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【なぜ義時が大河の主役か】
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近代史は鬼門
他にも大河に根付かなかったジャンルはあります。
近代ものです。
1984年『山河燃ゆ』
1985年『春の波濤』
1986年『いのち』
明治時代から第二次世界大戦後という時系列を描いたこの三部作は視聴率が低迷。
1987年『独眼竜政宗』が記録的大ヒットをしたこともあり、以降、近代史は避けられるようになりました。
時代ものは大河で、近代史ものは朝ドラで――いつしかそんな棲み分けが進んでいくのです。
東京オリンピックに合わせて放映された2019年『いだてん』は、そのルールを破りましたが、視聴率は記録的な低水準に陥り、再び近代史はタブーであると印象付けてしまいました。
その影響もあってか、2021年『青天を衝け』は、幕末パートが非常に長い。
主人公の渋沢栄一は幕臣時代の活躍はあまりなく、主な活躍は明治以降です。
渋沢を描くなら経済活動に重きを置くのがドラマの魅力のはずですが、幕末時代を引っ張るためか、劇中では徳川慶喜との交流にかなり時間が割かれました。
当時の慶喜と渋沢はそこまで懇意ではありません。
明治をさしおき幕末を引き伸ばす。
渋沢とほとんど接点のない新選組までクローズアップする。
その描き方からは「なんとしても話題性と視聴率を得たい」という苦労がうかがえたものです。
【近代史】が避けられる理由としては、視聴率以外の問題もあります。
江戸時代以前であれば、歴史と政治は断絶が入ります。
しかし、明治時代以降はそうはいきません。国境を越えた影響などもより濃くなる。
2019年『いだてん』はオリンピックがテーマでしたが、政治および経済と密接な関係にあることはよく指摘されます。
あのドラマでは「自分の祖父が出た」と政治家がSNSで表明することもありました。
経済効果についても、広く日本社会に行き渡るのであれば何ら問題ありませんが、口利きによる逮捕劇が続く現状を考えれば、綺麗事ばかりでないことも間違いないでしょう。
公共放送で特定の権力の宣伝につながりかねない描写をしてもよいものかどうか――近代史以降の作品には常にこの問題がつきまといます。
慎重にならざるを得ないのです。
原点回帰か? 革新か?
重ねて申し上げますが、大河ドラマは【皇国史観】の見直しともいえる井伊直弼から始まりました。
その流れも時代と共に変化。
高度経済成長期を迎えると、大河は当初あった革新的なテーマではなく、むしろ豪華キャストとセットをアピールするものとなります。
明るい題材で一国一城の主になるような立身出世劇。
司馬遼太郎に始まり、吉川英治、山岡荘八といったおなじみの作家の時代が訪れます。
しかし、バブルが弾けて“失われた30年”を経験すると、その状況も変わり、敗者や悪役だった側の言い分も取り上げられるようになります。
2004年『新選組!』は国会で「あんな維新志士を殺した連中を大河にするのか」という旨の抗議がありました。
2012年『平清盛』は、源平合戦の負ける側。
2013年『八重の桜』は“朝敵”会津藩の言い分を描いています。
日本で最も人気が高いとされる戦国武将・真田幸村が2016年『真田丸』まで主役になれなかったのは「討死という暗い終わり方がウケないからだ」とされていましたが、彼もついに登場しました。
女性城主をとりあげた2017年『おんな城主 直虎』では、良妻賢母以外の女性像を鮮やかに描き、奸臣とされた小野政次の描き方も斬新。
こうして見ていくと、なかなか進歩しているようで、実際は迷走作品もあります。
例えば【皇国史観】では神聖視されていた吉田松陰。
2015年『花燃ゆ』では、あまりに脳天気に扱われました。
知名度が低い松陰の妹・杉文がヒロインであり、松下村塾がまるで部活動のようなゆるいノリで描かれたのです。
松下村塾は大河ドラマの題材に向いているとは思います。
しかし、あんなテロリストサークル活動を明るく描く大河は、いったい何のニーズだったのか?と謎は深まるばかり。
松下村塾が時に暗殺謀議もするほどの危険性があったからといって、ここまでごまかせるものだろうか?
そう疑念を抱いた視聴者から、ヒロインは「テロサーの姫(テロリストサークルでちやほやされる女性メンバー)」とあだ名をつけられていたほど。
2018年『西郷どん』も、日本史上において二度の内戦(戊辰戦争と西南戦争)を引き起こした西郷隆盛を、これまたあっけらかんと能天気に描いていました。
トランポリンの上で弾むメインビジュアルからして、何がしたいのか理解しがたいものがあります。明治維新とフランス革命を関連づけるにせよ、あまりに雑でした。
そして2021年『青天を衝け』は、さらに踏み込んできます。
【皇国史観】の思想的原点として、幕末の志士が信奉していた【水戸学】があります。
平泉澄も【水戸学】を研究していましたが、【皇国史観】と共に【水戸学】も忘れ去られてゆきます。
1970年に衝撃的な事件を起こし自決した三島由紀夫が熱心な信奉者だったこともあり、肯定的な評価はありませんでした。
しかし、です。
2021年『青天を衝け』では、主人公である渋沢栄一が【水戸学】信奉者だったためか、思想の中身を簡略化したうえで肯定的に扱うことに……。
かなり問題のある人物であり、【水戸学】インフルエンサーであった徳川斉昭と藤田東湖も好人物として登場していました。
【水戸学】信奉者が引き起こした惨劇である【天狗党の乱】も、残酷な要素を最小限にとどめ、かつ青年らしい愛国心の暴発程度とされています。
【皇国史観】の克服から始まったであろう大河ドラマが、気づいたら【水戸学】を肯定しているではありませんか。
それだけではありません。
記念すべき大河ドラマ第一作主役であった井伊直弼が、研究結果を無視してまで矮小に描かれていました。
「茶歌ポン」という悪意あるあだ名を大仰に扱われ。
討った側に共感させるように演出する。
これは一体どうしたことなのか……。
大河ドラマは一周退化したと感じさせる描き方でした。
そして北条義時だ
こうした歴史観の変化を踏まえた上で、あらためて北条義時という主役を考えてみます。
彼は【皇国史観】では悪役。
【承久の乱】で後鳥羽院に勝利し、流刑にしたのですから、まさに逆臣中の逆臣です。
しかし逆臣を扱った大河に、先例がないわけではありません。
1991年『太平記』でも、その代表格である足利尊氏が主役でした。
武士と天皇の関係性という意味では、『太平記』と同じ脚本家である池端俊策氏の2020年『麒麟がくる』も興味深い関係性がみられます。
では【皇国史観】から見た場合の光秀は?
これは織田信長の評価に依存するでしょう。
信長は逆臣である足利義昭を追放した。
ただし、正親町天皇を崇拝していた勤皇の志があったのか、それとも天皇に取って代わろうとしていたのか?
見方は分かれますが、池端氏は「正親町天皇が信長を疎んじていた」という解釈でドラマを書いていました。
それでも光秀が信長を討った理由は、正親町天皇を救うためだったとはされていません。
勤皇を動機にしないところに、池端俊策氏なりの解釈と、発表当時の歴史観が見てとれます。
では『鎌倉殿の13人』は?
オープニングの時点で「武士が後鳥羽院と戦う」とハッキリ示されています。
逆賊として立ち向かう様子を最初から示しているのです。
こうも難しい題材は、大河三作目となる三谷幸喜さんでなければ書ききれないでしょう。
幕末史ほどデリケートでないものの、2020年代に逆賊を主役に据える――相当の覚悟と気合を感じさせたものです。
つまり大河ドラマの歴史は一周回って、また別の展開を見せているのでしょう。
2023年『どうする家康』については、明治政府がこれでもかと過小評価してきた徳川家康が主役です。
2024年『光る君へ』の紫式部はどうか?
実は『源氏物語』は【皇国史観】からすると「皇室を題材に猥褻な描写をした」として、発禁にされるほどでした。
大河ドラマに政治を持ち込むな。
エンタメに政治を持ち込むな。
そうした意見はよく聞かれますが、いくら遠ざけようとしてもどこかに必ず繋がりがあり、ましてや為政者を描くとなれば政治を完全に遮断するのは不可能なこと。
『鎌倉殿の13人』の脚本家である三谷幸喜さんは、『新選組!』が政治家に問題視されたことを振り返っています。
偏った思想におもねるではなく、人は常に進歩していける――大げさかもしれませんが、だからこそ大河ドラマには、そんな役割も期待したくなるのです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
本郷和人『歴史学者という病』(→amazon)
一坂太郎/星亮一『大河ドラマと日本人』(→amazon)
斎藤貴男『「明治礼賛」の正体』(→amazon)
他