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【麒麟がくる第14回】
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光秀は四書五経 道三は孫子 秀吉は……
通りに出る二人。
暴力を振るう男たちの姿が目に飛び込んできます。
喧嘩というよりも一方的な制裁――蹴られ、殴られているのは、藤吉郎でした。
原因は所場代でした。よそ者が勝手に商売をするんじゃねえ、お前の草履は鼻緒が切れるんだよ、だとさ。
駒と菊丸が助けると、藤吉郎は駒に「昨年関所で会った」と思い出しています。そして字が読めるようになったと言い『徒然草』第92段を暗唱するのです。かなりの記憶力ではある。
駒はじっとしているように言い、薬をつけています。駒に気がある菊丸が嫉妬してつつくところが面白い。
藤吉郎は、字を読んで出世して、この仇をうつと言い切っています。どこに行ってもいるああいう連中。ああいうやつは許さん、いつかきっと懲らしめると。
地盤を頼りにしている連中への憎悪とも言えるのですが……。
そして秀吉は『徒然草』、日本の書物。
秀吉の教養のなさというのは、ネックとなって出てきます。
例えば連歌。
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あれは古典の知識を駆使しなければいけないから、インプットがないとアウトプットができない。
秀吉にとっては圧倒的に不利です。社交の場であるにせよ、いっそ全員ゼロからスタートできた新機軸の「茶道」の方が秀吉向きともいえる。
現代人からすれば茶道は伝統ですが、当時は新しい。
深読みといえばそうなるのですが、中国大陸や朝鮮半島への知識や敬愛不足が、あの朝鮮出兵へつながる伏線かもしれない。
秀吉と家康の決定的な違い
引用した箇所も気になるところ。
『徒然草』第92段
師の言はく、「初心(しょしん)の人、二つの矢を持つことなかれ。後(のち)の矢をたのみて、初めの矢に等閑(なほざり)の心あり。毎度(まいど)ただ得失(とくしつ)なく、この一矢(ひとや)に定(さだ)むべしと思へ」といふ。わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。
これは彼の気質を示していることは考えられる。創作というのは、意図的にセリフを使うものです。
秀吉は、武士として生まれていないからには、教養の基礎が足りない。その面から言えば「初心の人」。ゆえに二つの矢であるプランBがないまま突っ走るタイプということかもしれない。
彼の政権が短命であることも示唆しているのかもしれない。
一つの矢である秀頼だけを大事にし、二つの矢である秀次に対して酷い処断をしたことが、豊臣政権の短命化につながったとは考えられるわけです。
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一方で、徳川家康。データを蓄積し、プランBどころかプランC、それどもろかプランHくらいまでは用意する。徳川幕府があれだけ長続きできたのも、家康の血を引く男子が多かったことも一因としてあります。
4/11に放送された『柳生一族の陰謀』では、徳川秀忠の男子である徳川家光と徳川忠長が二人とも死亡する設定でした。
無茶しやがって――それはその通りなのですが、彼らには親類が大勢いるから、徳川政権はごまかしきれますよね。
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秀吉のような、現在ならば広告代理店勤務が似合いそうな人物は、勢いで突破し明るい時代のスタートを切るまではできる。
しかし継続には、別のタイプが向いている。暗くて地味であんまり友達にしたくない、データ分析大好き。プランをたくさん用意している家康。そういうテレワークの申し子である家康タイプが向いていると。
日本史的にみて、秀吉が必要以上に礼賛される流れは少々危険です、不吉なのです。
彼の朝鮮出兵が、日本の朝鮮半島支配の先駆けだと評価していた時代がありまして。その流れは、昭和20年に敗戦という形で終わっているのです。
「織田を潰しておかねばならぬ」
さて、東庵はお仕事中。
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東庵に対し織田信秀と懇意であったことを聞いています。
あれはわしと同じで、戦に明け暮れておった。体はボロボロであっただろう。そう語りかけてくるのです。
彼は知りたい。この体がどれほど持つか。余命を気にしています。
「占いは致しませぬゆえ」と東庵が答えるものの、そんなものは言い訳だとわかるはず。
彼は信秀の短命を察知しました。
雪斎は、京都で修行中、博打好きの変わった名医がいるとして、東庵を知っていたそうです。
一方の東庵も、戦好きの奇妙なお坊様として、雪斎を認識していた。そのうえで「お互い奇妙なもの同士、たすけあおうではないか」と言い合うのです。
助け合う中身とは、雪斎の寿命を二年保証し、織田信長打倒まで持たせること。
「うつけ者と噂されたが、美濃の蝮が娘を与えた……あれを滅ぼしておかねば、駿河の者は枕を高うして眠れぬ」
織田を潰す。そのことを我が使命だと考えている。そんな雪斎です。
「まことに奇妙なお坊様ですな……」
東庵はそう言いつつ、診察をしています。
さて、この奇妙なお坊様ですが。
日本史には戦う僧侶がいる! それはその通りです。ただ、これは日本史だけのことでもありません。
フランスのリシュリュー枢機卿は『三銃士』で悪役とされてはいます。
ただ史実では極めて有能であり、従軍も果たしておりました。ラ・ロシェル包囲戦でのリシュリューの絵は、とても格好いいものがありまして。
宗教的イデオロギーか? それとも政治権力か? いやいや、経済力? 文化? ソフトパワー?
時代の流れの転換点が、まさしくこのあたりなのです。
宗教がそんなに心清らかなものではないと学ぶのであれば、くどいようですが『MAGI』もおすすめです。
信長からの援軍要請に対し斎藤家では一悶着
天文22年(1553年)、知多半島の緒川城に今川軍が迫りました。
周囲は降伏し、緒川城のみが取り残されている状況。緒川城を攻めるための拠点が「村木砦」です。
信長は、緒川城救出のために出陣しようとする。
しかし、今川に通じる清洲城の織田彦五郎から背中を突かれかねない、苦しい状況でした。
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そこで信長から援軍を求められた斎藤利政は、彦五郎を牽制し、織田家を救おうと決めたのです。
こう利政に相談されて、明智光安も納得してはいます。その理由は、のちほど。光安は彦五郎を牽制し、光秀は信長が攻める村木砦を見て来るように言われました。
そこへ高政が稲葉良通(稲葉一鉄)と共にドスドス踏み込んでくる。
うつけ者の信長を助け、今川と戦うつもりか! 彼らの敵とみなされては危険だと訴えます。
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国衆代表者のような稲葉良通に、利政は嫌味を言います。
「ならば己の館にでも戻って、昼寝でもしておれ」
おいおい、利政さぁ……。
家臣のことを馬鹿にしていて「こいつと話すと時間の無駄」と割り切っているんでしょうけれども、その見下す感が顔や態度に出るのはよくありませんよ。彼らみたいなタイプは話が通じない相手に冷たいんだよな。
そなたも稲葉もひれ伏す時が来るぞ
我が子には、一応それなりに考えて言う利政。
「信長をうつけと申したが、その目で見て申しているのか?」
「噂では……」
「わしは見た。話した。口惜しいが、信長を甘く見ると、そなたも稲葉も……信長にひれ伏す時が来るぞ。今はまだ若い。しかし、信長は若さの裏に、したたかで、無垢で、底知れぬ野心が見える。まるで昔のわしを見るような……」
「さほどに信長を気に入られましたか」
「ああ……気に入った」
傷ついている高政の前で、利政はにっこりと蝮スマイルを見せます。
先週の帰蝶のことを、蝮の血だという感想は多い。確かに父親に似たのだとは思う。けれども、高政は皮肉にも蝮の血が出てはいないと。
信長は血筋じゃないと言い切った。帰蝶を考えるにせよ、蝮の血云々は一旦忘れた方がよいかもしれない。
大事なのは、考え方ではありませんか。
蝮だのコブラだのブラックマンバだの『キル・ビル』で間に合ってます。
タランティーノの話はそれまでだ。高政は光秀に意見を求めます。
信長が今川に勝てればよい。けれども負けたら、援軍を送ったこちらが今川とぶつかることになる――。
「拙速と思わぬか?」
ここで光安が、那古野城には帰蝶様がおられるから見殺しにできないと言うと、高政が「光安殿には聞いていない」と却下し、光秀に聞いて来るのです。
拙速とは
きました、拙速ですね。『孫子』「作戦篇」です。
『孫子』「作戦篇」
故兵聞拙速、未睹巧之久也
故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹(み)ざる也
戦争を雑に素早く切り上げた話は聞いているが、善戦したからこそ長引いたという話は聞いたことがない。
誤解されがちなのですが「やっつけでもやってみろ」ということではありません。長期戦になる時点で失敗しているということです。
戦争は勝っても負けても、人命、資源、金銭に大きな被害が出る。勝ち戦は負け戦よりもよいだけ。戦争をした時点で駄目であるということです。
その典型例が、ナポレオンでしょう。
ナポレオンは戦争に強かった。ものすごく強かった。
しかし、戦い続けた結果、フランスは男性の人口が激減し、外人部隊を導入することとなるほど。
ナポレオン時代のあとフランスは連敗し続け、「チーズ食って降伏する猿ども」というひどい侮蔑までされるようになりました。
ナポレオン時代のダメージは極めて大きいのです。
そういう『孫子』出典はさておき……と言いたいようで、親子の違いは出ていると思います。
拙速の父。巧久の子。対照的といえばそうです。
どちらの言い分もあるとは思う。
拙速の父・利政
・ここで信長を見捨てたら、帰蝶の命も危険だ。それだけではなく、同盟相手として価値がないと周囲から見なされ、孤立しかねない。
・織田が倒れたら、今川の脅威はむしろこちらに向かって来るのではないか?
巧遅の子・高政
・信長の力はまだわからない。うつけという噂が正しければどうするのか?
・今川を刺激するのはかえって危険だ。
父子の対立に引っ張られる光秀
光秀は、唾を飲み込んだうえで「援軍は拙速だ」と高政に同意します。
彼なりに状況を分析しました。
清洲の彦五郎と戦うとなれば、守護の斯波もいるから面倒なことになるのです。
もう利政は耐えきれない。
「尾張の守護など何の力もない。彦五郎など、三日で潰せる。敵は今川。その今川に、信長が立ち向かおうとしている。放っておけるか。わしはやる! わしは誰が何と言おうと援軍を出す! みなさっさと帰れ、光安!」
こうして利政は去っていきます。
高政と稲葉良通、そして光秀が残されました。
「土岐様が追い払われ、美濃には守護がいなくなった。誰がこの国を守る? 一度会うただけの海のものとも山のものともわからぬものに兵を出す。これがこの国のあるじだ。この国は潰れるぞ」
ここで稲葉は決起を促す。
高政が家督を継ぎ、政治をせねばならないと訴えるのです。殿では国衆がおさまらないと。高政はここで、こう確認します。
「わしが家督を継げば、国衆はついて来るか?」
稲葉は請け負います。
そのうえで急ぎ国衆を集め、家督を譲れと殿に迫るしかないと言うのです。
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