもやはり気づくか。名前の話に戻すとだな、もう、『どうする家康』は、大河ドラマと称してよいのか。儒教倫理的にはそこも問題だね」
「あー、確かにもうこれだと、“小川寸劇”って感じすね」
「うんうん、“ドブ川宴会芸”だよ。飲み会の二次会でカラオケに連れて行かれて、つまらん物真似を聞かされているような感じ。ひたすら苦痛。そういう名前で放送すればまだマシ。儒教教養が学べて名前も正しい、清らかな大河がこんこんと流れる。そんな『麒麟がくる』からたった数年でこれとは……」
全身膾(なます)のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。
魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(さい、子羔のこと)や、それ帰らん。由(ゆう、子路のこと)や死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目(ちょりつめいもく、真っ直ぐに立って目を閉じる)することしばし、やがて潸然(さんぜん、さめざめと泣く)として涙下った。子路の屍が醢(ししびしお、塩漬け)にされたと聞くや、家中の塩漬(しおづけ)類をことごとく捨てさせ、爾後(じご、この先)醢は一切食膳に上さなかったということである。
中島敦『弟子』より
直情径行型の子路が政変に巻き込まれたならば、生きては帰れないと悟る孔子。
その死を予測しながらも、そうなったと知るや、呆然と立ち尽くし、涙をさめざめと流しました。
そして子路の死骸が切り刻まれ、塩漬けの刑罰にされたと知ると、家中にある塩漬けを全部捨て、二度と食卓にあげませんでした。
決してギャーギャー泣き叫ぶことはないけれど、その行為からどれほど孔子が嘆き悲しんだかわかります。
こういう情景が歴史を学ぶ意義でしょう。
己の命のために戦場から逃げ出し、幼児のように手足をバタつかせ、泣き顔を晒す。
そういう人物はただの「幼稚な人間」であり、リーダーではない。単なる悪ふざけは求めていません。
『どうする家康』は、大河の名に値しない。それが私の結論です。
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【参考】
どうする家康/公式サイト