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慈円/Wikipediaより引用

鎌倉・室町時代 日本史オモシロ参考書 その日、歴史が動いた

愚管抄(ぐかんしょう)とは?慈円の書いた意外にオモロイ日本史の教科書だった

更新日:

読むことはできても、漢字で書けない歴史単語ってなんですか?

幅が広すぎるので今回は鎌倉時代に限定させていただきますと……私の場合は
愚管抄(ぐかんしょう)
です。

「愚」なんて文字、ほぼ一度も実生活で書いたことないんですよね。
「管」にしても“竹かんむり”だか“草かんむり(菅)”だかで迷うこともありますし、「抄」にしても「妙」と混同しそうになったり。

この、ちょっと変テコな文字で構成される「愚管抄」とは何なのか?

ひとことで言うと「神武天皇から平安末期までの日本史の本」です。

 

天台座主を務めたインテリ大僧正

愚管抄の筆者は慈円です。
天台宗の座主を務めた超インテリ大僧正でしたので、宗教の影響も随所に見られまして。

例えば、武士の出現とその台頭については
「皇室・藤原氏・源氏それぞれの守護神(天照大神・天児屋根命・八幡神)の合意によって、日本はうまく行ったのである」
としています。なかなかダイナミックな表現ですよね。

確かに、世界史上で見ても「以前の権力者が滅ぼされることなく、新しい組織に権力が事実上移譲された」というケースは珍しいかもしれません。

その辺を除けば、今なお「古代史の教科書」として使っても差し支えないくらい充実した本です。
学習要項とのすり合わせや、宗教色の排除は必要でしょうけれども。

人名・地名・年号などが大量に出てくるので、受験生がおさらいとして一・二巻を読むのもいいかもしれません。

「愚管抄の中から受験で問われやすい単語を抜き出す」なんてこともできそう。

受験の範囲なら、おそらくここまで覚えておけば十分ですが、本稿ではもうちょい中身を見てみましょう。

 

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一・二巻が紀伝体で、三~六巻が編年体

愚管抄は全七巻から構成。

第一・二巻はそれぞれの帝王の年代記を記し、第三~六巻が本文となっています。
第七巻は付録で、他にも別冊のようなものがついていたのでは、という説もありますね。

もっとざっくりいうと、一・二巻が紀伝体で、三~六巻が編年体ともとれます。

一・二巻で中国の神話や古代王朝時代のことを簡潔に記し、その後、日本に移って天皇の系譜を神武天皇から述べていっています。

前者についてはサラッと名前や概要のみですが、後者についてはその時代の太政大臣や左右大臣がいつ就任・退任したのかといった細かな点や、主要事件なども書かれています。

例えば、称徳天皇の項目には宇佐八幡神託事件(※1)、醍醐天皇の部分には昌泰の変(※2)……というようにです。

 

飯豊天皇って誰だ?

三巻からは、慈円の意見を交えつつ、日本の歴史が語られていきます。

まず、日本の政治は「王法」によって行われていた、と慈円は考えました。
これは「皇位は天皇から、その息子である皇子に継がれていくべきである」ということを第一とするものです。

しかし、神功皇后が身重の体で三韓征伐を成し遂げたり、皇子を産んだ後も数十年国政を担ったことについては、
「これはきっと、何事も決まりにとらわれることなく、男女の別よりも個々人の才能を尊ぶべきという天意なのだろう」
としています。

愚管抄が書かれたのは、上記の通り、鎌倉時代のことなのですが、驚くほど現代的な発想ですよね。

日本に限っていえば、明治時代に西洋と価値観を合わせるために
「良妻賢母になるため女は奥に引っ込んでいろ」
という考えが広まったので、むしろ慈円の意見のほうが古来からの伝統といえるかもしれません。

たまに、日付や血縁関係の誤記があるのがご愛嬌なのか、マジボケなのか判断に困るところですが……。
「このことは既に広く知られているので、ここでは細々とは書かない」
というような記述も散見され、慈円は史料や記録を検めたわけではなく、伝聞や当時の常識を元に書いた部分が多いのでしょうか。

また、即位したかどうかわからない「飯豊天皇」という天皇が出てくるのもちょっとしたポイントです。

性別がどっちだったかもはっきりしない、伝説よりも曖昧な方ですが、慈円は愚管抄の中で女帝と書いています。
宮内庁では今のところ「そういう名前の皇族は存在したが、即位はしていないので、死後の尊称として『飯豊天皇』とする」ことになっているようですね。

西洋でも「女教皇ヨハンナ」なんて伝説(デマ?)がありますので、古今東西、こういう話はつきものなのでしょう。

飯豊天皇のほうがまだ実在した可能性は高そうです。

 

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事象を柔らかく解釈してまとめる文章力

愚管抄の文章からすると、慈円は仏僧にしては考えが柔軟だったことがうかがえます。

例えば、古代の皇室では、兄弟で「どうぞどうぞ」状態(超訳)になって何年も空位が続いたり、「弟が即位したものの数年で崩御してしまい、結局兄も即位した」なんてことがままありました。

美しい話ではありますが、世の中に与える影響は計り知れません。

こういうとき、仏教であれば前世の報い云々という話になりそうなものですよね。
しかし慈円は「これは運命の力によって歴史がそのように動いたのだ」としているのです。

全体的に、慈円は
「こういう決まりにそって世の中を動かしていかなくてはならない」
というのではなく、
「こういったことが起きたのは、我々の考えが及ばない次元で何らかの道理が働いていたから」
と考えています。

科学や常識に偏って何かを断じがちな現代人にとっても、学ぶべきところかもしれません。

 

他ならぬ仏教伝来をどう捉えた?

時代が下って社会が複雑化すると、皇室だけでは世の中のことをやりきれなくなってきました。
それと前後して、大陸から仏教が伝わります。

慈円はこれを「王法だけでは間に合わなくなってきたので、天の計らいで仏法が伝わり、皇室と日本の守護をさせようとした」と考えました。

また、「桓武天皇が平安京に都を移してから、皇位継承が父から子、あるいは兄から弟へスムーズになされるようになった。皇后も藤原氏から出ることが定着し、政治も安定してめでたいことだ」というようなことも書いています。

そしてそうなったのは、「伝教大師(最澄)と弘法大師(空海)をはじめとした僧侶たちが大陸に渡って、我が国に尊い教えをもたらしたからだ」としています。
この辺は僧侶らしい考えですね。

弘法大師空海/wikipediaより引用

藤原氏というと、「娘を入内させて外孫である次代以降の天皇の後ろ盾になり、権力を握った」という点から、どうにも黒いイメージが拭えませんよね。
しかし、慈円はそう悪いこととはとらえず、

「人間は皆母親から生まれてくるのだから、女性が権力を持つことは間違いではない。
ただし、末法の世においてはそれは好ましくないので、代わって女性の実家の男性が権力を持てばいい。
これなら母への孝養と”女人によって日の本の国が完成する”という考えを両立させることができる」

と記しています。

天照大神が多くの場合“女神”とされるのも、古代に女帝が多かったのも、こういう考えが日本人全体にうっすらと存在していたからなのかもしれませんね。

 

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そもそも「武士の世」を記すためだった

藤原氏も子々孫々栄えて分裂しはじめたが、やがて藤原道長に収束します。

しかし、その外戚関係はしばらくして絶たれ、院政と院の近臣によって政治が行われることになりました。
さらにその後、保元の乱平治の乱によって、かつて公家の下働きに近かった武士が政治的な役割を果たすようになっていきます。

慈円が愚管抄を記したのも、「武士の世」を記すためだったようです。

元々、彼は藤原忠通(通称・法性寺関白)の息子であり、武士に否定的な立場でもおかしくありません。
しかし、この新しい階層に拒絶を示さず、頼朝や武士の力を評価したのです。

武士が軽んじられがちだったのは、当時の教養のなさや歴史が浅いことなども影響してましたが、壇ノ浦の戦い三種の神器の一つ・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を取り戻せなかったから……というのが、この時代の最大の理由でもありました。

壇ノ浦の戦い/Wikipediaより引用

慈円はそれすらポジティブに捉え、
「草薙剣が失われたのは、これからは武士が草薙剣の代わりに朝廷とこの国を守ることになるという神意の現われである」
とし、
「だからこそ、朝廷は武士を憎まず、軽んぜず、制度の中に取り込むべき」
という考えを記し、広めるために愚管抄を書いたのです。

これが広まっていたら、日本史は多少違う道を歩んでいたのかもしれませんね。
まあ、関係者が増えれば増えるほど、政治的・武力的な対立はややこしくなりがちですから、良くなっていたかはわかりませんが……。

朝廷と武家の間が親密であれば一番うまくいっていたと思われるのは、江戸幕府の各将軍と御台所の間に嫡男が多く生まれていただろう、というところですかね。

あくまで俗説ですが、江戸城の大奥では、朝廷の干渉を避けるために、皇室や公家出身の御台所が子供を授からないようにアレコレしていた……なんて話があるくらいです。

 

古代史のおさらい・入門に最適な本

愚管抄の最後は、承久元年(1219年)に左大臣・九条道家の息子である三寅(頼経)が将軍として鎌倉に下った時点です。

慈円はこれを「公家が武家に入ることにより、王法が復活する兆し」として、明るい未来を予感しています。
結果は……うん(´・ω・`)

この本が世に出回り、朝廷と武家がうまくいくことを慈円も望んでいたようですが、あまり写本が出回らなかったことなどが原因で広まりませんでした。
せっかく仮名で書いているんですけれどね。

それならそれで、まずは実家であり、公家の親玉ともいえる藤原氏御堂流にこの本と考えを浸透させるべきだったように思えます。
ただし、身分が高くなるほど頭も固くなりがちですから、それはそれで難しかったかもしれません。

慈円ほどの身分と立場になると、辻説法のように衆生へ直接語りかけることも難しかったでしょうしね。

何はともあれ、少々回りくどかったり宗教色がやや濃いことを除けば、
【愚管抄は古代史のおさらい・入門に最適な本】
といえます。

受験生だけでなく「戦国も幕末も飽きた! 他の時代のことも知りたい!」という大人の方にもオススメです。

もちろん古文原文ではキツいので、現代語訳版『愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)』がありますよ。

長月 七紀・記

(※1)宇佐八幡神託事件…女帝・称徳天皇がお気に入りの僧侶・道鏡に入れ込みすぎて起きた一騒動。
称徳天皇におもねるため、宇佐八幡宮の関係者が「道鏡を皇位につけよ」という偽の神託を伝えたことに始まる。
称徳天皇は訝しんで別の人を宇佐八幡宮に派遣したが、真逆の神託が下され、称徳天皇が逆ギレして使者に汚い名前を名乗らせて貶めた。
称徳天皇の崩御後、神託はなかったことになり、無事に別の皇族が皇位を継いで事なきを得た。




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(※2)昌泰の変…菅原道真が左遷された事件。
菅原道真一家の出世を驚異に感じた藤原北家の藤原時平が、「道真は娘婿の斉世親王を皇位につけようとしている」と醍醐天皇に讒言し、太宰府へ一家まるごと左遷させた。道真は左遷から二年後に病没。
それから数年後、時平や都に天変地異が相次いだため、「道真が怨霊となって祟っているのだ」と噂され、神として祀り鎮めたのが天満宮の始まり。

【参考】
国史大辞典「愚管抄」
愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)』大隅 和雄 (翻訳)

 





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