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新古今和歌集(1654年写本)/国立国会図書館蔵

鎌倉・室町時代 日本史オモシロ参考書 その日、歴史が動いた

新古今和歌集が技巧的と言われるのはなぜ?その歴史と20首をピックアップ&解説

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古典や日本史文化ジャンルで、とっつきにくさNo.1と言えば「和歌」でしょう。

いや、それは現代においても通じる話ですね。
小説家は毎年一定数の方がデビューしますが、歌人が話題になることはほとんどありません。

掛詞や枕詞、そして数々のお約束やタブーなど。
成約が圧倒的に多いのが敬遠されがちな理由でしょう。

振り返ってみれば最古の歌集である万葉集の時代は素朴な歌が多数派でした。
時代は進み中世の【新古今和歌集】ともなると、かなりの技巧が駆使されるようになります。

今回はこの歌集の成り立ちや中身を、できるだけ平易に垣間見ていきたいと思います。

 

八番目の勅撰和歌集

新古今和歌集は、八番目の勅撰和歌集です。
一応、一番目から七番目まで記しておきますと……。

①古今和歌集 905-914年 醍醐天皇
②後撰和歌集 951-959年 村上天皇
③拾遺和歌集 1005-07年 花山院
④後拾遺和歌集 1086年 白河天皇
⑤金葉和歌集 1126年 白河院
⑥詞花和歌集 1151年頃 崇徳院
⑦千載和歌集 1188年 後白河院
⑧新古今和歌集 1205年 後鳥羽院

成立年代の右に記されているのが、作るように命じられた方で、新古今和歌集は後鳥羽上皇が藤原定家ら六人の選者に作らせました。

鳥羽天皇/wikipediaより引用

その内容は全二十巻という大作。
内訳は
・春の上下
・夏
・秋の上下
・冬
・賀
・哀傷
・離別
・羇旅(きりょ)
・恋の一~五
・雑の上中下
・神祇
・釈教
となっています。

いやぁ、ボリューム感が凄いですよね。

哀傷の巻は死別、離別の巻は相手が生きている別れを題材にした歌となっております。
おそらく、宮中では「死」を穢れとみなすため、あえてぼかした表現にしたのでしょう。

また、神祇の巻はお参りや神事など、釈教の巻は仏教の教えや価値観を表した歌がまとまっています。

 

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後鳥羽上皇の気合がムンムン

収められている歌は約二千首。
かなり多く感じますが、
「一巻に平均百首ずつ」
と考えると、そうでもない気がしますね。

この壮大さは、後鳥羽上皇の情熱の表れでもあります。

歴史上で見る後鳥羽上皇はやはり「承久の乱に敗れて流された」というイメージが強いですが、同時にいろいろな芸術に秀でていた方でした。
新古今和歌集の編纂についても、並々ならぬこだわりを抱いています。

例えば、選者を任命した翌年、選者の一人だった寂蓮法師が入寂してしまったのですが、代任をせず残りの五人で編纂を続けさせました。
数合わせでテキトーな人選をするより、そちらのほうが良い歌集にできると考えたのでしょう。

さらに、選者が選んだ歌を上皇自身が三回かけて厳選しています。

その情熱は、承久の乱に敗れて隠岐へ流された後も続き、後鳥羽上皇は新古今和歌集をさらに磨き上げるため、数を絞って「これこそ真の勅撰和歌集だ」と言っていました。

後鳥羽上皇にとって、新古今和歌集はまさにライフワークだったのでしょう。

現在「新古今和歌集」として伝わっているのは、後鳥羽上皇が三回目の編纂をした時期のものです。

編纂の時期を一~五段階に分けているのですが、現代で底本とされているのは二番目の時期のもので「二類本」と呼ばれています。
この系統の写本は現存数が最も多く、当時から数多く出回っていたと思われます。

隠岐で作られたものは「隠岐本」として区別されていますし、上皇の編纂前のものなども別バージョンとしているので、収録数を”約”二千首と表現しているんですね。

 

定家の出番がやってきた

新古今和歌集といえば「技巧的」なイメージがあります。
主な選者だった藤原定家が和歌の師匠の家柄であったことに由来しているからでしょう。

この歌集の撰進が始まる直前、「御子左家(みこひだりけ・藤原北家の系統)」のライバルだった「六条家」の代表的歌人が亡くなっており、定家にとっては実力を証明する絶好の舞台でもありました。

藤原定家/wikipediaより引用

新古今和歌集とよく対比される歌集として「万葉集(7C後半-8C後半)」と「古今和歌集(905-914年)」があります。

万葉集の時代は、まだ和歌の“お約束”が定まっておらず、高貴な人も下々の者も、自由に心情や風景を詠んでいたといえます。
一方、古今和歌集は、万葉集の時代と比べて社会が発達してきていることもあってか、ウィットに富んだ歌が増えました。

そういった流れを意識すると、新古今和歌集はこの三つの中で最も新しい時代になるので、さらに和歌の技術が上がっている……ということが、なんとなく飲み込めるかと思います。

それを裏付ける手法として「本歌取り」があります。

過去の有名な歌の一部をもじって新しい歌にするというもので、新古今和歌集ができる前からありました。
現代でいえば、過去の名曲をカバー・アレンジしたり、洋楽を日本人シンガーが歌うようなものでしょうか。

和歌において「本歌取りが上手い」ということは、教養の高さと自身の技術の高さを示すことになります。

そして、新古今和歌集の時代には、単なるパロディではなく、
「これ、もしかしてあの歌の本歌取りなんじゃ?」
というように、パッと見ではわからないほど技巧を凝らした歌が増えました。

この辺が「新古今和歌集は技巧的」とされる由来でしょうね。

勅撰和歌集は「以前の歌集に載ってない歌から選ぶ」という原則はあるにしろ、歌人自体はそう変わりません。
そのため新古今和歌集にも万葉集時代の素朴な歌が入っています。

ぶっちゃけた話、編纂時期の「流行が現われているだけ」と考えても間違いではないかと。

新古今和歌集はできた直後から江戸時代まで高く評価されてきた歌集ですが、
明治時代に正岡子規が
「万葉集が最高! 古今も新古今もイラネwww」(超訳)
という態度をとったため、
近現代ではあまり重視されていないフシがあります。極端過ぎるやろ。

正岡子規/Wikipediaより引用

 

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序文からも伺える技巧の薫り

新古今和歌集で技巧が重んじられるようになったことは、序文からもうかがえます。
長いので一行だけ抜き出してみると

「やまとうたは、むかしあめつちひらけはじめて、人のしわざいまださだまらざりし時、葦原中国のことのはとして、稲田姫素鵞のさとよりぞつたはれりける」
(意訳)「和歌は、昔々日本の国土ができたばかりで人々の暮らしも定まっていない頃、この国の文学として、スサノオノミコトとクシナダヒメの住んでいた土地から伝わったとされている」

一行だけなのに、なんだかとても“長い”印象を受けますよね。
この部分を書いたのは藤原(九条)良経とされていますが、教科書っぽいというか、古文や歴史の授業っぽい感じが漂います。

これに対し、古今和歌集の序文の最初は

「やまとうたは、人の心を種として、万(よろず)の言の葉とぞなれりける」
(意訳)「和歌は、人の心の中にある種から生まれ出る言の葉である」

と、非常にシンプルなものです。
こちらは紀貫之が書いたとされていますね。

紀貫之/Wikipediaより引用

もちろん二人とも人間なので、性格や文体、好み、世情などが表れているのでしょう。

タイトルが似ているので忘れがちですが、古今集から新古今集までは300年ぐらい経っていますし、いろいろと変わるのは当たり前です。
乱暴に例えると、芥川賞や直木賞の受賞作品と、南総里見八犬伝(1814年刊行開始)を比較するようなものですから。

 

外せない「三夕の歌」とは?

さて、どちらかというと古文の範疇ですが、新古今和歌集といえば「三夕の歌」も外せません。

・寂しさは その色としも なかりけり まき立つ山の 秋の夕暮 (寂蓮法師)
(意訳)「秋の夕暮れ時の寂しい雰囲気は、木の葉の色を問わず持っているものなのだな」

・心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮 (西行法師)
(意訳)「未熟な精神の私でも、鴫が川から旅立つような秋の夕暮れには、もののあはれを感じるよ」

・見渡せば 花も紅葉(もみじ)も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮 (藤原定家)
(意訳)「この浦の粗末な我が家には花も紅葉もないが、秋の夕暮れは変わらずに訪れているよ」

元々和歌には恋・春と並んで秋を詠んだものが非常に多いのですが、その中でも秋の夕暮は重んじられており、この三首が名歌とされました。

もうちょっと文法的なことをいうと、この三首が新古今和歌集でよく用いられている手法を複数使っているため、代表格とされたのです。

一つは「体言止め」。
和歌以外の文章でもお馴染みの、名詞(物の名前)で文章を終わらせる方法ですね。

もう一つが「三句切れ」です。
和歌は五・七・五・七・七の音で成り立ちますが、そのうち前半の「五・七・五」で意味や読みが区切れることを三句切れといいます。どこで切っても問題はないので、初句~四句切れまであります。

というか和歌で全く意味が区切れないというほうが珍しく、ほとんどの歌はどれかに当てはまります。
新古今和歌集には初句切れ・三句切れが多いのが特徴です。

ちなみに、新古今和歌集には他にも「夕暮」で終わる歌や三句切れの歌はたくさんあります。
枕草子でも「秋は夕暮れ」とされる通り秋の歌が多いのですが、夏の夕暮れの歌も入っていますので、気になる方は調べてみるのも面白いかと。

 

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百人一首にも影響を与えている?

また、他の文学に出てくる歌が多いのも新古今和歌集の特徴のひとつです。

特に選者がかぶっている小倉百人一首には、新古今和歌集に収録された歌から選んだと思われるものが多々あります。

ごく一部を紹介しますと……

・春過ぎて 夏きにけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香久山 (持統天皇)

・田子の浦に 打ち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人)

・かささぎの わたせる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける (大伴家持)

・忘れじの 行末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな (儀同三司母)

・めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜はの月影 (紫式部

・玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする (式子内親王)

などです。

他に、源氏物語のヒロインの一人・朧月夜の君の名の由来は、光源氏が彼女に出会った際、新古今和歌集に入っている

・照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の 朧月夜に しく物ぞなき (大江千里)

を口ずさんでいたから、というものです。

下の句を「朧月夜に しくものぞなき」としていることもありますが、この程度の誤記や改変は「和歌あるある」なので特に気にしなくてもいいかと。

これは結構乱暴な話で、選者が「こっちのほうがイイな!」という理由で勝手に変えてしまうこともあったのです。
実は、物語でも同じで、写本によって話が多少変わっていることもあります。

著作権とか同一性保持権なんて概念がなかった頃の話ですしね。

 

独断と偏見で代表的20首をチョイス!

さて、ここからは新古今和歌集にもう少し触れてみたい方向けに、独断と偏見で20ほど歌を選んでみました。

例によって意訳なので、「だいたいこんな意味なのかー」くらいの感じでお読みください。

わかりにくい単語や歌の中にない背景については、それぞれ(※)に補足をつけました。

・春

梅が枝に 鳴きてうつろふ 鴬の 羽白妙に 淡雪ぞふる (詠み人知らず)
「梅の枝を飛び移りながら鶯が鳴いている。その羽根は白かったかと見紛うほどに、淡雪が降っているよ」

故郷に 帰る雁がね 小夜更けて 雲路にまよふ 声聞こゆなり (詠み人知らず)
「夜になって、故郷へ帰ろうと飛んでいる雁が、雲路に迷う声が聞こえてくる」

いもやすく 寝られざりけり 春の夜は 花の散るのみ 夢に見えつつ (凡河内躬恒)
「夢の中でまで桜が散っているので、春の夜はうかうかと眠れないよ」

・夏

時鳥 皐月水無月 わきかねて やすらふ声ぞ 空に聞こゆる (源国信)
「今は閏五月なものだから、ほととぎすが五月とも六月とも判じかねているようだ。戸惑いがちになく声が空から聞こえてくるよ」
(※)閏五月のことを「時鳥」と呼ぶことにかけている

・秋

にほの海や 月の光の うつろへば 浪の花にも 秋はみえけり (藤原家隆)
「琵琶湖に月の光が映ると、まるで白い波が白い花のようになって、秋の風情が感じられる」

・冬

夕凪に 門(と)渡る千鳥 波間より 見ゆる小島の 雲に消えぬる (後徳大寺左大臣=藤原実定)
「夕方の波間を千鳥があちらこちらへと渡っている。そのうち雲の合間に見えなくなってしまった」

・賀

高き屋に のぼりてみれば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり (仁徳天皇)
「高いところから見てみると、あちこちの家のかまどから炊煙が立っている」
(※)仁徳天皇は民家に炊煙が上がっていないことに気づき、三年間租税を免除したといわれる。大仙陵古墳の中の人。

・哀傷

稀にくる 夜半も悲しき 松風を たえずや苔の 下に聞くらん (藤原俊成)
「ただでさえ悲しく聞こえる松風を、亡き妻は墓の下で聞いているのだろうか」
(※)「苔の下」は故人の隠喩表現。

・離別

秋霧の たつ旅ごろも おきて見よ 露ばかりなる 形見なりとも (大中臣能宣)
「露のようにささいなものですが、この旅衣を形見に持っていってください」

かりそめの 別れと今日を 思へども いさやまことの 旅にもあるらむ (俊恵法師)
「今日の別れはほんの一時のこと……と思っていましたが、もしかすると今生の別れになるのかもしれませんね」

・羇旅

ここに在りて 筑紫やいづく 白雲の たなびく山の 方にしあるらし (大伴旅人)
「筑紫というのはどのあたりにあるのだろう? あの雲がたなびく山の向こうだろうか」

草枕 旅寝の人は 心せよ 有明の月も かたぶきにけり (源師頼)
「そろそろ夜が明ける頃ですよ。旅の人、そろそろ身支度を始めては?」

さとりゆく まことの道に 入りぬれば 恋しかるべき 故郷もなし (慈円)
「私は悟りの道に入ったので、今はもう故郷を恋う気持ちもない」

・恋

年をへて 思ふ心の しるしにぞ 空も便りの 風は吹きける (藤原高光)
「長年想い続けてきた甲斐あって、また貴女に手紙を送れるようになりましたよ」
(※)音信不通になっていた片思いの相手の連絡先を、高光の知人が知っていたので、知人が手紙出すときに自分の手紙を一緒送ってもらったときに詠んだもの。

つらけれど 恨みむとはた 思ほえず なほゆく先を たのむ心に (藤原伊尹)
「あの人には辛くあたられているけれど、”いつかきっと”と思ってしまうから諦めきれない」

中々に 物思ひそめて 寝ぬる夜は はかなき夢も えやは見えける (藤原実方)
「夢の中でくらいあの人に会いたいと思っているのに、物思いのあまり眠ることもできないよ」

・雑歌

山里に 浮世いとはむ 友もがな くやしく過ぎし 昔かたらむ (西行法師)
「この寂しい山里に友と呼べる人がいたとしたら、昔の悔しかったことやあれこれを語り合いたい」

海ならず たたへる水の 底までも きよき心は 月ぞ照らさむ (菅原道真)
「海よりも深い水の底であっても、月は清い心の持ち主を見捨てないだろう」
(※)道真が大宰府へ左遷された後の歌。皇室の象徴である太陽と、月を対比したものかもしれない。

・神祇

もろ人の ねがひをみつの 浜風に 心すずしき 四手(しで)の音かな (慈円)
「衆生の願いを含んだ浜風が四手を揺らし、涼しげな音を立てている」
(※)「四手」は「紙垂」とも書く。神社のしめ縄などにぶら下がっている白い紙の飾りのこと。

・釈教

極楽へ まだ我が心 行きつかず ひつじの歩み しばしとどまれ (慈円)
「私の心はまだ極楽へ行けるほど静まっていない。我が命よ、もう少しもってくれ」
(※)「ひつじの歩み」は死の婉曲表現。屠殺場に引かれていく羊の歩みが遅くなることから。

 

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個性的な著者を知る機会でもありまして

上記に挙げたものはごく一部です。
もし惹かれた歌人がいたら、まずはググる先生に尋ね、更に興味を持たれたら関連書籍をお読みになられるとよいでしょう。

例えば、源師頼は「元は村上源氏のエリートなのに、二十年間仕事サボって普通に朝廷に戻ってきて大納言まで出世し、子供もたくさんもうけた」という、やりたい放題な生き方をした人です。
人生イージーモードすぎるやろ。

また、大伴旅人は酒が好きすぎて酒の歌ばかり詠んでいたことで有名ですが、上記のように他の歌も美しく詠んでいます。
ただのアル中ではないのです……って当たり前ですね。

新古今和歌集に限ったことではありませんが、
「僧侶は色恋沙汰はご法度! でも歌人としてなら恋の歌を詠んでもいい」
なんてのも、よくよく考えるとユニークというかユーモアというか。

「恋愛を饒舌に語る奴には、恋人がいない」
なんて西洋の名言(経験則?)もありますがね。

暗記やお勉強と考えるととたんにハードルが高く感じます。

が、ツイッターのトレンドをのぞくようなかる~い気持ちで、歌集に触れてみるのも良いのではないでしょうか。

長月 七紀・記




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参考:国史大辞典「新古今和歌集」 新古今和歌集/Wikipedia

 




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