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【麒麟がくる第20回】
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東庵を問いただす義元
舞台は変わり……今川義元が黒白の猫を抱いて東庵と向き合っております。
義元は太原雪斎の言葉として、東庵を褒め称えます。一度針を打たれると、癖になるほど凝りが取れると。
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東庵はとぼけた口調で、
「皆様そう仰せになりますが、不思議なことに、己の凝りには一向に効き目がありませぬ」
と言うのです。
義元はここで、
「医者というのは世のため人のために生きておるという証ではあるまいか」
と嬉しい褒め言葉を返す。東庵は恐れ多いお言葉と言いつつ、肩こりが倍ほどひどくなったとぼやいてみせます。
これぞ堺正章さんの本領発揮ですし、東庵の危険性だとは思うのです。
心が真っ直ぐで綺麗で、シレッとそれを肯定しない。ユーモアにくるんでとぼけるからわかりにくいものの、おだてに乗らないということです。
これが駒と対照的といえばそうでして。駒は源応尼の褒め言葉を聞けばその気になるとあっさり認めています。
義元は肩こりがひどいからこそ治療を受けたと言いつつ、本題とも言えることを聞いてくるのです。
東庵はここ数年、松平元康と将棋をする仲だというではないか。源応尼とも親しくしているとか。
そう切り出し、三河の者である元康を大事に思うからこそ元服もさせたと言う。
岡崎城主であることも配慮してきた。先の初陣も見事であった。元康こと三河武士の棟梁にふさわしい器だと思うておる。そう言い切るのです。
ただ、そんな元康でも、今川を裏切るとなれば、我が身が危うい。
そこで、ズバリこう聞いてきます。
「元康は信ずるに足る若者と思うか? どうじゃ?」
義元を通じて家康の重要性が浮かび上がる
流石は義元、名将です。
家臣と議を尽くした。けれどもあとひとつ、確かめていないことがあった。それをクリアにしようと、自ら尋問をするわけです。
義元の問いかけに、東庵は医は仁術だと前置きをしたうえで、元康は裏表のないお方、殿がお案じになるような方ではないと断言します。
「よう申した。流石我が師雪斎和上が見込んだだけのことはある。ふふふ、安心したわい」
この片岡愛之助さんの義元の、高い完成度ときたら……。英雄の中の英雄を、見事に演じております。
『真田丸』の大谷吉継の時とはあきらかに違う。どっしりとしていて、正面切ってたくましくて、男性性の化身のような力強さが出ている。
若いころ、歌舞伎で可憐な女形をしていたことを考えると、人間というのはこうも変わり得るのかと毎回何度でも驚いてしまう。
すごいものです。演じるということは、これほどまでに変わることなのか! そういう驚異を感じます。
東庵は意図的に騙したいわけでもないでしょうし、彼に対して元康は誠意があるのでしょう。義元に対してもそうだったとは思います。雪斎からだって、それは熱心に勉強を学んだことでしょうけれども。
しかし、元康って幼少期から二面性がバリバリにあったわけです。
まだ幼い彼を土田御前が「かわいげがない」と評したのは、何かそういうものを嗅ぎ取った可能性もあるわけですし、信長が父を殺しても、納得してしまうところがあった。
今川に迎えられた時、豪華な食事でおもてなしをしても、子どもらしく喜んだわけでもない。
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ここのやりとりは、義元が隙のない人間だとわかるだけでなく、【元康がどれほど重要なカードであるか】もわかる仕組みです。
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そんな中で、元康というカードを本作は提示してきた。
このカードがひっくり返ると破滅的であり、義元をも殺し、遠い将来、豊臣政権をも破滅に追い込むと示されているわけです。
時系列的に、本作は家康の天下統一までは描きません。けれども、このあと家康が天下人となると示唆することが大事なこととなってきます。
家康といえば、三英傑の年齢差を無視してでも、老獪さを出せるベテラン俳優がキャスティングされることが多いものでした。
結果ありきの逆算ですが、本作は違う。
それでいて、彼が天下人になる要素をみっちりと描くから、とんでもないと思うのです。
信長、軍議を抜け出すってよ
永禄3年(1560年)5月。
2万5千の兵で今川義元は尾張攻めを開始しました。
一方、尾張清須城では織田家臣団が一生懸命に軍議をしています。無茶苦茶ヒートアップしている。紛糾しているぞ。
そんな中、信長はやる気があるのかないのか、よくわからない顔。どうしたんだー! と思ったらいきなり立ち上がって、どこかへふっと立ち去ろうとします。
「殿!」
「殿!」
「殿ッ!」
「殿ぉ!」
家臣たちの声を聞こえぬように、スタスタとどこぞへ向かってゆく信長。
気持ちはわかります。結論が出ないのに話し合うなんて無駄ということでしょう。
今川義元は「議を尽くした」という。家臣団と意見をぶつかり合わせたわけです。
けれども、対照的に意見をぶつかり合わせることすらしたくない人物が今回二名出てきました。
館に戻ると戦の話になって嫌だという松平元康。そしてこの信長。
本作で、この手のタイプは他にもいましたね。評定で露骨にかったるそうにしていた斎藤道三です。
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確固たる自我と自分の意見がある。
それゆえに、みんなの意見なんて出てきてもどうでもいいんだよね〜。そうなっちゃう奴らです。
といっても違いはあります。道三と信長はかったるさが顔に出ますが、元康は「聞いているフリ」はできるとみた。
例えば現代でしたら、会社でトラブルになりそうですし、学校でも授業を聞いているようで自分なりにあれやこれやを考えてしまう。そういうタイプの人物ですね。
飲みニケーションは嫌い、というか。基本的に余計なつながりは求めていない。
彼らも、評定をしないわけではありません。
他人の目を通さないと自分が見えてこないとか。そういう相手を反射板のように使う、独自のコミニケーションスタイルの発露でもある。話し相手にとってはストレスが溜まりかねない。
勝てはせずとも負けもしない手立て
信長は、袴姿の帰蝶を見つけます。
どこへ参るのか? そう確認すると、彼女は熱田宮までだと答えました。
「熱田宮? この戦支度の最中に?」
「それゆえ行くのです」
帰蝶は殿もお行きになられたほうがよいという。
せいぜい3千の兵で今川を相手にするのは、義龍に負けた時の道三と同じ兵数だと帰蝶は言い切ります。
そういえばそうでした。信長はイライラしてきます。
「だからどうした?」
「勝てぬまでも、負けぬ手立てを講じませんと」
信長は小馬鹿にするようにこう返します。
「熱田宮でお祓いでもしてくるのか?」
神頼みっていうのはもう負けてんだよ。そうオラつく信長。
信長は帰蝶の言うことを聞くけれども、それは愛情ゆえでもない。彼女は有能だと証明済なのです。
信長は、発言者の属性ありきではなく、使えるかどうかで判断するので、愛妻がせめてもの神頼みを頼んだところで「使えねえ!」とバカにする性格でしょう。
そこが土田御前には耐えられなかったと思われる。
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熱田宮を信じて、戦に神官を巻き込み死なせた父とも違うところではある。
信長はやはり家族内で孤立していたんでしょう。
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そんな信長と気が合う帰蝶は、熱田宮に松平元康の母と伯父がいると告げます。
ようやくピンと来て足取りまで軽やかになってしまう信長。そのうえで「そなたが呼んだのか」と帰蝶に確認します。
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誰の知恵かと聞いた上で、家臣のように騒ぐだけではないと褒める。その上で、もう一度誰の知恵かと帰蝶に聞き、はぐらかされてしまいます。
「ふふ、察しはつくがな」
この信長も、面白いですよね。
・素直に帰蝶を褒めないし、彼女単独の意見でないとも見抜いている
→帰蝶を過小評価しているわけでもなく、置かれた状況からそこまで動けない、ならば誰かいると察知したのでしょう
・あんなに一生懸命提案した重臣を「騒ぐだけ」とぶった切る
→しみじみとひどい。それを本人たちに言わないだけでもマシ?
・気持ちがコロコロ変わる
→ムスッとしたり、ワクワクしたり。めんどくさいですよね
・推理野郎
→察しはつくものの、答え合わせせずにわくわくしている。お茶目なようで、こうもズバズバ推理されていたら、周いからすれば疲れることもあるはず
仕官を願った義景は蹴鞠に夢中で
そのころ越前では、光秀が仕官すべく鉄砲の腕を披露しておりました。
朝倉家の武将・宇野市兵から「たいしたものだ」とは褒められるものの、殿(朝倉義景)が決めるから「改めて参れ」と言われてしまう。
そうして数日後また参ると、朝倉義景は楽しそうに京都からきた公家たちと蹴鞠をしておりました。
「蹴鞠? 何が蹴鞠じゃ」
遊ぶ義景を見て、光秀は思い切りムッとした顔を見せてそう吐き捨てる。
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この光秀は結構思うことや考えが顔に出ます。
光秀は、遊びで誰かに取り入るようなことができない。接待ゴルフとはほど遠い男です。
そんな光秀は家に戻ると、左馬助に苛立ちをぶちまけます。
今、尾張の織田信長が大一番の戦に向かっておるのに、自分はこの国で何をしておる? そうイライラが溜まっているのです。そして、左馬助が見つけたという尾張への抜け道へと案内しろと迫るのでした。
光秀、やはりストレスが溜まっていたのです。
そのころ、熱田では――。
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