後鳥羽上皇(右)と北条義時/国立国会図書館蔵

鎌倉殿の13人感想あらすじ

なぜ義時が大河の主役に選ばれた?逆臣中の逆臣が抜擢された背景

序盤は純朴な好青年だった。

それが源頼朝の過酷な政治スタンスを目の当たりにするうちに心は灰色になり、父の北条時政を追放した頃には、ついには自身が真っ黒に。

2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時の豹変ぶりに、ふと、こんなことを考えたりもしませんか?

なぜ義時が主役になったのだろう――。

例えば立身出世という明快なストーリーを望むのであれば、彼は選ばれなかったはず。

ならばNHKの狙いは何なのか?というと、キャッチコピーに現れている気もします。

三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント!

確かに、鎌倉殿の13人の主人公が発表された時点で、

「えっ?北条義時って???」

と違和感あるいは驚きを抱かれた方も多かったでしょう。

源頼朝や北条政子ならまだしも、二代目執権・義時とは、まさしく予測不能――。

前半生は「何もしない人」と揶揄されるほど影が薄く、表舞台に立ち始める頃には陰謀の渦中にいて、何度も結婚を繰り返す。

英雄と持ち上げるには黒すぎて、しかも平安末期から鎌倉時代など視聴率だって望めなさそうだ。

やはり大河ドラマの主人公に適していない人物では?

実際、そんな意見も多くあったようですが、あらためて考えてみたいのがこれ。

「そもそも大河の主人公はどういう基準で決めるられるのか?」

そんなもん、歴史の有名人に決まってるだろ……とは言い切れないのが大河の歴史。

義時が主役となるにまで進んだ、NHKの紆余曲折を振り返ってみましょう。

 

大河ドラマは第一作の時点で意外な主人公

いったい大河ドラマらしい主人公とは何なのか?

このテーマを考えていく上で無視できないのが“時代”というものでしょう。

昭和に始まり平成を経て、令和へ。

作品が、その時勢に影響されるのは当然のことであり、例えば第一作から見てみると、現在ではまず取り上げられないだろう主人公も中にはいます。

1963年『花の生涯』

1964年『赤穂浪士

1965年『太閤記』

1966年『源義経

1967年『三姉妹』

【参照】大河60(→link

第2作の『赤穂浪士』ですね。

忠臣蔵が最後に取り上げられたのは1999年『元禄繚乱』ですが、以降、『忠臣蔵』そのものの人気と知名度が急低下し、仮に今「再来年は忠臣蔵を!」とNHKに意気揚々とされても、しらけてしまう視聴者のほうが多いでしょう。

かつての同作品は「自らの身を犠牲にしても主君の仇を討つ」という精神性に魂を揺さぶられる風潮はあったかもしれません。

しかし今では「逆恨みで吉良上野介に襲いかかるのって、単なるテロ行為ではないか?」という指摘もあり、赤穂浪士にシンパシーを感じる視聴者が減っている可能性は低くありません。

そもそも第1作『花の生涯』からして、なかなか振り切った人選です。

主人公は井伊直弼――【桜田門外の変】という暗殺で大河の最終回を迎えるなんて、今となっては驚異的な選択でしょう。

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こうして見ていくと大河ドラマの始まりと、61作目ともなる現在では、何かが違うことが浮かび上がってくるのです。

 

【皇国史観】との訣別

第一作で井伊直弼が主人公に選ばれたことが悪いと言いたいわけではありません。

むしろ非常に画期的でした。

というのも井伊直弼は、長州閥からすると吉田松陰を刑死に追いやった不倶戴天の存在であり、いわば宿敵です。

さらに薩摩閥からすれば、桜田門外の変に薩摩藩士が積極的に関わっているため、直弼が単純な悪党であると世間に見られていた方が都合がよろしい。

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明治維新後、薩長による藩閥政治が幅を利かせ、現代においても影響力が残っているとすれば、そこに忖度の論理が働く。

井伊直弼の暗殺を討幕へつながる快事としたい権力層。

いや、そうではないと反論したい佐幕派の子孫たち。

そんな歴史観の駆け引きがあり、井伊直弼を主人公とするのは非常にナーバスなものだったのです。

今では大人気の新選組ですら、長いこと悪役が定番でした。

変革が起きたのが戦後です。

戦前は、天皇に忠義を尽くした武士が称賛され、権力を握っていた幕府は悪者となり、幕藩体制をひっくり返した明治維新はともかく素晴らしい、民草に歴史はなく国家のために命を尽くすべし――そんな驚くべき思想も普遍化していました。

皇国史観を掲げた研究者の代表格・平泉澄の「豚に歴史はありますか?」という言葉はその象徴でしょう。

しかし敗戦を経て価値観の激変が起き、歴史作品においても過去の歴史観への克服が課題となりました。

要は大河ドラマは【皇国史観】からの決別が意識されていた――そう見なせるのが『花の生涯』と『三姉妹』でしょう。

明治維新へ続く重要なステップであった【桜田門外ノ変】を再検証した『花の生涯』。

明治維新のために人生を踏み躙られた姉妹の、声なき声を描いた『三姉妹』。

両作品には【皇国史観】へのアンチテーゼがあります。

大河ドラマだけではありません。

当時のこうした価値観は他の時代劇にも反映されています。

・上からの命令に絶対服従させられる理不尽さ

・人命を軽視する国家権力

・美化される武士道と死の酷い現実

軍国主義の暴走によって死地を彷徨った戦争体験者にとって、こうした辛さは身近なものであり、彼らが描く批判精神は多くの日本人にとって苦く、同時に現実のものでした。

武士道そのものを“悪”としたいわけではありません。

それを無理に拡大解釈した結果、あまりにも多くの方が亡くなってしまう暴走行為を戦後の制作者たちは批判していたのです。

こうした作品のうち、知名度が高く、現在でも手に取りやすい作品を挙げておきます。

・映画およびリメイク版テレビドラマ『柳生一族の陰謀

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・映画およびリメイク版テレビドラマ『十三人の刺客』

・原作『駿河城御前試合』および漫画版『シグルイ』

・原作および漫画、映画版など『魔界転生』

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・原作および漫画、映画版など『甲賀忍法帖』、『バジリスク

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根付かない【野史】目線

【皇国史観】の後、歴史学で広がったのが【マルクス主義史観】です。

学術的な用語解説は長くなりますので、大河の歴史をふまえつつ、簡単にさわりだけ説明させていただきますと……。

【マルクス主義史観】とは庶民や労働者こそが時代を動かすという歴史観。前述の言葉「豚に歴史はありますか?」の真逆ですね。

非常に画期的であり、見るべきこともありますが、何事も行き過ぎはよくありません。

たとえば【島原の乱】を労働者の革命として持ち上げすぎたため、宗教色を軽視しするような弊害が生じました。

また、マルクスという語感からして、いかにも西洋主導で生まれたようにも思えますが、そう単純な話でもありません。

【正史】に対する【野史】や【稗史(はいし)】という概念が古くからあります。

為政者ではなく、民間伝承やその歴史をまとめたものです。

大河ドラマでいえば前述の『三姉妹』は、歴史に名を残さない三姉妹が主人公であり、こうした系統の作品といえるでしょう。

しかし、視聴率が伸び悩むという欠点があり、1980年『獅子の時代』を最後に、この手の架空人物、野史目線の大河はなくなりました。

それから40年以上も経過し、深刻な弊害が大河に生じます。

2020年『麒麟がくる』に登場したキャラクターの「駒」や「東庵」。

彼らは実在しない人物であり、一部の視聴者から「ファンタジーはいい加減にしろ!」という激しいバッシングの対象となったのです。

その理屈でいきますと、第5作『三姉妹』の主人公も実在した人物ではないため、作品の内容に関係なく批判の対象となってしまいます。

問題は、駒や東庵など、声なき声を表現する立場の者たちを否定してしまうことでしょう。それこそ「豚に歴史はありますか?」という言葉の既視感が滲んできたものです。

たとえ架空の人物であろうと、時代背景を反映した描写はできます。

むしろ歴史フィクションの定番技法です。

にもかかわらず、それが否定されるとあっては、野史アレルギーのような、危うい何かを感じてしまいます。

かつて日本には、大河ドラマ以外にも数多の時代劇がありました。

そこでは無名で歴史に登場などしない、庶民の暮らしや娯楽が描かれたり、小悪党が登場したり。

架空キャラがテレビ画面に氾濫していましたが、令和の時代となるとほとんど見かけません。

野史を認めず、正史しか存在しない歴史エンタメなど、他の時代や国と比較しても異常です。

一事が万事そうとは言いませんが、日本社会が極めて余裕を無くし、堅苦しい状況に陥っているんじゃないかと、不安が尽きないほど。

中央の為政者だけを描く思考に偏ると、庶民だけでなく、琉球やアイヌの歴史を取りこぼすことにもなってしまいます。

沖縄が舞台の大河は1993年半年枠『琉球の風』のみで、北海道舞台の大河はまだ存在せず。

現在、歴史に対する世界の見方は変わっています。

先住民はじめマイノリティ目線で描くことが重要視されるようになり、例えばNHKでも放映されたドラマ『アンという名の少女』では、原作『赤毛のアン』にはなかった先住民目線のカナダ史が取り上げられました。

大河でもそうした見方を取り入れていかねば、海外から取り残されてしまうのではないでしょうか。

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