日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

その日、歴史が動いた 諸家

美濃三人衆の一人・稲葉一鉄(稲葉良通) 「頑固一徹」の語源という生き様は?

更新日:

「頑固一徹」「一徹者」の語源になったとされる稲葉一鉄

戦国武将というと、何を思い浮かべるでしょうか。
織田信長のような苛烈さや、「戦争ばっかりしてた乱暴者」というイメージの方が多いのではないでしょうか。
しかし日本の戦国武将の場合、意外なほど文武両道ともいえる万能タイプがたくさんいました。
例えばたぬk……徳川家康は「太ってたから狸って言われてたんだろ?後ろでふんぞり返ってて、一人じゃ何にもできなかったんだろ?」なんて思っている人もいますが、家康は剣術弓術をはじめ、ありとあらゆる武術に通じていたといわれています。
中でも得意だったのは泳ぐことで、70歳のときに真冬の川で平気な顔して泳いでいたという逸話もあります。
そこ、「皮下脂肪がガードしたんだろ」とかいわない。
前置きが長くなりましたが、今回はそうした「イメージとは違った一面を持っていた人」のお話です。

天正十六年(1588年)の11月19日、「頑固一徹」「一徹者」の語源になったといわれている稲葉一鉄が亡くなりました。
一鉄というのは頭を丸めた後の名前なのですが、例によって有名なほうで統一させていただきます。

稲葉一鉄(稲葉良通)/wikipediaより引用

この人は「美濃三人衆」と呼ばれた、斎藤道三の家臣の中でも特に優れた三人のうちの一人でした。
元々道三が来る前に美濃を治めていた土岐家という家の家臣で、道三が来てからは斎藤家に従っています。
道三とその子・義龍の盛大すぎる親子ゲンカ・長良川の戦いでは義龍につきましたが、やがて義龍は死に、そのまた息子の龍興はダメっぷりにもほどがあったので、一鉄を含めた美濃三人衆は揃って信長に味方しました。

その後は信長に仕えて各地の戦に参加し、その戦功は20年間負けなしとも言われるほど。
生涯戦で傷を負わなかったとされる本多忠勝と比べても、勝るとも劣らない活躍ぶりでした。

 

スポンサーリンク

信長から「信」の字をあげるといわれたのに断る勇者

最も華々しい戦果を挙げた姉川の戦いの後には、信長が「お前の働きはスゴいから、ワシの一字をやろう」と最高の褒美をくれようとしたこともあります。
しかし、一鉄はこれを断りました。
「いやいや、家康さんのほうがスゴいから、ご褒美はあちらさんにあげてください」と言うのです。
あの信長(もはや定型句)の機嫌を損ねかねない台詞ですが、あまりにも一鉄が「大したことしてませんから」と言い張るので、信長のほうが根負けしたとか。

このことを覚えていたのか、信長は数年後一鉄を殺そうとしたことがあります。
ねちっこく恨んでいたわけではなくて、「一鉄の野郎裏切ってますよ」という報告があったからでした。
伊勢(現・三重県)での長島一向一揆とバトっている頃の話で、疑心暗鬼にもなっていたのでしょう。
信長は「もし本当なら茶席で成敗してくれる」と一鉄を呼び出します。

茶室にやってきた一鉄はただならぬ雰囲気を感じ取り、何とか弁明しようときっかけを探しました。
が、狭い茶室のこと、ただ申し開きをするだけではかえって信長を怒らせかねません。
そこで目に入ったのが、床の間にかけてあった掛け軸。
正確には、そこに書かれた漢詩でした。

これを見た一鉄、幼い頃お寺で学んでいたときの記憶がふっと蘇ります。
彼のお師匠様は「心頭滅却すれば日もまた涼し」の名(迷)言で知られた快川紹喜。
一鉄もビシバシ脳みそを鍛えられていたことでしょう。

そこで一鉄は、漢詩をすらすらと読み上げ、なおかつその意味を解説しながら自分の忠誠を訴えました。
これにはさすがの信長も兜を脱ぎ、「ワシが悪かった。これからも頼む」と疑いを解いたそうです。
芸は身を助けるってトコでしょうか。

 

スポンサーリンク

頑固ものおだやかにあの世へ

他にも「敵の間者が腹を空かせた若者だったので、ご飯を食べさせて説得して帰した」とか、「降伏の使者に行った先で丁寧に話し、見事降伏させた」とか、頑固者のテンプレとは結びつかないエピソードがたくさん。
これは余談ですが、一鉄の弟弟子にあたる人として伊達政宗のお師匠様・虎哉宗乙がいます。
虎哉も機転の効いた逸話で有名ですから、快川の教育方針がそんな感じだったのかもしれません。
一鉄と15歳ほど離れているので、二人同時に快川の元にいたわけではありませんが、意外な関係ですね。

本能寺の変で信長が斃れてから、一鉄は秀吉に仕えます。
ただし歳が歳だった(一鉄は永正十二年=1515年生まれ)ので、天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いを最後に、戦においてはお役御免とされていたようです。
その後は四年ほど穏やかに過ごし、元祖「一徹者」は戦国武将には珍しく畳の上で往生したのでした。

長月 七紀・記

スポンサーリンク

【参考・画像】稲葉一鉄(稲葉良通)/wikipedia

 





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?


注目 わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか毎日の感想レビュー

-その日、歴史が動いた, 諸家
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.