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日本史オモシロ参考書 その日、歴史が動いた 明治・大正・昭和時代

学制と教育令と学校令~教育システムにめっちゃ苦しんだ明治政府の四苦八苦

更新日:

明治時代には現在に繋がるさまざまなものが作られました。

その一つが学校です。

厳密に言えば、寺子屋や私塾など日本独自の教育機関は江戸時代からありましたが、明治以来の政策が現在の小中高大システムへつながっておりまして。

それは主に【学制】と【教育令】、そして【学校令】からなり、一見、無味乾燥でツマラン!という内容ですから、ここは当時の世相なども合わせて見て参りましょう。

 

学制~オラたちの働き手を奪うな!

学制は、日本の近代教育に関する最初の法律です。
明治四年の廃藩置県直後から準備が始まり、明治5年(1872)八月に発布されました。

西郷隆盛が下野した「明治六年の政変」や、その後の「不平士族の反乱」が起こる前、ということになります。
こうした内乱がもし先に起きていたら、学制も遅れていたかもしれませんね。

実際、その導入も最初からスンナリというわけにはいきませんでした。

当時、政府内では、まず基礎教育のため小学校の設立・普及を急務としました。
寺子屋や私塾があったため、一般市民への普及も問題ないように思えましたが、ここで思わぬ反発を食らうことになります。

例えば、農村部では
「最低限の読み書きと計算だけ覚えれば生活していけるのに、なぜお上は働き手である子供を奪うのか! 学費だってタダじゃなかんべよ!」
という考えが主流だったのです。
一家で仕事を持っている家は、子供も働き手に含まれ、お上の決定に不服でした。まぁ、そりゃそうですわな。

江戸時代から商売をしている商家なども同様です。

「小さい頃から住み込みで働いて、いずれ、のれん分けで独立する」

「子供のうちから現場で仕事を覚えなければならないが、そのぶん将来に希望が持てる」
彼らにもそんな定番コースがあったため、学制は非現実的でバカげた制度にしか見えなかったでしょう。

学制と教育勅語/国立国会図書館蔵

 

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第一次教育令~現場を混乱させるな!

不平士族への対応などと合わせて考えてみると、どうも初期の明治政府には「俺たちがこうしたいんだから、下々の者は黙って言うことを聞け!」という傾向がみられるような……。

しかし学制に関しては政府の方でも素早い対応を見せます。
学制発布の7年後、明治12年(1879年)に改めて「教育令」を出し、より実情に沿った学校制度の普及を目指すのです。

といっても、教育令もすぐにうまく行ったわけではなく、全面改正が三度実施されました。

まず第一次教育令では、やはり初期教育からということで、小学校の普及に全力を注ぎました。
「地域の実情に即した教育課程を、各自治体の委員と教員が作る」ことなどが定められています。

現代の学校事情でも、エリアや都道府県によって教科書が違ったり、重点を置く単元が多少変わったりしていますが、当時の名残かもしれませんね。

また、児童の就学は「父母及び後見人などの責任」とされ、最低16ヵ月(=1年4ヶ月)は子供を学校に通わせなければならないとされていました。
現代と比べると、かなり短いですが。

かように、ナイスな方向へ進み始めた……ように見える教育令は、やっぱりスンナリ行きません。

現場で教育体制を作っていた担当者たちが猛反発。
「今までお上の言う通りやってきたのに、なんでいきなり方針を変えて現場を混乱させるんだ!」
このため、第一次の翌年に第二次教育令が出されるのでした。あーあー。日本史の受験生泣かせっすわ。

 

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第二次教育令&第三次教育令&

第二次教育令(1880年)では、明確な規定が盛り込まれるようになりました。

例えばこんな感じ。
「児童は小学科三年課程を修了するまで毎年十六週日以上就学しなければならない」

また、カリキュラムに現在の道徳にあたる「修身」や、儒教の考え方も取り入れられます。

幕末から続く西欧列強の影響で「西洋はスバラシイ! 東洋はダメダメ!」という態度を取り続けてきた新政府にしては意外ですね。
国民にしてみれば、日本の慣習や儒教のほうが馴染み深かったでしょうから、実情に沿わせるためのポイントの一つと思われます。

続いて1885年の第三次教育令。
このとき「小学教場」という簡易版小学校のような教育機関が作られました。
小学校よりも規定や教育内容が緩いもので、寺子屋や私塾に近いイメージです。

当時の小学校は授業料が必要だったのですが、地方によっては学費を出せない家も少なくありません。
しかし、政府としては一日も早く初等教育だけでも徹底させ、言語の統一化を進めようとしておりました。

方言も、文化の一つではあります。
しかし、将来の徴兵を考えると、「お互いの方言が理解できず、命令が通じなかった」ということは避けたいわけです。
それを防ぐためには、初等教育の時点で標準語を教えたほうがいい、と。

この辺をすり合わせた結果が「小学教場」という教育機関の創設でした。

「小学校と比べると簡易な教育しか受けられないが、授業料は徴収しない(区町村費でまかなう)」
これによって、安心して子供に教育を受けさせるようになった家も多かったでしょうね。

 

学校令~英語を日本の国語にすべき

明治19年(1886年)には、教育令が「学校令」と総称されるいくつかの法律に切り替わりました。

初代文部大臣・森有礼(もり ありのり)が、欧化政策急進派の中でもかなり過激だったことが大きく影響しています。
どのくらいかというと「英語を日本の国語にすべき」と言っていたほどです。
アメリカの言語学者に「それはやめたほうがいい」と言われて引き下がっていますが、そうでなければどうだったやら。

まあ、欧米人からすれば「自分のアイデンティティをしっかり主張すべきなのに、なんで日本人はそれを否定して欧米人と同じものを持とうとするのか」と思ったでしょうね。
「文化の喪失」ほど、取り返しのつかないことはありませんから。

学校令は一つの法律ではなく、以下の4つの法律をまとめて呼んだものです。

・小学校令
・中学校令
・帝国大学令
・師範学校令

特に小学校令では「子供に教育を受けさせるのは両親の義務である」という点が明記されました。
ただし、病気や家計の困窮・その他やむを得ない事情がある場合には、期限付きで就学猶予も認められています。

こうして紆余曲折の末、明治30年代には男女ともに小学校就学率が90%を超えるようになりました。

 

教育勅語~法律ではなく当初はスローガン

さて、明治時代+教育といえば【教育勅語】もよく挙げられますね。

正式には、明治二十三年(1890年)に明治天皇の名で出された「教育ニ関スル勅語」です。
これは本来、法律ではなくスローガンに近いものだったのですが、天皇の神格化に伴って、実質的には法律同様、あるいはそれ以上に重視されるようになりました。

内容についてはさまざまな訳や解釈がありますが、かいつまんでみると

・日本は古くから続いてきた
・それは皇室だけでなく、国民みんなが協力してやってきた成果である
・だから今後もお互いに信じあってきちんと仕事をして、国を続けていこう
・これは古今東西に通じる考えである

ということが文語体で少々難解に書かれています。

原文では「務め」とか「奉仕」、「有事の際には身を挺して国を守るべき」といった内容も入っていて、もっと強制感もあるので、その辺が最近は議論の的になっていますね。

もっと詳しく知りたい方は、原文や現代語訳をググる先生にお尋ねください。
歴史を学ぶ意義は、過去を罵倒するためではなく、現在や将来のためにどこをどう捉えるか、と考えるためですから。

ともすれば洗脳にも使えてしまう教育。
今の時代に必要なのは「情報を取捨選択して自分で考える」という視点を教わることではないでしょうか。
その点、インターネットはとても便利な道具ですね。

長月 七紀・記

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参考:国史大辞典「学制」「教育令」「教育勅語」 学制百年史/文部科学省

 





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