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女性 縄文・弥生・古墳時代 その日、歴史が動いた

伝説か?史実か?日本史上最強の「女傑」神功皇后、海を渡る

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戦後のアレコレによって日本では排除されてしまいましたが、神話というのは歴史を語る上でバカにできないところがあります。
そのまま真実ではないにしても、事実をマイルドに伝えている可能性があるからです。
本日はその中から、ある意味ヒロイックなお話をご紹介しましょう。

仲哀天皇八年(200年)9月5日は、神功皇后へ三韓征伐の神託が降ったといわれている日です。
このくらいの時代だと、そもそも「天皇」が実在していたのかということもはっきりしないので、まあ伝説として捉えておくのがいいでしょうね。確実なことだとわかれば、それはそれで面白いですけども。

「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」歌川国貞画(Wikipediaより)

本題に入る前に、当時の日本と朝鮮半島の情勢をざっくりご紹介しておきましょう。

前述の通り、日本はまだ「天皇」がいたかどうかもはっきりしない時代です。それに従って中央政府が存在していたかどうかもアヤシイような、まさにザ・古代という感じでした。

一方、朝鮮半島はいくつかの小さい国に分かれていました。が、三韓征伐の話の中では、もう少し後の時代の国の名前が出てきています。新羅(しらぎ)・高句麗(こうくり)・百済(くだら)の三つです。皇極天皇(過去記事:天皇みずから新羅との戦に備えて難波を出発 しかも女帝!【その日、歴史が動いた】)や中大兄皇子の時代でちょくちょく出てきますね。
おそらく、古事記や日本書紀が書かれた時代の地名で表しているのでしょう。また、皇極天皇が重祚して斉明天皇になった後、神功皇后と同様に自ら海を渡ろうとしたことがあるので、「そもそも、斉明天皇の話が神功皇后の伝説の元ネタなんじゃね?」という説もあります。

ややこしい話ですが、今回はスタンダードな書き方で統一しますね。

夫の天皇が外征を拒否したら変死!

事の始まりは、とある神様から「海を渡った先にある国を攻め取れ」という神託が仲哀天皇(14代)に降ったことでした。神功皇后の旦那さんです。
このときは夫婦そろって九州の熊襲(くまそ。九州で独自の勢力を持っていた一族)討伐に来ていたところでした。が、仲哀天皇は「海の向こう? 陸なんて見えないんですが……神様は何をおっしゃりたいのだろう(´・ω・`)」(意訳)と神託を取り合わず、当初の予定通り熊襲討伐を始めてしまいます。
これに神様が怒り、「じゃあお前の熊襲討伐は失敗させてやる! ……代わりにお前の子供は成功するようにしてやろう」(意訳)というお告げが続けて降りました。
その通りに熊襲討伐は失敗し、仲哀天皇もまた遠征先で亡くなるという悲劇が起きます。

これに神功皇后はいたく嘆き、「やはり神様のお告げ通りに行動しなくては」と考えました。
実はこのとき後の応神天皇(15代)を身ごもっていたので、神功皇后には「子供は成功する」というお告げがより信憑性のあるものに感じられたのかもしれません。
どうでもいい話ですが、「父親にはキレたけどその子供はおk」って心の広い神様ですね。代々祟る神様も珍しくないというのに。

さて、仲哀天皇の葬儀を済ませた後、神功皇后は自ら政治と軍事を取り仕切ることを決めます。
まずは九州の神社でその旨を神様に報告し、夫の成しえなかった熊襲討伐を片付けてしまいました。
家臣たちが未亡人に同情して「お支えせねば!」と思ったのか、神功皇后の指揮能力が卓越していたのか、これこそ神のご加護なのかはわかりませんが、何にせよスゴイ話です。

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妊娠したまま海を渡る それどころか生まれないように石を腹に巻く

さらに、熊襲討伐が終わった後、大阪の住吉大社からもやはり「海を渡って新羅を討つべし」との神託が降りました。
神功皇后はより信心を深くし、いよいよ自ら兵を率いて海を渡る準備を始めます。
しかし、お腹はどんどん大きくなるばかり。多分周囲の侍女や武官たちも心配したことでしょう。

かといって、「お告げ通りにしなければ、今度は私やこの子、ひいてはこの国にも良くないことが起こるかもしれない」と思っていたであろう神功皇后は、ちょっとやそっとでは諦めません。
そこで考えたのが、「お腹を冷やせば出産を遅らせられるに違いない!」というものでした。ぶっ飛びすぎ。

止める間もなく、神功皇后はお腹まわりにいくつかの石をくくりつけ、その上に武装して船に乗り込みました。
こうなると出産が早まろうが遅れようが、臣下はついていかないわけにはいきません。
いろんな意味で決死の覚悟を固めた朝廷軍は、日本海を越えて朝鮮半島に降り立ちました。

が、何ということでしょう。
新羅は神功皇后を見るなり戦わずして降伏し、百済や高句麗も戦うことさえしなかったといいます。
気合を入れていたであろう武官たちは拍子抜けしたかもしれませんが、互いに被害が出ないのならよし、ということで「征伐」はあっさり終わったのでした。めでたしめでたし。
いかにもご都合主義なオチのような気がしますが、まあそこは神話に近い時代のことですしね。

朝鮮遠征。1880年月岡芳年(Wikipediaより)

そんなわけで戦闘が長引くどころか始まりもしなかったので、神功皇后はすぐ日本に戻り、お産をすることが出来ました。現在の福岡市宇美(うみ)町にある宇美八幡宮でのことだったといわれています。「宇美」という地名も、「産み」からきたのだとか。
同地には神功皇后がお産のときにすがりついたといわれる木や、応神天皇の産湯に使ったといわれる井戸などが今も残っています。また、神功皇后自身が安産だったので、安産の神としても有名であり、妊婦さんのお参りが絶えないそうです。

「妊娠中に突然夫の会社を引き継ぐことになりながらも、見事危機を乗り越えて出産・育児もこなした」とみれば、ある意味働くママさんのはしりともいえそうですね。
身重の体で隣国の議会を説得したマリア・テレジア(過去記事:マリーアントワネットの肝っ玉母ちゃん(17才の頃は超絶美少女) 女帝マリア・テレジアの誕生日【その日、歴史が動いた】))といい、やはり「母は強し」ということでしょうか。
しかし「東の神功皇后、西のマリア・テレジア」というと何かオソロシイですね。気のせいですかね。

長月 七紀・記

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参考:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2006/09/post_45a0.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/三韓征伐
https://ja.wikipedia.org/wiki/神功皇后





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