秋刀魚、梨、栗、蕎麦……と色とりどりの食材が挙げられますが、その中でもなんだかんだで日本人の心を揺さぶるのが「新米」でしょう。
視界一杯に広がる黄金色の水田で、実るほど頭を垂れる稲穂かな。
釜で炊き、お櫃の中で真っ白い粒からたちのぼる湯気。
嗚呼♪
口に入れた瞬間のほのかな甘みを思い出すだけで、ウットリするではありませんか。
8月18日はお米の日(米という漢字が“八一八”という組み合わせから)。
本稿では、新米を噛みしめる妄想をしながら、お米の歴史へ思いを巡らせてみましょう。
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世界中に広がった米&ライス
お米の存在感は、我々の想像以上かもしれません。
なにせ世界の2/3の人が主食としているほどです。
稲作が行われているのは、日本や中国、朝鮮半島などの東アジアにとどまらず、東南アジア、南アジア、インド北部、西および中央アフリカまで。
これほどまでの広範囲でお米は重宝されています。
世界中に広がった米&ライス。
炊きたてが最高!
という意見はもっともですが、それはあくまで一つの食べ方に過ぎません。
せんべい、スナック菓子にはじまりベトナムのフォー、ライスペーパーでくるんだ生春巻き、タルト、コロッケ、プディング。あるいはペットフードや化粧品まで。
多彩な使い方ができるのも大きな特長でしょう。
中には、米とは意識せず口にしているのもありますよ。
例えばビール。
缶やボトルには麦の穂が印刷されていますが、原材料を見てみると「米」が含まれているものもあります。
これは日本のビールに限ったことではありません。
バドワイザーのような海外のメーカーでも、味の調整のために米を使用することがあります。
こんなに便利な食品だからこそ、米は全世界で普及したのです。
では、米の歴史はいつ始まったのでしょう。
米の歴史
今から1万5千年ほど前。
野山での果実採取や獣の狩猟よりも、植物を栽培した方が効率的である――と気づいた人々がいました。
彼らは森を切り拓き、定住し、そこで穀類を栽培し始めます。
穀類にはもちろん米も含まれていました。
インドや中国で栽培化が始まると、やがて周辺の地域にも伝播。日本には縄文時代に伝わっています。
米の生産は、国力そのものにも大きな影響を与えました。
例えば中国。
彼の国では黄河や長江流域に広大な耕作地を持ちました。
穀倉地帯が天下を支え、国の成り立ちに大きく影響を与えます。
世界史の時間で
「江浙熟すれば天下足る」
(こうせつじゅくすれば てんかたる)
という言葉を聞いた記憶はありませんか?
これは宋代にベトナムから「占城稲」(せんじょうとう・チャンパトウ)という品種が伝えられたことにより、長江下流域の「江浙(江蘇・浙江)地域での米生産量が増えたことをさします。
明代以降、この地域では米作ではなく、絹や綿の生産が増加しました。
そのため、そのころからは「湖広(長江中流)熟すれば天下足る」と言われるようになったのです。
占城稲は、短期間で生産が可能、かつ干ばつにも強い品種です。
その導入により、二期作や二毛作が可能となり、日本にも「大唐米」という名で入ってきました。そして西日本で栽培されていきます。
時代がくだるにつれ、品種改良されて生産量が増えてゆく米。
人口増加や歴史の流れにも影響を与えていったのです。
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