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photo by Babi Hijau /Wikipediaより引用

ゴールデンカムイ特集 明治・大正・昭和時代 その日、歴史が動いた

三毛別羆事件には震えるしかない ヒグマが開拓民を襲って死者7名・重傷3名

更新日:

大自然の恐ろしさとはよく言いますが、理想をいえば感じずに済むのが一番ですよね。
しかし、現代よりもずっと自然が身近だった時代には、そんな知識を付ける前に何かが起きてしまうこともままありました。
今回は、その中でも最も悲惨な結果になってしまった一件のお話です。

1915年(大正四年)12月9日は、三毛別羆事件という国内最大の獣害事件が起きはじめた日です。

獣害というだけでも充分恐ろしいですが、この事件が本当に怖いのは、ヒグマが文字通り「人の肉の味を覚えた」ことでした。
事件が事件ですので凄惨な経緯なのですが、できるだけグロテスクさを抑えて話を進めていきたいと思います。

【TOP画像】三毛別羆事件/photo by Babi Hijau wikipediaより引用

 

巨体過ぎて冬眠できない「穴持たず」

事件の舞台は、北海道苫前郡苫前村(現・苫前町古丹別)というところです。
札幌と稚内のだいたい中間地点にあたり、当時はまだ行政機関・警察機能が整っておらず、住民の家もごくごく簡素なものでした。
これが、この事件を大きな悲劇にした一因でもあります。

事件発生前、11月頃から尋常でない大きさのヒグマがうろついていることは知られていたそうです。
マタギが追いかけたこともあったらしいのですが、仕留めることはできず、「巨体過ぎて、冬眠する穴を見つけられなかったのではないか」という推測が生まれました。
そういうヒグマのことを「穴持たず」といいます。冬を乗り切るため・食料を探すために気性が荒くなるということも知られていましたが、この時点では対策の仕様がありませんでした。

そして12月9日から、この巨大ヒグマが家々を襲い始めます。
冗談抜きでR18-Gなので、できるだけ端的にダイジェストでお送りしますね。
詳しく知りたい方はウィキペディア先生や関連書籍をどうぞ。

襲われた開拓民の家屋を再現/photo by タクナワン wikipediaより引用

 

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ヒグマは女子供ばかりの家を襲った

12月9日
旦那さんが留守にしていたとある家で、たまたまその家に預けられていた少年がまず犠牲に。
追い払おうとした奥さんも被害に遭う。
その日のうちに村中へこのことが知らされるが、日が落ちるのが早い季節のため、他の住民は500mほど離れた別の家に集まるくらいしかできなかった。

12月10日
30人ほどの男性がヒグマ討伐に向かうが、持っていた鉄砲がうまく撃てず、仕留めるには至らなかった。
前日被害に遭った奥さんの遺体が雪の下から見つかる。
これはヒグマが遺体を保存食にしようとしたためだった。
夜、犠牲者二人の通夜が営まれ、通夜後の食事の席に同じヒグマが現れる。
このときは皆梁の上などに逃げて助かった。

しかし、ヒグマは女子供ばかりの別の家を襲った。
ここで子供三人、妊婦一人と胎児が一人亡くなり、三人重傷者が出ている。
頭をかじられながらも逃げたある女性によって、村の男性たちが呼ばれたが、助けることはできなかった。
それでいて、失神して倒れていたまた別の女性は無事だった。
ここまでで死者7名・重傷者3名(重傷者のうち1名は後日死亡)

12月11日
住民がもう少し離れた場所に避難し、区長や駐在所の警察官などと相談して、行政を頼ることになる。

12月12日
北海道庁に連絡が届き、警察官を主体とした討伐隊が組まれ、医師も現地に向かう。
ヒグマの「獲物を取り戻そうとする」習性を利用し、まだ通夜を済ませていなかった犠牲者の遺体周辺で待ち伏せることになった。
件のヒグマは予想通り現れたが、武装した人が多いことを悟ってか、襲ってこなかった。

12月13日
陸軍からも応援が到着。
ヒグマは無人の村の食料を漁り、女性の寝具などを荒らしていた。
この日からヒグマは昼間から村に現れるようになり、焦れてきていたらしい。
一度討伐隊が撃ちかけたものの、仕留めることはできなかった。

12月14日
かつて包丁一本でヒグマを倒したという凄腕の猟師が到着。
軍帽やロシア製ライフルを持っていたそうなので、日露戦争時には従軍していたと思われる。
討伐隊が再びやってくる前に、この猟師がヒグマの背後から心臓と頭を撃ち抜いた。

当時の開拓村の家(再現)/ photo by Babi Hijau wikipediaより引用

 

同様のヒグマ事件はまだまだ起きていた

仕留めた後に大きさ・重さを調べたところ、体長2.7m・体重340kgという、規格外のサイズだったといいます。また、この個体については体に比較して異様に頭が大きかったとか。
能が大きいから頭がいいとは限りませんが、事件の経緯からすると納得できてしまいます。

ヒグマの遺体は犠牲者の供養のため、解体した後に猟師や遺族に配られたそうですが、筋っぽくて美味しくはなかったとか。
他の部分=毛皮や骨は行方不明になってしまったそうです。仕留めた直後は討伐隊に文字通り踏んだり蹴ったりされていたとのことなので、残しておきたくもなかったのでしょう。

こうして三毛別における惨劇は幕を閉じましたが、実はこの前後にもヒグマによる同様の事件が起きています。

明治十一年(1878年)に起きた札幌丘珠事件では死者3名・重傷2名、大正十二年(1923年)の石狩沼田幌新事件では死者4名・重傷者3名が出てしまいました。

軍が出るほどの事件だったのに、同様の事件がまた起きているあたりに何とも言えないモヤモヤを感じてしまいます。
他の歴史上の出来事でいうと、西南戦争の翌年から関東大震災の年なので、手が回りきらなかったのかもしれませんが……。

 

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絶対に遭遇したくない巨大ヒグマ4選

現場付近にはこの一件を後世に伝えるため、資料館が作られているのですけれども……今もヒグマが出るそうなので、現地よりも資料等を通して調べるほうが良いのかもしれません。
まあ、三毛別事件から100年しか経っていませんし、元々はヒグマの住処だったわけですから、人間がどうこういうのもおかしなものですが。

ちなみに、巨大なヒグマはこれらの事件から半世紀後も……だけでなく、今年も発見されています。
調べられる限りまとめてみました。

【絶対に遭遇したくない巨大ヒグマ4選】
・1980年 体長2.4m・体重500kg 通称「北海太郎」
・2007年 520kg
・2011年 405kg
・2015年 400kg

ちなみに、400kgがどのくらいの重さかというと、だいたい近年の横綱の2.5~3人分です。一般人が太刀打ちできるわけないですよね……。
※他にイメージしやすい比較対象が思いつかなかったので横綱を引き合いに出しましたが、相撲及び関係者への悪意はございません

 

ヒグマによる死傷事故は、ほぼ一年中起きている

最近は「札幌市街でもヒグマが目撃されている」との報道がありますが、あれは2000年代に入った頃から、駆除の規模が小さくなったからなのだそうで。
そのため、近年に生まれた個体は人間を恐れず、食べ物を求めてやってくるのでは、とみられています。
かなり飢えている個体だと火や刃物も恐れないといいますし、侵入防止を図るのはなかなか難しそうです。
鉄条網や電気ショックも効かなさそうですよね……そんなものを設けたら、一般市民が事故に遭いそうですし。

また、意外にもヒグマによる死傷事故は、ほぼ一年中起きているのだそうです。気性が荒くなる春の冬眠明け・秋の冬眠前が多いのは間違いないのですが。

地元の方以外は「どうしてもヒグマの生息域に立ち入らなければならない」ということもないでしょうし、山菜採り・きのこ狩り・釣りは北海道以外の場所でしたほうが良いでしょうね。

そして、これ以上犠牲者が出ないことを祈るばかりです。

長月 七紀・記




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参考:三毛別羆事件/wikipedia 石狩沼田幌新事件/wikipedia 札幌丘珠事件/wikipedia エゾヒグマ/wikipedia ヒグマ研究室

 




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