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【青天を衝け第22回感想あらすじレビュー】
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総評
今回のVFXは、どうにも既視感があった。
その正体は何だろう?と思っていたら、そう、これでした。
◆ 初代プレステ?JTB「バーチャル観光」に総ツッコミ なぜこうなったのか、担当者に聞いた(→link)
本作が、コロナとオリンピックの影響により、ギリギリで作っているというのはわかります。
しかし栄一はなぜ何度も高いところに登って叫ぶのでしょうか。ナントカと煙は高いところが好き――そんな言葉がふと思い出されてしまい、これで頭の回転が速いと言われてもピンとこないといいましょうか。
そして今回は、示唆に富む内容でもありました。報道までどこかおかしく、ネットニュースはイケイケのアゲアゲです。
◆『青天を衝け』こう来たか!と唸らせるキャスティングの妙(→link)
ネットメディアの本質は、真実・事実を正確に伝えることよりも、ダイレクトに反映される数字が重要。
上記の記事も、こなれた文章で、褒めることが前提のように見受けられます。
しかし、売上が影響する書籍や雑誌となると話は別です。
書店で歴史関係の書物をざっと見ているのですが、『青天を衝け』がらみのものがどんどん減っている。
『大河なんて毎年そうでしょ?』と思われるかもしれませんが、実はそうでもない。現に、明智光秀がらみの書物は、まだぼちぼち見当たります。
そもそも戦国時代は人気ありますが、『麒麟がくる』の放送決定前にこんな状況は考えられませんでした。
ただし、ネット記事にしても、『青天を衝け』を持ち上げ続けるのは苦しいようで、例えば『現代ビジネス』さんの2021年上半期ベスト記事はこちらでした。
栄一ではなく秀吉。本能寺の変とあらば光秀・信長関連でもありますね。
『100日後に死ぬワニ』というコンテンツがあったではありませんか。
リアルタイムでやっていたときは異常なまでに盛り上がったけれど、今ではむしろネタ扱いの枠。
◆ 映画「100ワニ」、座席予約でいたずら横行 「新宿バルト9」が迷惑行為に注意喚起(→link)
本作がそうならないとも断言できないでしょう。
なお、来週の【大政奉還】は、ドラマの内容をすべて鵜呑みにされないほうが良さそうです。
本作は『徳川慶喜公伝』をベースとして描くかもしれず、そこには多分に慶喜のアリバイとプロパガンダが含まれている。
他の資料や証言と付き合わせて蓋然性があれば問題ありませんが、
「だって『徳川慶喜公』でこうあったから『青天を衝け』の内容は本当なんですよ!」
と主張するのは危うい限りです。
以下の記事にもありますように、徳川昭武と渋沢栄一のヨーロッパ道中は、いくらでも面白い話がある。それなのに全く活かしきれてないような今週の放送は困惑するばかり。
トラブルの連続だった昭武と栄一の遣欧使節団~欧州で何があったのか
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万博に参加した芸者を、大原麗子さんが演じてヒロインになるなんて、豪華で素晴らしかったなぁ……というのは、はるか昔のまっとうな大河ドラマ『獅子の時代』です。
琉球と蝦夷地
今週は幕府と薩摩の争いがクローズアップ。
しかし、大事な視点が欠けているようでした。
それは勝手に薩摩藩主が王とされている琉球国です。
政治闘争の道具に使われた挙句、乗っ取られるようなことをされている。その残虐さ、踏みつけられる無念さを全く考慮してないところに憤りを感じてしまいます。
どうして琉球は、こんなことをされねばならないのか?
これは薩摩藩の暗部に迫ることでもある。
奄美大島で「狂人」と呼ばれた西郷~現地でどんな生活が待っていた?
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そしてこのあと、パリで火花を散らしたような栄一と五代の第2ラウンドも控えています。
今度は蝦夷地改め北海道利権をダシにしてマネーゲームをやらかすんですね。
沖縄にせよ、北海道にせよ。
中央が権力やマネーゲームのコマにして平然としている。あまりにグロテスクかつ恥ずかしい歴史のことを考える必要があるのではないでしょうか。だってもう21世紀ですから。
あまりに腹が立ったので、今夜は『衛府の七忍』でも読むしかないと思いました。チェストとは知恵捨てと心得たり、いざ!
漫画『衛府の七忍』は閲覧注意の意欲作~その中には伝奇時代劇の魂が宿っている
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実際の薩摩隼人はフィクション以上にならず者?漫画やアニメで検証だ
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経済通ではあるものの……
コロナ時代に気をつけた方がよいことがあります。
他の分野では詳しいけれども、別分野にそうでもない。しかしなまじ知名度がある。
そんな勘違い系インフルエンサーが、コロナのことで何か断言していたらば、疑ってかかりましょう。
歴史は詳しいけど、医療はそうでもないとか。
経済通でも、医療はそうでもないとか。
それなのに断言するアカウントのことです。
なぜ大河でそんなことを?
というと、渋沢栄一はこういう「別分野に口出しをする人物」の典型例だと思えるからです。
ドラマでは技術を見て驚いていますが、渋沢栄一は工業系の技術については疎い。
もっとキッパリいえば、漢籍理解についても専門家ではありませんし、当時の経済以外は通じないと認識した方がよいかと思います。
栄一はなんでもできる超人!
そんな勘違いをさせる書籍や記事もありますので、そこは冷静に捉えていくべきかと思われます。
もしかしたら本作の栄一から学べるのはそこかもしれません。
彼は足尾銅山鉱毒事件に元凶として関わり、工場法を長いこと阻害し、関東大震災の時には天譴論(てんけんろん・大災害は驕り高ぶった人間を罰するためのものとする非科学的な論)を主張していました。
「誰も彼もが自分の意見を尊重すると決めてかかる傲慢さ」は、日本人を不幸にしたのです。
SDGsは渋沢栄一から学べません。
遺訓問題が発生していた
先週の放送で、徳川慶喜と渋沢栄一が共に復唱していた「家康の遺訓」を覚えていらっしゃいますでしょうか。
これがここ数年でもかなり大きな大暴投となりそうで。
↑
こちらの記事のおかげで思い出しました。
該当の部分を引用させていただきます。
A:書棚の奥の奥から昭和57年に刊行された『徳川家康おもしろ ものしり雑学事典』(講談社刊)を引っ張り出してきました。中学生の時に買った本ですね。
この本の中には、遺訓を引用した後に〈よくできている教えだが、実はこの遺訓は家康が書いたものではなく、後世に作られたものだろうといわれ、今日ではその説がまかり通っている〉とあります。その後、尾張徳川家先代ご当主の徳川義宣さんの研究で由来も明らかになりました。
同氏は吉川弘文館の『国史大辞典』の「東照宮御遺訓」の項目を執筆していますが、こうあります。
〈「人の一生は(中略)過ぎたるよりまされり」の一文が徳川家康遺訓として世に知られているが、これは徳川光圀作として伝えられていた『人のいましめ』の教訓文を、幕末期に一部改め、『東照宮御遺訓』と改題して民間に流布せしめ、今日に至ったものである〉。
どこまで水戸が祟るのか……水戸学の始祖であり、いろいろ自己流解釈をしてしまっていた徳川光圀の創作です。
むしろ家康は、あそこで出てきてこう突っ込むべきでした。
「いやあ、感動的な場面に突っ込んで何だけど、私はこんなこと言い残していないんだよね」
そう突っ込まない本作の家康は、やはりおかしい。
大事な言葉だけに、制作サイドも少しだけ確認すれよかったことです。それなのに手抜きとも思われるミス。
それなのに複数の大手メディアがそうとは気づかず肯定的に発信していて、なんだか悲しいことになっています。
例えばこんな感じです。
◆『青天を衝け』“慶喜”草なぎ剛の軍服姿に反響 篤太夫と志を共有 (1)(→link)
“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。”
腹を割って話のできる関係の慶喜と篤太夫が笑顔で遺訓を唱えることは、2人の仲の良さを表すことと同時に、世界が麗しき調和を成すことへの願いを象徴しているように感じられる。異なる思想で対立している日本が調和し、世界も調和する。そんな願いの現れのような……。少なくとも、慶喜と篤太夫は理想を同じくして、ここで完璧に気持ちを共有し、この上ない幸福を味わっているように見える。
◆『青天を衝け』21話。将軍の重荷に苦しむ慶喜。突然はじまる渋沢栄一とのコール&レスポンス(→link)
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし……」
篤太夫と慶喜が謎のコール&レスポンスを繰り広げていたこの言葉は、家康の遺訓とされている。家康から続く幕府という重荷を背負った慶喜への、篤太夫なりのエールだったのではないだろうか。
ちなみに、篤太夫は後に著書『論語と算盤』の中で、この言葉は論語での教えが基になっていると指摘している。
あの水戸光圀の捏造となれば、そりゃ渋沢栄一にはしっくりくるでしょう。
しかし、なぜこんなことになってしまうのか。
私なりに分析してみました。
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