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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第7回「敵か、あるいは」】
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眉剃りコントは意外と重要
安房で待機中の頼朝に、安達盛長が告げます。
北条時政がいっそ上総広常を攻めて挟み撃ちにするよう言い出しますが、三浦義澄は敵に回すのはいかがなものかと渋る。なんせ相手は二万です。
イライラした頼朝は思わず叫ぶ。
「小四郎は何をやっておるのだ!」
はい、小四郎こと義時は考えています。
損得で動く男が欲しいものを全て手に入れてしまったら、あとはどうすればいいか? そう考えている。
義時はどんどん大きくなっている。別にこの時点では世を治めるなんて考えているわけもないでしょう。それでも、その先をうっすらと見ています。
さて、和田義盛は?
「ここしかねえってなあ! 小四郎、お前は何もかも考えすぎだろ、大事なのはここだよ!」
そう胸をドンドン叩く義盛。ハートが大事なんですね。
義時は「結構心でぶつかったつもり……」と反省中ですが。
「俺に言わせれば全く足りねえ! よし、眉毛でも剃ろう! 気持ちを形で表すんだよ! お前も剃れ!」
そういっていきなり眉毛を剃り出し、義時が止めに入ります。もう、これが義時でなく三浦義村だったら、義盛の言動にイライラして、陰謀で消してしまうかもしれない。
義村は義盛がしゃべっていると顔が険しくなりますからね(ちなみに二人は従兄弟・畠山重忠も)。
義時たちは翌日も広常の元へ向かうのですが、家人に広常は言います。
「世の中、思いだけじゃどうにもならんことを教えてやれ」
そして義時たちの前で門が閉められ、無残にも義盛の片眉が剃られているだけでした。
この眉剃りコントで笑ってしまいますが、結構重要なところだと思います。
『真田丸』でも「理に頼りすぎるばかりではいけない」という趣旨のセリフが出てきました。
これは何も三谷さんだけでなく、大河チームでそれができる人がいると私は推測しているのですが。
【情】と【理】の両方が必要である――それを意識して取り組まれている方がいるのでしょう。
胸がぐるぐるとか、ムベムベとか。この手の言葉は【情】だけに突っ走っていて、説得力に欠ける。
むろん、ドラマは心に訴えかけるものですから、仕方ない一面はあれど、そこに偏って近道を走ろうとする脚本と演出はいかがなものでしょうか。
SNSの言葉が拾われ、ネットニュースで拡散する時代なら、なおさらそういう傾向も強くなります。
物事は【情】だけではダメで【理】がなくては説得力がありません。
このドラマの義時は【理】詰めで感【情】を動かす才能がある。そこがよいのです。
常胤「戦ってこそ武士なり」
千葉常胤が、上総広常の元へやってきました。
そして、いきなり「加勢する」と言いきり、「お主も加われ」と告げます。
広常が様子を見るというと、常胤は「小さくおさまったな」と煽る。坂東の大暴れ馬と呼ばれた男なのに、ってさ。
なんだそのネーミングのセンスは……と思ったら広常も「呼ばれたことねえ」と否定しています。
それでも常胤は動じません。戦ってこそ武士である!とキッパリと言い切る。
彼は齢六十を超え、お迎えを待っていた。そこに大戦の知らせが来て戦うしかないと悟った。
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こんなおじいちゃんにそこまで言われたら、そりゃ、広常も心は動きますよね……と、言いたいところですが、野蛮だとも思います。
武士は暴力集団、戦闘集団だと断言されました。それでいいのでしょうか。武士はそれだけなんですか。
大事な問い掛け。このドラマを見ながらそこは考えたい。戦うしか使命がない集団って、危険ですからね。
一方、しびれを切らした頼朝は、上総広常の返事を待たずに北上を開始しました。
相模の大庭景親は、上総が頼朝につかねばよいと見守る様子。そのうち都から追討軍が来ます。
しかし、平清盛が、追討軍の到着前に決着がつくこと望んでいることも景親は察しています。
なんせ大庭景親は失態続きでした。石橋山で勝利しながら、みすみすと頼朝の首を取り損ねたことは大きな失点でしょう。
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そこで景親は、所領が頼朝がいる場所に近い長狭常伴に闇討ちをさせると言います。
山内首藤経俊が驚き、かつ不満そうです。
彼は当時の武士らしいフェアプレー精神があります。だから矢に名前を書いて、武芸を自慢していたのですね。
こんな強い弓矢を使うなんて素晴らしい! と、そこには敵でもそう賞賛するという前提があります。
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彼一人が愚かというわけでもないのです。そういうフェアプレー精神をぶっちぎって無視する人物が、今週も出ておりますが……。
我が子を殺された八重が父と対峙
八重が伊東の家に戻っていました。
そして父・伊東祐親に、千鶴丸の弔いにやって来たと告げるのです。千鶴丸のために立派なお墓を作ってもらったと礼を言う。
誰に聞いたのかと戸惑う祐親に、八重は千鶴丸が呼んでくれたと返します。そのうえで、最期の様子が知りたいと詰め寄るのです。
聞いてどうするのかと返す祐親に、八重は言い切ります。
「私が産んだ子です。どうやって世を去ったのか知っておきたいのは当たり前。溺れたというのはまことですか?」
まことだと認める父に、八重はさらに続けます。
「父上が殺めたのですか?」
「命じたのは私だ。その場にいたわけではない」
「逃げるのですか?」
「逃げてはいない!」
全ては善児に任せたというと、今度は善児を呼んで欲しいと言う八重。
すると祐親は、頼朝の血を引く子を生かしておくわけにはいかないと認めました。
それでも八重は許しません。血のつながった実の孫を殺したと追い詰める。兄の祐清すら、父上だって断腸の思いだったと庇いますが、彼女は止まらない。
「どうやってわかれと言うのですか!」
八重は立ち上がり宣言。これより二度とこの方を父とは呼びませぬ! そう告げて去ろうとしますが、祐親は行かせないと言います。これから大戦であり、何か漏れては困る、と。
「閉じ込めておけ、戦が終わるまで一歩も外に出してはならん!」
厳命する祐親。
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八重がめんどくさいとか、アンチが増えているとか、そんなネットニュースもありました。なぜなのでしょう?
なまじ八重は悲恋伝説があるからなのか。あるいは新垣結衣さんが強気で反論するなんて見たくないからなのか。
この場面を見て、八重が嫌な女だと思ったら、その理由は何でしょう。
八重はそもそも、父の命令に背いて頼朝との間に子を作った。
これが悪いといえばその通り。けれども、孫を殺したこと、娘に嘘をついたことは祐親の悪事です。
喪失を乗り越え、彼女は強くなりました。
大切な兄(北条宗時)を失った義時だけでなく、八重もそうなっていることに大きな意義を感じます。今まで見たどんな八重よりも魅力的に映ります。
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夫の無事を聞いた政子は
伊豆山権現では、りく(牧の方)が僧侶に向かって「本当に魚とか食べないの?」と聞いています。
最初は否定したものの、こっそり食べていると打ち明ける僧侶。りくは「そうでしょ!」とはしゃぐ。
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実衣は、呆れ顔。りくは年寄り好きなのかと思ったら、男なら誰でもいいらしいと毒を吐いてます。
政子が「よしなさい!」とたしなめると、この先どうなるかわからないのに、よく笑っていられるとしらけきっている実衣です。
そこへ仁田忠常が現れ書状を託してきます。
「佐殿は無事! 今は安房におられます!」
りくも「うちの人も……」とホッとしている。
忠常は、四郎(時政)も小四郎(義時)も無事だと告げました。三郎(宗時)がいないことは触れられず、政子は感極まっています。
「いい加減にして!」
政子は決めていました。もう、尼になろうって。菩提を弔おうとしていたのに、今更どうやって心を変えればいいの!
嬉しさと驚きを隠せず声をあげる政子は本当に素敵ですね。
「予定が台無しだわ!」
そう叫ぶ姉は気持ちの持って行き場がないのだと実衣が説明しています。
「お祈りした甲斐がありましたね」
りくがそう言い、女三人は抱き合って喜び合うのでした。
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するとそこに謎の僧侶がいます。
忠常がここに来る途中で見つけた、頼朝腹違いの弟・阿野全成でした。
頼朝にとっては異母弟、義経の同母兄。京都の醍醐寺にいたところ、兄の挙兵を耳にして、居ても立っても居られずやってきたとか。
政子も安房に行きたいと言い出しますが、生きているだけでもよかったと思うように、とりくが諭します。
と、そこへ僧兵がドカドカ!
謀反人の身内だ、まとめて伊東に差し出す!
薙刀を手にして凄む僧兵を、仁田忠常が止めようとします。
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「待たれよ」
阿野全成が風を起こすってよ。そんなことできるんですか! 驚くばかりの皆に向かい、醍醐寺で修行を二十年とかなんとか……。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前!」
大声で九字護身法を唱えると……何も起きない。
今日は難しいとかなんとか言っておりますが、なんなんだ! と、実衣も横から突っ込んでいる。
こういう芝居は『三国志』ものの諸葛亮あたりですと、トリックで説明したりしますが、全部ぶん投げて来た本作が一周回っていいと思います。
そしてもうひとつ。
日本の仏僧ってなんなんでしょうね。いや、現役の方にケチをつけるわけではなく、他の国よりも気が荒くないですか?
中国語で書かれた日本史の本に、ものすごく柄の悪い僧兵の挿絵があって唸ったことがあります。
でも冷静に考えてみると、凶暴かもしれない。
中国ですと、少林寺の僧侶もカンフーで色々と暴れますが、一応、大義名分をかざす印象はあるものです。
それと比べても、日本の僧兵って一体なんなのか?
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